作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ヘーゲル『哲学入門』 中級  第二段  自意識  第二十八節[欲望の自己感覚]

2024年01月19日 | 哲学一般

ヘーゲル『哲学入門』 中級  第二段  自意識  第二十八節[欲望の自己感覚]

§28

In der Begierde verhält sich das Selbstbewusstsein zu sich als  einzelnes.  Es bezieht sich auf einen selbstlosen Gegenstand, der an und für sich ein anderer, als das Selbstbewusstsein. Dies er­reicht sich daher in seiner Gleichheit mit sich selbst in Rücksicht auf den Gegenstand nur durch Aufhebung desselben. Die Be­gierde ist überhaupt: 1) zerstörend ; 2) in der Befriedigung der­selben kommt es deshalb nur zu dem Selbstgefühl des Fürsichseins des Subjekts als einzelnen(※1), dem unbestimmten Begriff des mit der Objektivität verbundenen Subjekts.(※2)

 

第二十八節[欲望の自己感覚]
  
欲望においては、自己意識は自ら自己に対しては「個別者」としてふるまう。欲望において自己意識は、自己をもたない本来的に他者である対象と、自己意識として関係する。したがって自己意識は自ずから、ただ対象を食い尽くすことのみを通して、対象との関係において自分自身と対象とが同等であることを実現する。

欲望は一般的に
1) 破壊的であり
2)こうして欲望が充足されると、ただ個別者としての主体に、自分自身であるという自己感覚の自覚のみが生じてくるが、その自己感覚は主体と客体とがからまった、あいまいな概念である。

 


※1
 dem Selbstgefühl des Fürsichseins des Subjekts als einzelnen は
直訳すると、「個別的なものとしての主体の自覚的存在の自己感覚へ」となるが、わかりにくい。
とくに、「Fürsichseins」は「自己に向かう存在」だが、この場合の「sich」は「Ich」=「私」「自我」「自分」の代名詞であり、したがって「Fürsich」は「自覚しつつある私、あるいは自覚した私」である。これに対し「Ansich」は「まだ無自覚な私」である。

※2
「私」とは、すなわち「自己意識」のことであるが、この「自己意識」は「欲望」によって、自分自身であるという個別的な独立した意識を確立する。この欲望の対象は、さしあたっては「物」、すなわち「自己をもたない対象」である。それゆえに、この場合に生じる自己感情(感覚)は、主体と客体の境があいまいである。食い尽くされた肉は、自らの身体と区別がつかない。

 

ヘーゲル『哲学入門』 中級  第二段  自意識  第二十八節[欲望の自己感情] - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/yrgguk7t

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級  第二段  自意識  第二十七節[欲望の充足]

2024年01月10日 | 哲学一般

ヘーゲル『哲学入門』中級  第二段  自意識  第二十七節[欲望の充足]

§27

Die Tätigkeit der Begierde hebt also das Anderssein des Ge­genstandes, dessen Bestehen überhaupt auf und vereinigt ihn mit dem Subjekt, wodurch die  Begierde befriedigt  ist. Diese ist sonach bedingt: 1) durch einen äußeren, gegen sie gleichgültig bestehenden Gegenstand oder durch das Bewusstsein; 2) ihre Tätigkeit bringt die Befriedigung nur durch Aufheben des Ge­genstandes hervor. Das Selbstbewusstsein kommt daher nur zu seinem  Selbstgefühl. (※1)


第二十七節[欲望の充足] 
  
欲望の活動は、したがって、対象の他者性を、対象の存在一般を廃止し、そうして対象と主体とを一体化する。こうして 欲望が満たされる。欲望の充足は、だから次の条件を必要としている。
 1) 欲望とは無関係に存在する外部の対象によって、もしくは、意識を通して、
 2) 欲望の活動は、ただ対象を手に入れることによってのみ充足感をもたらす。
自己意識は、したがって、ただその 自己感情 にのみ帰着する。

 

※1
前節の§26によって明らかにされた「衝動」は必ずしもそこに意識は介在しなかったが、本節§27で説明されているように、「欲望が充足」するための条件としては、まず外部に他者性をもった対象が存在すること、そして、それを意識していること、次に、その外部の対象を手に入れ、また食い尽くすこと、それによって意識の主体と一体化することである。こうして自己意識は欲望充足の自己感情に行き着く。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級  第二段  自意識  第二十七節[欲望の充足] - 夕暮れのフクロウ https://cutt.ly/ywJradS7

 

 

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明けましておめでとうございます

2024年01月04日 | 日記・紀行

 

2024(令和6)年01月04日(木)雨のち晴

あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします

 

 

※追記20240120

龍字賛
無学絶宗

無学絶宗(一七〇九~九五)は、江戸中期の曹洞宗の禅僧。華厳曹海の法を嗣ぐ。諸師に参学し、その数一五三人といい、歴住地は越前の永建寺をはじめ一〇ヶ寺に及んだ。
 本資料は、「龍」の字を大書した墨蹟。永建寺の歴代記である『曹紹山歴住伝燈録』に、「常採毫書龍字、道俗尊信多(常に毫を採り龍字を書す、道俗の尊信多し)」と記されるほど、絶宗は龍字を好んで書した。
詳細
 • タイトル: 龍字賛
 • 作成者: 無学絶宗
 • 実際のサイズ: 総丈H135.5×W72.1本紙H40.0×W55.0
 • 媒体/技法: 紙本墨書


龍字賛 - 無学絶宗 — Google Arts & Culture https://is.gd/lZtbKT

 

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