作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ヘーゲルの国家論――「法の哲学」ノート(1)

2008年02月29日 | 哲学一般


ヘーゲルの国家論――「法の哲学」ノート(1)


ヘーゲルの「国家論」が他の多くの凡庸な政治学者や国家論者に比較して卓越している点は、何よりもヘーゲルが哲学者として「哲学の観点と方法」をもっていたことにある。そのことによって、彼の『法の哲学』は――この書が「自然法と国家学概要」という別名を副題にもっていることからもわかるように、――――「法」の研究が単なる実証法の研究に終わることなく、その根底にある絶対的な「自然法」の論理を明らかにすることになった。

そして同時に、近代においては「法」の概念が「国家」と必然的に結びついていることを、あるいは、「法の概念」が必然的に国家として帰結するというその論理を明らかにしている。他の一般の法学者、国家学者と比較して、ヘーゲルをして並はずれて優れたものとしているのは、いうまでもなくこの哲学における彼の能力である。

歴史学についても同じことが言える。歴史を単なる実証学としてしか記述できない凡庸な歴史家と違って、彼が歴史的発展の論理をとらえようとしていることも、彼の歴史学の特徴である。それを可能にしたのが、彼独自の哲学的方法、いわゆる弁証法的認識法であり、そのことによって近代において哲学は科学として復活することにもなった。

法哲学の中で、国家を一つの有機体としてとらえることができたのも、彼が生命を把握する論理をもっていたためである。生命をとらえる論理とは何か。それは一つの事柄における対立する契機の存在とその運動である。この両者の矛盾が運動を引き起こす。ヘーゲルの功績は、これを明確に認識し、その矛盾と進展の論理を体系として論理学の中に定式化したことにある。それは自然における法則そのものであり、彼においては絶対的な最高の真理として認識されている。この自然法則によって、この矛盾の論理によって、すべての事物は、内在的に変化し運動し、発展してゆく。

生命とは何よりもこの自己の内にある矛盾によって自己運動するものである。そして、彼の国家理論も、法の概念が一つの有機体としての国家にまで進展する論理を記述したものであって、国家という一つの人倫的な世界を、そのあるがままの現実の姿としてとらえようとしたものである。それは、ありきたりの道徳家が夢想するような「国家のあるべき姿」について説教をたれようとしたものではない。そうして国家の原理を明らかにした彼の法哲学は、教会の権威ではなく、自我による思考そのものの証明のうえに立とうとする近代人の指向を示してしている点においても、近代プロテスタンチズムの原理の産物でもあった。

 



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三浦容疑者逮捕 ロス市警会見――正義と国民性

2008年02月27日 | ニュース・現実評論

三浦容疑者逮捕 ロス市警会見 けむに巻く「新証拠」(産経新聞) - goo ニュース

米元捜査官「事件は解決していない」

「ロス疑惑」として騒がれてから、もう25年からになる。1881年にロサンゼルス市内で当時28歳だった妻の一美さんを銃で殺害するように誰かに委託した容疑とかで、ずいぶん社会を騒がせたことがあった。そして今回それと同じ容疑で、元雑貨輸入販売会社社長の三浦和義容疑者がサイパン島で再び逮捕されたという。(この島では多くの日本人軍民が命を失っている。)この三浦容疑者については少し前にどこかのコンビニで何かの万引きして逮捕されていたことがニュースにもなっていたが、すでに関心もなかった。最高裁で無罪判決を受けたことも記憶からほとんどなくなっていたくらいである。

殺人容疑者の本国で、しかも最高裁判所が無罪を言い渡しているのであるから、普通であれば、事件に幕が引かれても当然だった。しかし、ロサンゼルスの警察署には、殺人事件として立件できる可能性をあきらめなかった刑事がいたのだろう。こんなことにも、アメリカのもう一つの顔を見ることが出来る思う。少し持ち上げた言い方をすれば、国民として平均的に正義の観念が強いのだ。聖書国民はそれだけ善悪の悟性判断が強いのだと思う。アメリカでの聖書研究の隆盛を見るがいい。細木数子さんがもてはやされる国とはやはり違う。

日本などからよく銃規制の甘さなどで批判されることも多いアメリカではあるけれども、反面から見れば、それはアメリカ国民の自由と独立への指向の強さを証明していると言える。何事も一面だけを見ては正しい判断は下せない。たとえどんなに銃所有の弊害が大きくとも、そのことで海外からどんなに批判されようとも、自由と独立は銃で守られなければならないと信じているアメリカ国民は銃を捨てることはないだろう。

とくに我が国のように、安土桃山の時代から太閤秀吉によって、武器が武士以外の農民などの民衆からすべて召し上げられた国はアメリカとは対極にある。信長、秀吉の後の400年続いた封建時代の恐怖政治のもとで、民衆の間にはすっかり自由と独立の精神が失われて、事大主義の国民性に変質していったのとは対をなしている。朝鮮や中国など東洋諸国においては、絶対君主の強大な権力の前にして、民衆は自由と独立の精神を育てることが出来なかった。またそこに、国民のイデオロギーとしての宗教の差異もある。

それにしてもアメリカには殺人事件のような凶悪事件には時効がないらしい。あらためて法制のちがいに気づかされる。そして、それと同時に、日本においても、殺人事件などの凶悪犯罪については、時効をなくしたらどうかと思った。凶悪犯罪については、犯人を追及することの出来る条件があるかぎり、追求してゆくことである。日本国憲法を改正する際には当然に刑法の関連する条項も変えなければならないだろうから、そのときには、我が国も殺人犯などの凶悪犯罪については時効をなくすべきではないだろうか。

日本人の犯罪行為について、アメリカの司法当局の追求を受けているのは、何も殺人事件だけではない。日本は「人身売買」でもアメリカ政府から批判を受けている。(2007年人身売買報告書) 日本政府はこうした批判に正当にきちんと反論できるのか。日本の政治家や国会議員は、アメリカの批判が正しいのか誤っているのか、 きちんと検証して、問題があるのなら怠けず仕事をして、率先して国内の犯罪行為にも法の網をきちんとかけて取り締まるようにしてゆくべきだ。

 

※追記20220204金

我が国においても、殺人事件などの凶悪事件の時効については、その後の2010年4月27日に刑法と刑事訴訟法が改正されて、時効の廃止が実現したそうです。

 

 

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ピタゴラス派の教育論

2008年02月21日 | 教育・文化

ピタゴラス派の教育論

古代ギリシャの昔も極東の現代日本も、親が子供の教育のことで、頭を悩ますのは同じなのかもしれない。昔のギリシャで、かってある父親がピタゴラス派の一人の学徒に、どうすれば自分の息子にもっともよい教育を授けることが出来るかと訊ねたそうである。その問いに対して、彼は「良く統治された国家の市民にすることだ」と答えたそうだ。

今の日本が良く統治された国家であるかどうかは今は問わない。ただとにかく、現代の教育においては、個人は家族の中で育てられないのみならず、また、地域社会の中で育てられるということが忘れられているだけでなく、さらに祖国の中とか、国家の中で育てられるという意識もまったく失われてしまっている。戦前の日本国民は、たとえそれが建前であったとしても、天皇陛下のため、お国のために生きていた。しかし今、「グローバリゼーション」の嵐の吹き荒れる中で、かっての時代の寵児ホリエモンさんのように、祖国とか国家という言葉が死語になった人たちであふれている。

あの太平洋戦争の敗北が日本国民の国家意識に深いトラウマとなって残っている。国家というものは悪なるもの、国民を抑圧するもの、国民を引っ立てて死に追いやるものとしてとらえられている。だから、国家が正義の執行機関であり、神の意志の代理機関であるという意識など国民には毛頭ない。

そこには国家観の根本的な倒錯があると思う。たしかに、その倒錯には根拠がないわけではない。しかし、日本国民の精神の奥深くに刻み込まれているこの国家に対するトラウマは癒される必要がある。このことは、いまだ真実に自由で民主的な「自分たちの」政府や国家を、日本国民が自力で形成できていないという事実と無関係ではない。それが市民革命と呼ばれるものであるのだろうけれど。

はたして、どちらの国家観が国民を幸福にするか。少なくとも「民主主義国」を自称するのであれば、国民は、自らの意志と行動で、国家を正義の執行代理人として自覚できるまで、みずから努力して形成してゆく必要がある。

そのためには、まず国民が自分たちの倫理意識を高めて、悪しき政治家、利己的で無能力な政治家、公務員たちを国家と政府の舞台から追放してゆくことだ。そして、日本国が、たとえ極東の小国であるとしても、真実に「自由」で「民主的」な祖国となって「良く統治された国家」となるとき、はじめて国民は正義の国家の中に生きているという実感を自らのものにできる。そこで初めて個人は家族の中で育てられ、そして、市民社会の中で、次いで祖国という国家の中で育てられて、真実に自由な国民の規律の許に置かれることになる。そのときにこそ古代ギリシャのピタゴラス派の無名の一学徒の教育論も真実になるのだろう。

 

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国家の選択――マルクス主義か、ヘーゲル主義か

2008年02月19日 | 国家論

 

この二十一世紀の時代に生きる私たちの世界を見回して見ると、とくに、世界に存在する国家の姿を見ると、国家の形というものもそれほどに多くあるわけではないことがわかる。いくつかの形態に集約されているといえる。

その代表的なものがアメリカに見るような「大統領制民主主義国」である。共和主義国家といってよい。フランスやドイツなどはこれに準じる国である。

また、中華人民共和国のような「人民民主主義国」がある。これも民主主義の特殊な形態とも言えるが、かっての共産主義国に見られる国家形態である。1989年のベルリン壁の崩壊以後は東欧をはじめとして、この国家体制は世界的な規模で崩壊していった。そして今では北朝鮮やキューバ、中国などいくつかの国にその形をとどめているだけである。

そして、今ひとつの国家形態としてはイギリスに典型的に見られるような「立憲君主国」がある。その多くは北欧諸国に見られ、デンマークやスェーデン、ノールウェイなどの国がそうである。わが国も一応、「立憲君主国」と言われている。

これらの国家形態にイスラム教色の加わったイスラム共和国などがあるが、現代国家の基本的な国家形態は、この三つに分類できるといえる。ただ、そこに軍事独裁国家なども含まれるが、人類の歴史の大局的な流れから言えばそれは例外的で特殊なものである。

この三つの国家体制に共通して言えることは、それらがいずれも民主主義の具体化された特殊な形態であることだ。いずれも近代現代の進展に応じて形成されてきた歴史的な産物でもある。

そして民主主義の出現でもっとも象徴的な世界史的事件がフランス革命であって、この政治的事件は思想が政治革命を主導した点においても画期的なものだった。

こうした人類の歴史を大局的に見れば、それは民主主義の発展の歴史ともいえ、哲学者のカントなどはそれを洞察して自由の実現こそが人類の歴史の目的であるととらえることになった。ヘーゲルもそれを受けて、自由を理念としてとらえなおした。たしかに世界史を観察してみればそうした哲学者の認識も承認できる。

民主主義や自由の理念は以上のように、実際にも三つの特殊的な国家形態として具体化されているといえる。そして、カントの後を受けてその歴史の進展を、一つの必然として論証しようとした哲学者にヘーゲルとマルクスがいる。その歴史的進展の論理を明らかにしようとしたものが前者にあっては『法哲学』であり、後者においては『資本論』だった。

そして、ヘーゲルが『法哲学』において「立憲君主国家」こそが近代の理念であることを論証したのに対して、マルクスは『資本論』においてプロレタリアートの独裁の必然性を論証しようと試みた。だから、世界史の現代はなお、この二人の哲学者の論証の正否の承認をめぐる闘争の舞台であるともいえる。そして、ヘーゲルの真理観からいえば、概念に一致した存在こそが真理であり、真理のみが歴史のなかにつらぬかれることになる。二十世紀の現実の世界史は、人民民主主義の崩壊で幕をおろすことになったが、共和国と立憲君主国は存続している。それはなによりも人民民主主義国家が国家の概念に一致しなかったからではないか。

ベルリンの壁が崩壊したあと東欧諸国に見られたような社会主義国のドミノ倒しの要因について、計画経済がその効率性において市場主義経済に敗北したことに求める論調が多かった。たしかにそれも一つの理由であるには違いない。しかし、もっと根元的な要因としては、やはり、自由の問題を見なければならないと思う。カントがその人類史の考察で結論づけたように、自由は歴史の目的である。にも関わらず、人民民主主義国は立憲君主国以上の自由を実現することが出来なかったからである。マルクス主義の人民民主主義国では、市民の自由に意義を認めず、それを否定的にのみとらえたために、人民民主主義国家は国家としてそれを真に止揚することが出来なかったからである。

だから現代においてもなお、いやむしろ人民民主主義国家の限界の見えている現代だからこそ、あらためて家族、市民社会、国家の論理を明らかにしたヘーゲル主義は生きかえる。ヘーゲルの国家のみが市民社会を正しく止揚するものだからである。
マルクス主義かヘーゲル主義か、その選択の問いは今も生きている。

 

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音楽と詩

2008年02月15日 | 芸術・文化

 

音楽と詩

音楽には色彩も形象もない。絵画には視覚でとらえる対象がまだ残されているけれど、音楽においてはもはや視覚は役に立たない。物質性をもたないこの「音」をとらえるには聴覚しかない。だから音楽は絵画よりもさらに抽象的で観念的である。そして、その抽象性、観念性のゆえに、音楽は私たちのもっとも奥深い心の内面に入り込んでくる。

音楽それ自体は一つの抽象的な「話し言葉」にもたとえることが出来る。愛する人の話言葉のように心に響いてくる。それはカンデンスキーやミロの抽象画が「書き言葉」としてその印象が私たちの意識に伝わってくるのに似ている。しかし音楽は抽象絵画より以上に、そこから伝わる色彩も形象も抽象的である。ただその印象は視覚からではなく、聴覚を通じて心に達するゆえにその色彩も形象も観念的であり、絵画のように客観的な物質性をもたない。絵画の世界においても印象派からピカソ、ブラック、さらにミロやカンデンスキーへと進むにつれて、次第に具象性を失っていったが、それでも絵画にあってはまだ色彩と形象が残されている。

とはいえ、こうした抽象的な音楽であっても、器楽音だけで純粋に構成されるソナタや組曲や交響曲と違って、アリアなどの声楽曲はそこに言葉が伴われるだけ、具体的でわかりやすい。

話し言葉ももともと「音」によって伝えられるから、言葉には本来的に音楽性が含まれているけれども、ただ言葉には人間のコミュニケーション手段として、意味が分かちがたく結びついている。だから、単なる嘆きや叫声の段階から言葉がさらに表象や意味(概念)と結びつけられるとき、抽象的な世界である言語の世界も、再び、具体性を獲得してゆく。そのもっとも洗練された姿が「詩」であることは言うまでもないが、この詩が音楽と結びついたとき、音楽による感情表現はより具体的な明確な輪郭をもって私たちの意識に伝えることができる。

そして、単なる感情の洗練や浄化の段階からさらに進んで高まると、何らかの思想や理念を作曲家や詩人は伝えようとする。ソナタやパルティータなど純粋な器楽曲と比べて、カンタータなどの声楽曲は言語表現をともなうだけ、その音楽の表象や思想をより具体的に把握しやすい。

先に取り上げたエマ・シャプランの歌う「VEDI  MARIA」などの曲も、音楽の中により具体的な言語が入り込んでくるために、その抽象性はよほど失われ、具体的により表象的に音楽のテーマである感情や思想を把握しやすくなっている。

しかし、その歌曲が外国のものであって、しかもその言葉を解することが出来なければ、再びその音楽からは具象性は失われてしまう。外国語もその意味を解することが出来なければ、その声は私たちの耳には、あたかももっとも美しい一つの器楽音楽のように響いてくる。

とはいえ実際に私たちが日常聴いている海外の多くの歌曲についても、その歌詞の意味内容がわからないとしても音楽鑑賞には本質的には差しつかえはない。たとえ器楽や音声によって伝えられたその具体的な意味がわからなくとも、私たちは十分に楽しむことは出来るし、さまざまの喜怒哀楽の感情は浄化されて何らかのカタルシスをもたらしてくれる。それは音楽が言葉よりもさらに根元的で感情的な言語であるからだ。

「VEDI MARIA」でもシャプランが歌っている言語はイタリア語らしく、私には全く経験がなかったので聴いても意味がわからなかった。時折「マリア」とか「マドンナ」とか、耳にしたことのある固有名詞がいくつかわかるくらいで、歌われているその詩の内容はまったくわからない。

十分に歌曲自体は楽しめたけれども、同じ歌曲で誰かが映像を編集し、歌詞を英訳して投稿したものが同じYOUTUBEに見つかった。それを見てこの歌で歌われているらしい意味内容を何とか理解することができたけれど、イタリア語はからきしわからないから、この「英詩」が原詩をどれだけ忠実に訳し出しているのかもわからない。

それでも、この歌の英訳らしきものを手がかりにこの歌曲の原意をたどろうと思いついた。イタリア語から英語に翻訳するのは、それらはインド・ヨーロッパ語族として同じ語系に属していて、語源や語順を本質的に同じにしているし、かつ、民族的にも近接しているから、日本語に翻訳するよりも遙かに容易で、原作に忠実に訳しやすいように思われる。

ただ日本の多くの歌謡曲をみてもわかるように、歌曲においては、そこで歌われる詩自体は必ずしも優れている必要はない。むしろ、そこでは曲に一致していることが重要であって、詩としての洗練度はあまり問われない。

詩の内容は、愛することの悩みが歌われているらしい。こうした感情は万国共通で普遍的であるからこそ、外国産のこうした歌曲も私たちの共感の呼ぶのだろうし、そこに人類としての一体感も感じることもできる。

冬の野原が詩の舞台であるようで、そこで恋に悩む娘がマリアに祈る内容になっている。いかにもカトリックの国のイタリアにふさわしい。言語には民族や国民の固有の伝統や宗教の感情が分かちがたく結びついて表現されているから、そうした伝統や宗教的感情の異なる言語には翻訳するのはむずかしい。

英訳詞は誰が訳されたのかはもちろんわからないが、簡潔な力強い語句で、深い情感を現わしている。韻などは踏まれてはいないけれども、英語の詩的表現の情感の深さ、豊かさの一端を知ることはできる。

その後、ネットで原詩を探してみると見つかった。原文はイタリア語であるらしい。ドイツ語や英語なら何とかほんの少しぐらいなら意味をとれるけれども、イタリア語については全くだめである。誰かこの言語に堪能な人に訳し出していただければうれしい。                            

                                                  Vedi Maria

L'aurora, a ferir nel volto,
Serena, fra le fronde, viemme
Celato in un aspro verno
Tu viso, il sdego lo diemme

Silentio, augei d'horrore !
Or grido e pur non ô lingua...
Silentio, 'l amor mi distrugge,
Il mio sol si perde,
Guerra, non ô da far...

Vedi Maria
Vedi Maria
Ardenda in verno,
Tenir le, vorrei,
Il carro stellato !
Madonna...

In pregion, or m'â gelosia
Veggio, senza occhi miei
Il canto, ormai non mi sferra E, nuda, scalzo fra gli stecchi

Aspecto, ne pur pace trovo
E spesso, bramo di perir
Aitarme, col tan' dolce spirto
Ond'io non posso E non posso vivir...

Vedi Maria
Vedi Maria ( etc... )

Che è s'amor non è ?
Che è s'amor non è ?

Vedi Maria...
Vedi Maria...
Madonna, soccorri mi
 

 

 


 

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冬の山

2008年02月14日 | 日記・紀行


最近は全国的にも寒い日が続いているようだ。動物も植物も冬眠に入ったり、その葉を落としたり、太陽などの自然の運行はそうした生命の営みにも深い影響を与えている。それらは自然の摂理に支配されて生きている。ただ人間だけがそれから自由である。とくに精神だけは。しかし、より自然に近く存在する肉体はそうではない。体は凍てつき何事にも動きは鈍る。

先日めずらしく雪が降った。温暖化の影響か、都市化の影響か最近は昔ほどには雪の降る日も少なくなった。ひさしぶりに山にゆく。枯れ草などを倒していると、一羽の小鳥が舞い降りてくる。かまわずに作業を続けていると、小鳥が好奇心をもっていることにきづく。口笛で呼びながら近づいても、遠くへは飛び去ろうとしない。羽は深い緑紺青。何という鳥かはわからない。

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Vedi Maria(見て、マリア)

2008年02月13日 | 芸術・文化

インターネット オプションのフォントを、「MS P  ゴシック」か「MS P  明朝」にして見てください。

 

Vedi   Maria(見て、マリア)       Vedi   Maria  (Emma Shapplin

小枝の間から、                                    Between  the   branches  
飛び降りてきて私の顔をぶった。            Down  just   hit   my  face
そして、あなたは怒りをあらわにする。        And  anger  shows  me  yours
凍てつき、乾ききった冬。              frozen  in an   arid  winter
  静けさ。                             Silence
いやな小鳥たち。                      Birds  of  horror
私は口もきけずに叫んだ。                 I  shout  with  no  tongue
  静けさ。                         Silence
愛は私をうち砕き、                     Love  destroys  me
私のお日様もどこかに消えてしまう。        And my sun lost it's  way
だけど、私には戦いを挑む気持ちもない。 But  I  have  no  wish  to  wage  war
見て、マリア。                          See  Maria
見て、マリア。                          See  Maria
私は冬のさなかにも燃えているの。         I'm  burning  even  in winter
そう、私は止めたいの、               And   I    would   like  to  stop
駆けめぐる馭車座の星々を。              The  chariot  of   stars
聖母さま。                              Madonna
                      
嫉妬は私を虜にし、             Jealousy   is  holding  me  prisoner
私は眼に見ることもなく見る               And   I  see  without  eyes
この歌はもうこれ以上私を傷つけない。       This  song  hurts  me  no  more
私は裸足で走る。                       And  I  run  barefoot
野イバラの間を駆け抜けて。               among  the  brambles
私は待つけれど、安らぎを見つけられない。   I  wait  and  cannot  find  pease
ああ、どうすれば私は消えてしまえるの。       Oh  how  I  wish   could  perish
            
私はいくども叫ぶけれど、                    I  often    shaut
私は生きることも出来なければ死ぬことも出来ない。But  I  can  neither  live with
このような優しいマリアさまなくして。  Nor  live  without   Such  a  gentle  ghost
                                    
見て、マリア                           See  maria
見て、マリア                                                            See  maria

私は冬のさなかにも燃えているの。         I'm  burning  even  in winter
そう、私は止めたいの、               And  I  would  like  to stop
駆け巡る馭車座の星々を。               The  chariot  of   stars     
聖母さま。                              Madonna 

これは何?もし、これが愛でないとしたら、      What  is  this ,  if  not  love
これは何?もし、これが愛でないとしたら。      What  is  this ,  if  not  love

見て、マリア。                            See  maria
見て、マリア。                                                               See  maria
聖母さま、来て、私を救って。            Madonna     come   save  me !

 

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西澤潤一氏の教育論(3)

2008年02月09日 | 教育・文化

 

西澤潤一氏の教育論(3)


たしかに、西澤氏が論じられているように、南原繁氏や彼を継承した矢内原忠雄氏を総長に戴いたこの東大法学部は、その後丸山眞男氏やその後の奥平康弘氏や樋口陽一氏らに代表される「進歩的文化人」民主主義者たちの「神なき民主主義」と「国家論なき民主主義」の本拠地となった。しかし彼らの「民主主義」論の主張は、国民の野放図な欲望の解放とともに、国家意識なき国民を造り出し、ホリエモンのような「ユダヤ化」した日本人を生む一つの原因ともなった。(東大法学部出身の「官僚」たちの国家意識を見よ。)

これらの問題は奥平康弘氏らの現行「日本国憲法」擁護論とも関係するが、今はここでは論じることはできない。もちろん、半導体の理学者である西澤潤一氏にはこれ以上の論考を期待できないのだろうけれども、東大法学部の民主主義論者に対して直感的に氏自身なりの見識を示されているのだと思う。

西澤氏が指摘するように、このような「進歩的文化人」たちは理想主義者であり人類愛論者であるかもしれない。ただそこに問題があるとすれば、その理想に対する夢想のゆえに、冷厳な国際政治の現実や人間の本性が見えなくなっていることである。その結果として、国際政治の中で日本国のとるべき進路を冷厳に判断できない。理想と現実を峻別できないでいる。この点でより現実的な判断をもっているのは、むしろ、西尾幹二氏や櫻井よしこ氏らのいわゆる「保守派」の人たちであるだろう。かって一時風靡した「進歩的文化人」たちに対する信用の喪失により、最近になって言論世論における後退と衰微の傾向はやむを得ないものでもあるだろう。もちろん、それをもって日本国の「右傾化」を危惧する人々には今も事欠かない。

しかし、いずれにせよ、この産経新聞の「正論」の論客の中で、教育改革の問題を論じた識者の中に、国家意識の回復と倫理道徳の根幹としての「民主主義教育」を取り上げたものは誰もいない。それほどに多くの日本国民にとって、戦前の日本の「超国家主義」のその帰結と「戦後民主主義」の醜悪な現実とその実態にこりごりと言うことなのかもしれない。

しかし、事実として日本社会の「正常化」を――それは、西澤氏があげられているように、国家の防衛を他国任せにするとか、拉致問題を解決する意志も能力もない主権国家としてのゆがみであるが、――実現するためには、「真実の民主主義」に、いわば「理性的民主主義」に、イギリス・プロテスタンティズムに起源をもつ「古い民主主義」に国家国民の倫理道徳における教育的根拠を求める以外にないと思う。

それにもかかわらず、今日の教育改革の論議で、識者と呼ばれる人たちがそのことに誰も触れることがないのは、それだけ日本国民の民主主義に対する問題意識のなさやその自覚の水準を示すことになっているのではないだろうか。

この「正論」の識者たちが主張する徳育教育や道徳の教科化と、私の主張する道徳の時間における「民主主義教育の徹底」と異なる大きな点は、民主主義教育では、国民各個人の内心の価値観にはまず足を踏み入れないことである。それらは各個人の良心の自由に任せる。民主主義教育ではそういった内容の問題には立ち入らない。しかし、家庭や学校や企業やさらには国家などに規定されるルールについては、実定法、自然法を問わずいわゆる「」については徹底的に厳守させる。民主主義教育とは、いわばそうした社会的なルールを厳格に守らせるための形式を充実させることである。そしてさらに今に必要なことは、国民の自由の権利を保障し、その実現のために必要不可欠な国家についての自覚を、兵役の義務に代表されるような普遍的な義務意識を民主主義教育を介して回復してゆくことである。こうした根本の問題の解決なくして、教育問題や年金問題といった特殊な問題についても解決の糸口を見出すのはなかなか困難なのではなかろうか。


 


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西澤潤一氏の教育論(2)

2008年02月08日 | 教育・文化

すべての社会改革について言えることは、「破壊はたやすく創造は難しい」ということである。アナーキストやフェミニストたちは、家制度の破壊には成功したかもしれないが、それに代わる、より高い国民倫理の形成には失敗したと言える。そもそも、彼らにはそうした新しい創造への意欲はなく、破壊のみを欲したと言えなくもない。そうした破壊的改革論者の多くはその「改革」の結果に責任を感じない。

この論考で西澤氏が主張されるように、戦後から今日にいたる日本社会の混迷と分裂のその多くは、先の第二次世界大戦の日本の敗北に起因している。それほど先の戦争の敗北は、民族にとって大きな痛手となったということである。

歴史にイフは不可能であるとしても、もしあの戦争がなかったらと考えればどうか。それなりに落ち着いた「品位ある社会」であり続けたのではないだろうか。たしかに、もしあの戦争がなければ、果たしてこれだけ大きな国家的な変革は実現していただろうか。その意味でも、戦後の民主化は、日本国民の主体的な変革ではなく、「外圧」として上からの与えられた民主化だった。

その第一にして最大の問題は、その結果として国民から国家意識が失われるか、あるいは、それにゆがみをもたらしたということことだろう。それが戦前の反動であるかどうか否かその理由を問わないとしても、事実として国民の間から国家意識は失われてしまっている。

もちろんそれが戦後の日本において正しい国家意識の定着を避けることのいいわけにはならない。というのも国家とは何よりもそこにおいてはじめて国民の意志の概念が実現される場であるからである。国家は国民の特殊的な個人の権利などが普遍的な福祉によって調和させられる唯一の条件であるからである。

この要件を十分に充足しない現在の日本の現状が不完全なものであることはいうまでもなく、その結果としてさまざまな問題が生じているのである。この根本を是正することなくして、さまざまの改革は枝葉末節のそれにとどまるし、実現することはないだろう。

戦前の日本の国家形態が戦後のそれよりもすべて優越していたなどというつもりはない。たしかに、戦前には小作制度に起因する農村の貧困問題も存在したし、女性に参政権もなかった。実際戦争の敗北をきっかけとするのでなければ、それらの問題を日本国民が自力で解決できていたかどうかもわからない。


問題は西澤氏が述べられているように、その戦後の日本社会の改革が、太平洋戦争の敗北を契機としていたように、社会の内在的な発展の結果として行われるのではなく、性急でしかも主体的に行われなかったことである。

たしかに一部の官僚たちの間には、「進歩的な」労働法が準備されていたり―――先の南原繁氏などは内務官僚としてそれに少なからず関与していたのであろうが、また農地改革法の試案が作られたりしていたかもしれない。たとえそうであるとしても、戦後の改革が典型的な「外圧」によって行われたのも事実である。日本社会は外圧によらなければ何事も変わらないのである。明治維新も黒船の来航がきっかけだった。

たしかに明治時代にも自由民権運動はあったし、大正時代にも「大正デモクラシー」と呼ばれるような社会的な運動はあった。だから、戦前の日本社会にも、また伊藤博文たちが起草した戦前の大日本国帝国憲法にもそれなりに民主的な要素は含まれてはいたが、いずれにせよ、こうして戦後行われた戦後の「民主的改革」は日本国民によって自力で主体的に実現されたものではなかった。

戦後のGHQの改革の尻馬に乗ってというか、その機会に乗じてというか、戦後の「民主的」な改革に参画した一人に、西澤潤一氏が指摘されたように南原繁氏らがいた。南原氏が戦後の日本の教育改革にどのように寄与されたのかは、無知不明の私にはよくわからないが、南原繁氏らとともに並んで戦後60年の教育行政の基本となった「教育基本法」を中心になって制定したのは、田中耕太郎氏らであった。

この「教育基本法」は日本の教育問題の元凶のように一部の論者から憎まれたが、戦後60余年にわたって持続したのには、田中耕太郎らがこの教育基本法の制定をはじめとする戦後日本の教育の改革にかけた並々ならぬ執念の賜だった。主観的には彼らは、この教育基本法によって、戦前の日本の国家体制を精算しその弊害を是正しようと試みたのである。たしかにそれは一部実現されたと言える。その結果一部の復古主義者たちから批判を受けることとなった。しかし、たとえ戦後の日本の教育が荒廃しているとしても、それは、決してこの「教育基本法」が根本的な要因ではなかった。

南原繁も田中耕太郎もいずれもキリスト教徒であり、彼ら自身はしっかりとした倫理道徳の精神的な基盤をもっていたと言える。しかし、日本国民全体の観点から言えば、民主化とともに共産主義や社会主義思想が流行するとともに、従来の天皇制の権威は失墜し、学校教育の中からも教育勅語などが失われることになった。

とくに共産主義や社会主義の根底にある全人類的な抽象的な平和主義とマルクス主義の階級国家観の影響もあって、ブルジョア国家性悪説とともに日本国民から急速に国家意識が失われていった。その結果として、日本社会にとって従来の伝統的な倫理道徳教育の基盤がなくなっていったのである。そして、今日に至るまでそれに代わる全国民的な倫理道徳規準としての国家意識が形成されるにいたっていない。国家意識の形成なくしてまた倫理道徳の規準も確立されることはない。その意味では現在の日本社会の混乱と紛糾は理の必然として生じているといえる。

 

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西澤潤一氏の教育論(1)

2008年02月07日 | 教育・文化

先日の産経新聞のコラム欄「正論」に教育問題が取り上げられていた。半導体学者として有名な西澤潤一氏もそこで発言されている。日本では今、OECDの学力調査の結果をきっかけに、学生の学力低下問題などが大きな社会問題になっていることがその背景にある。資源小国の日本では、国民の資質のみが唯一の資源であるから、当然といえるかもしれない。人的資源の枯渇はそのまま国力の衰退に直結するからである。

西沢氏をはじめ多くの論者は徳育の教科への導入や道徳の教科書の採用をそこでも主張しておられるけれども、いずれも問題の根本的な核心をつく解決につながるような提案はなかったように思われる。

まず何よりも、「民主主義」教育を倫理道徳の根幹としてとらえる観点を示されておられる方が誰一人もいなかった。それほど、「戦後民主主義」に対する嫌悪感が強いということかもしれないし、あるいは、日本人における民主主義の水準を証明していることになっているのかもしれない。

もちろん、「民主主義」の確立のみが国民の文化的な問題の解決に役立つのではない。それだけでより完全な国家が形成されるわけではむろんない。西沢氏が述べられているように、ただ倫理道徳のみならず、歴史や芸術に対する素養などが国民の間に深く養われているのでない限り、とうてい「品格ある国民」として有機的な民主国家の完成は期待できない。

また、現在の学校教育上の問題が、その背景にある「資本主義社会」の弊害が学校社会にも降りてきているためであることも自明の事実である。だから、そうした背景にある社会問題の解決なくして学校教育の問題も解決することは難しいといえる。こうした観点からの本質的な問題点の指摘も、西沢氏の論考をはじめ、「正論」上の識者たちの論考中にも見られなかった。これは新聞のコラム欄という制約もあるからやむをえない面もある。

またしばしば教育の大きな問題として現在の受験競争が取りざたされるけれども、もちろん、「受験戦争」そのものが悪いとはもちろん言えない。人間社会に競争はなくならないし、「競争」にも意義があるからである。問題にすべきは「競争」の内容であり、無駄な「競争」を生んでいる公的教育の退廃と劣化である。それこそが教育改革の核心ではないだろうか。その一方で、いまだに残る国民の過度の学歴指向とともに、学校教育に多くの弊害を生む原因となっていることも事実だろう。

そこには国民全体の教育観そのものが問われているといえる。いったん受験に直接に不必要とされるにいたった場合、一人の国民として不可欠な歴史教育や道徳教育も二の次三の次にされてしまうのである。

それはさらには国民性の問題でもある。そこにはモンゴル人種特有の実利主義がさらに奥深い根底に存在しているといえるかもしれない。目先の利害を超越して真理そのものを指向するといった、たとえばインド人に見られるような、実利を度外視した強烈な形而上学への衝動は国民にはみられないのも確かだ。

そうしたさまざまな背景があるとしても、現在の日本がかかえる教育をはじめとする文化的な混乱のもっとも根本的な要因は、どこにあるとみるべきだろうか。

それは現在の日本国民全体に見られる「国家意識の欠落」の傾向とそれと関連する「民主主義教育の不全」に求められると考えている。これが現在の日本の教育問題の核心的な要因であると思われる。したがって、問題解決の方向としては、憲法改正を契機とする日本国民の国家意識の回復と、真実の民主主義の学校教育における徹底である。それによってしか、現在の日本社会が抱える諸問題のより根本的な解決は期待できないのではあるまいか。

「教育基本法」はすでに改正はされたが、単に「教育基本法」をいじくったからといって、現在の学校教育の諸問題の解決にはつながらない。因果関係の認識が間違っているからである。

もちろん現在の教育問題の現状をどのように見るかは、その評価の尺度をどこにおくかで結論も異なるだろうが、はたして現状をどこまで深刻に見るべきか。同じ産経新聞の「正論」でも、先に曾野綾子氏が日本の豊かさに対して皮肉を言われておられる。(【正論】新しい年へ どこまで恵まれれば気が済む 作家・曽野綾子

現実の問題としては、そもそも完璧な教育制度を期待する方が無理であり、六割方の成果を上げていればよしとすべきといえる(それすら過大な要求といえるかもしれない)。だから問題は、相対的にもっとも真理に近い教育制度とは何かであるだろう。

現状を全否定することも間違っていると思う。戦後教育や戦後の民主的改革についても評価すべきは正しく評価すべきである。戦前の教育を全否定して、より劣悪な教育制度を導入することになった戦後の教育改革と同じ間違いを繰り返してはならないだろう。戦後六十余年持続した南原繁氏や田中耕太郎氏らの労作である旧「教育基本法」の意義もきちんと評価すべきだ。持続するにはそれなりの意義があったからである。それを全否定するのも間違いである。

前置きはこれくらいにして、とにかく西澤潤一氏の論考を参考に、教育や文化の問題をもう少し検討してみたい。それによって現在の日本の教育問題を考える材料と見る観点が少しでもひろがれば幸いである。

西澤潤一氏の論考は次のようなものである。

引用

【正論】「教育改革」はどこへ 首都大学東京学長・西澤潤一2008.2.4

□硬直化した哲学は通用せず

 ■南原・丸山流の「理想論」を脱せよ

 ≪責任者の驚きの発言≫

 伊吹文明前文部科学大臣や山崎正和・中教審会長が昨年、相次いで「歴史教育は学校では要らない」とか「道徳教育は教科にはしない」といった発言をし、現在の狂った社会や家庭を生じた戦後教育を改めるために努力を続けてきた人たちを仰天させたことは記憶に新しい。

 その直後本欄にも市村真一先生(京都大学名誉教授)の反論が出て少々安堵(あんど)したものの、今時になっても、このような基本的な、しかも教育の最高責任者ともいうべき方々から対照的意見が出されたことに一驚した。

戦後の教育改革はあまりに急激であったこともあり、難点が出てきた。何よりも大きかったのは国家家族主義から家族主義、さらには利個主義にわたる、「全」から「個」への移動が急激に行われたことである。
 

 戦前の徴兵制はほかの国々でもみられ、特に日本だけということはなかったが、軍国主義が強烈だった。しかしそれが廃止されると一気に、自国の防衛すら米国任せ、ついには隣国から夜間上陸したやからに国民が拉致されるに至っても、国は何もしようとしない。

 国民の大多数はわが身が可愛(かわい)くて危険を冒さず、被害者の家族が立ち上がるまで何もしないという、世界で最も公的な束縛が弱く、それでいて個の主張の強い国になっていた。

 戦後の日本人は低賃金にもかかわらずよく働いた。その結果、高い経済水準が生み出されたが、かつて働くことが好きといわれた国民は、すっかり遊び好きになってしまった。当時は考えられなかった栄養過剰による健康障害者が続出しているというから、驚きである。

 ≪過去を反省し暴走を防ぐ≫

 社会の進歩を拒否することは許されない。しかし、周到な配慮を欠いた「進歩」は進歩を拒否するよりも恐ろしい被害をもたらすことがある。「昔」をよく反省、検討して暴走を予防しなければならない。

 戦後の教育改革のリーダー役をつとめたのは南原繁先生といってよかろうが、曲学阿世と批判されたことでも知られているように、日本の教育は大幅に米国型教育に移行した。天野貞祐先生らの日本文化を残そうという努力もむなしかった。

 最も激しいのは教科科目であった。当時、東大総長の南原先生はキリスト教徒だったこともあって、美濃部亮吉先生や丸山真男先生らと共に人格者としても知られ、率先して改革を実行した。家庭でキリスト教徳育がほどこされた先生方の家庭では改めて学校での日本式徳育の必要もなかったのであろう。

 しかし、それのない一般家庭では信念を失って、徳育はもっぱら学校に任すと考えることになった。さらにこうした教育で社会人になった父兄母姉が教育者側に立つようになるや、学力低下、犯罪が急速に社会に広がり、ひいては国力の低下まで心配される事態となった。

 このまま推移すれば、この傾向はいっそう強まり、拡散して社会崩壊をもたらす懸念すら生まれている。

 ≪「自分のもの」なくては…≫

 このような事態を招来したのが人格者である南原先生の教育改革である。かつて東大・安田講堂で警官隊に火炎瓶を投げていた学生らが籠城(ろうじょう)しながら、南原先生の後継者と目された丸山氏の哲学を読んでいたという記事が新聞に掲載されていたのを、いまさらながら思いだす。

 両哲学とも、人類愛にあふれ、それが若者の心を打ったのだと考えたが、年老いてなお、熱い情熱と共にロマンとして胸に抱きつづけている人も少なくないだろう。しかし、今日でも闘争回避の思想が、現実面で領土問題の解決を妨げたり、拉致問題の解決に打つ手なしといった事態を招いている要因となっていることが少なくない。

 ロシアのイワンの馬鹿は美談であるが現実ではない。他人事に理想論を振り回し、自己の問題になるまで考えを変えないということこそ、人類愛に悖(もと)ることを忘れてはならない。広げれば、理想論を守りつづければ自分自身の生命と生活の保障すら放擲(ほうてき)しなければならないことを覚悟すべきである。

 野中広務先生(元衆院議員)は「今の日本人には自分のものがない」といっておられた。自分の信念や考え方だろうが、どんな状況になっても、自分の信念を曲げない強さと共に、自分の考えを通し得るだけの対応の広さがなければならない。

 このためには、きれいごとだけをつないで、自分の哲学としているだけでは足りない。より練り上げて適用を練習しておく必要がある。日本人が、ものをうのみにして、考えない教育を実施してきた弊害がいま現れている。
(にしざわ じゅんいち)

引用終わり・・・・・・・・・・

まず氏の問題認識で共感できるとも思われる点を上げておこう。西澤氏は言われる。

まず、第一点は「戦後の教育改革はあまりに急激であったこともあり、難点が出てきた。何よりも大きかったのは国家家族主義から家族主義、さらには利個主義にわたる、「全」から「個」への移動が急激に行われたことである。」

たしかに、西澤氏が主張されるように、かっての日本の教育改革があまりにも性急で大胆であったために、たらいの水と一緒に赤子をも流してしまうように、戦争以前の教育制度がもっていた長所をも捨て去ることになってしまったのではないだろうか。

GHQは占領統治の目的の一つとして「日本国の民主化」をあげていた。その一環として、民法の改正が取り上げられた。そのことはあまり今日では反省や議論の対象にはなっていないが、そこで日本社会の国民生活の根本的な変革につながる改革が行われたのである。とくに家制度の消滅が日本人の倫理道徳意識に大きな影響を与えたことは疑えない。現在の日本人の倫理意識や学校や家庭の教育問題を論じるときに、こうした歴史的な背景を考慮に入れない論議は問題の分析を的確に行っているとはいえない。

日本国憲法の制定とともに、戸主権が廃止され、それに伴なって家制度がなくなった。しかし当時もこの問題をめぐって賛否両論が戦わされていた。法学者の間でも大きく議論が展開された。とくに、我妻栄氏や宮沢俊義氏ら、いわゆる進歩派の学者らは日本の家制度の廃止に積極的ではあったけれど、刑法学者の牧野英一氏らは日本社会の美風を損なうものとして猛烈に反対した。もちろんそれらの改正によって得たものもあれば失ったものもある。そうして、今日私たちが自明のものとしている完全な普通選挙権も、戸主権の消滅と同じように戦後の「民主化」とともに実現したものである。

今日では現行の民法の元での婚姻制度などの事実は歴史的にも自明のものとなっているし、過去の家制度がどういうものであったかも忘れられている。けれども、戦前にブラジルなどに移住した日本人などの間にはまだ家制度の気風の余韻が残っているようである。いうまでもなく、この家制度は明治時代の自然主義文学者たちが深刻な問題意識をもって批判的に描いたもので、当時の「進歩派」にとっては、また、女性解放運動家たちにとって、克服すべき改革の対象となっていたものである。

戦後GHQのもとで行われた社会改革の結果、家制度がもっていた日本の伝統的な倫理道徳的な秩序意識もおなじように崩壊してゆくことになった。

従来の日本の家制度は欧米の価値観や倫理観とは明らかに矛盾するものである。――とくに欧米ではキリスト教の倫理道徳が根底にあり、そこでは夫婦単位の家庭観が確立されていたが、そうした背景のない日本においては、戦後の民法改正の結果、教育勅語に代表される倫理道徳の価値観を実質的に担ってきた家制度の解消によって、国民的な倫理基準を日本国民は失うことになった。

 

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