作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ヘーゲル『哲学入門』第一章 法 第二十一節[復讐と刑罰]

2020年12月30日 | 哲学一般

 

§21

Die Wiedervergeltung aber soll nicht vom einzelnen Beleidig­ten, oder von dessen Angehörigen ausgeübt werden, weil bei ihnen die allgemeine Rechtsrücksicht zugleich mit der Zufällig­keit der Leidenschaft verbunden ist. Sie muss die Handlung eines dritten Gewalthabenden sein, der bloß das Allgemeine geltend macht und vollführt. Insofern ist sie  Strafe.

第二十一節[復讐と刑罰]

報復は、しかし、被害者個人によって、あるいはその親族によって行われてはならない。というのも、彼らにおいては普遍的な法的な見地は同時に情熱の偶然性と結びついているからである。報復は、普遍的であることが認めれられかつそれを実現するところの第三者である権力者の行為でなければならない。その限りにおいて、それは 刑罰 である。

Erläuterung. 
説明.

Rache  und Strafe  unterscheiden sich dadurch von einander, dass die Rache eine Wiedervergeltung ist, insofern sie von der beleidigten Partei ausgeübt wird, Strafe aber, insofern sie vom Richter ausgeübt wird. Die Wiedervergeltung muss da­her als Strafe geübt werden, weil bei der Rache die Leidenschaft Einfluss hat und das Recht dadurch getrübt wird. 

 復讐 刑罰  はそれぞれ互いは次のような点において区別される。報復はそれが被害者側によって行われるかぎりにおいては復讐であるが、その報復が裁判官によって執行される場合には刑罰である。それゆえに報復は刑罰として執行されなければならない。なぜなら復讐においては感情に影響され、そのことによって法は不純にされるからである。

Ferner hat die Rache nicht die Form des Rechts, sondern die der Willkür, indem die beleidigte Partei immer aus Gefühl oder subjektiver Trieb­feder handelt. Deswegen ist das Recht, als Rache ausgeübt, wie­der eine neue Beleidigung, wird nur als einzelne Handlung empfunden, und pflanzt sich also unversöhnt ins Unendliche fort.(※1)

さらに、復讐は法の形式をもたない。むしろ、被害者側はつねに感情によって、あるいは主観的な衝動によって行動するゆえに報復は恣意の形をとる。だからこそ、復讐として行われた法は、さらなる一つの新しい犯行であり、個人的な行為として受け取られ、そうして和解されることなく繰り返され無限に進行してゆく。

 

(※1)

法理論の考察は第一節において

まず、 1)法それ自体が、ついで 2)国家社会における法の存在、 が考察されなければならない。
 
という叙述から始められた。

普遍的にして自由な存在としての人間の意志を考察の出発として、いまや「報復」の概念にまで至ったが、その報復は必然的に普遍的な第三者である権力者の行為であることが求められる。この第三者が、すなわち国家である。ここにおいて法の概念は進展して次の「国家」の段階へと移行してゆく。
  

 

ヘーゲル『哲学入門』第一章 法 第二十一節[復讐と刑罰] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/3CS24s

 

 

 

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アメリカ情勢、大統領制、武漢肺炎ウィルス、ガルシン『信号』など

2020年12月09日 | 日記・紀行

 

2020年令和2年12月9日(水)晴れ、無事。

さらに混迷を深めているアメリカ情勢。アメリカ合衆国では、大統領選挙の「選挙不正」などをめぐって、さらに国内の混迷が深まっているようである。選挙の投票で決着がつかなければ、また、大統領選挙の過程において不正が存在したのかどうかが当事者によって訴えられているのなら、その実態が司直の手によって解明され、司法の手で国家元首である大統領を選出するという結果にならざるを得ないのかもしれない。

アメリカ合衆国はそれでも曲がりなりにも「法の支配」を国是とする国家であり、まかり間違っても、かっての南北戦争のような内乱が起きるとは思われない。

要するに、アメリカ合衆国の大統領制は、国家元首を選挙で選出する共和国であるということであり、その意味でも、ヘーゲルの『法の哲学』の§275 君主権 以下を一昨年かに翻訳したときに、君主選挙制度の、共和主義国家体制の欠陥についても触れていたのを思い出す。

ヘーゲルはその論考の中で、「国家の団結の象徴としての君主の意義」と、「君主権の世襲の根拠」を論証したのちに、それにちなんで、その傍証として、君主選挙制、選挙公国の原理的な欠陥について論じていた。君主選挙制、選挙公国とは、アメリカのような大統領制国家、共和制国家体制のことである。

「一つの選挙協定によって、特殊な意志の方向性に国家権力が支配されることになる。そこから、特殊な国家権力が私有財産へと転じ、国家の主権の弱体化と喪失、そして、その結果として国家の内部からの解体と、外からの破壊がもたらされることになる。」

アメリカ大統領制国家の現実においては、共和党と民主党の対立の激化による内部からの解体と、大統領選挙における中国共産党やロシアなどの外国からの干渉などをまねくなど、「外からの破壊」がもたらされることになる。

私もまた、この個所の註解において

「アメリカやロシアなどの大統領制をとる共和国は、君主を選挙で選出するという意味で、ここでヘーゲルのいう「das Wahlreich 」(選挙君主制・選挙公国)にほかならない。ロシアのプーチン大統領やアメリカのトランプ大統領の例に見るように、 悟性推理にすら、 事実に強制されて 大統領制(君主選挙制)が劣悪なものであることを理解している。」と書いていた。

だから「共和制国家論者」であった元東大名誉教授の憲法学者、奥平康弘氏に対して、こうした観点から私は批判していたが、その後数年にして奥平康弘氏はお亡くなりになった。しかし、故奥平氏と同じ立場に立つ憲法学者の樋口陽一氏については、このようなヘーゲルの「国家観」について樋口氏がどのように評価されているのか、それはわからない。

- [§281a[国家の団結を守る君主]]
- [§281b〔君主の世襲制の根拠〕]
- [§281c〔 最悪の制度としての君主選挙制〕]
- [§281 補註〔国家体制における君主と支配者〕]

 

中国武漢風景をテレビで見る。武漢肺炎ウィルスからの社会防衛、防疫に、中国共産党政権下の全体主義国家体制が有利に機能したようである。しかし、この中国発祥の「武漢肺炎ウィルス」が、「アメリカから持ち込まれた」と中国の民衆が主張しはじめているのはいただけない。

小説 ガルシン『信号』を再読する。
私たちの世代の育ちの中では、幼少期にはいまだテレビも存在せず、まして青少年期にもインターネットやスマートフォンなどその片鱗すら見えなかった。だから、室内での子供時代の娯楽といえば、赤胴鈴之助や、鉄腕アトム、鉄人28号などの漫画を読み耽るか、ラジオ放送から聞こえてくる物語や歌謡曲、落語、漫才などだった。また寝床についてから、ジャン ・クリストフや紅楼夢、鉄仮面や大地や、静かなるドン、告白録などの大河小説を少しずつ読み進む楽しみもあった。
今日久しぶりに短編ながら翻訳小説を読んで、少年時代のように小説の世界に純粋に没頭する甘美な時間をすこし思い出した。

 

 

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東寺の五重塔ライトアップ

2020年12月04日 | 日記・紀行

東寺の五重塔ライトアップ

2020年令和2年12月4日(金)晴れ

今年の秋は外出も控え気味であったせいか印象に残る紅葉もありませんでした。それでも日々行き来する川端沿いの銀杏や桜並木の紅葉もそれなりにきれいなものでした。今年はすでに晩秋というか初冬に入りかけて名所の紅葉はあきらめていましたが、たまたまチケットを譲ってもらったこともあり東寺のライトアップを見てきました。残された紅葉がライトアップされて池に映えてきれいでした。

金堂や講堂で見た帝釈天や薬師三尊などの仏像も、昼間とちがって夜の明かりの中で眺めるといっそう厳かに感じられました。

 

 

 

 

 

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