作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

最近の政治問題2題雑感

2007年01月31日 | ニュース・現実評論

野党3党首が罷免要求、応じなければ審議拒否

イラク開戦は間違い」 久間発言に米が抗議 2プラス2開催に影響も

(一)民主党の審議拒否

柳沢伯夫厚生労働相が女性を「産む機械」とした発言について、抗議し、また、柳沢厚労相の罷免を要求したことは当然だとしても、だからといって、2006年度補正予算案審議を民主党がボイコットする方針を決めたのは間違いである。社民党などの他の野党が追随しているのも同じである。

小沢民主党の体質の古さ、この党の未熟で子供っぽい「民主主義」はどうしようもない。いまさら小沢氏に説教も無意味だから、正しい民主主義教育を受けた世代の成長と交代に期待するしかない。さりながら、民主主義教育も含めて、肝心かなめの青少年の教育は、周知のとおりの現状である。

安部晋三首相の予算審議ボイコットの野党批判は正当である。だから、民主党のせっかくの柳沢厚労相の罷免要求も無意味になる。この調子では、民主党が政権を担当できる責任政党になるのは、百年河清を俟つようなものだ。

(二)久間防衛相の発言

先の二十四日に、久間防衛相が「イラクに核兵器がさもあるかのような状況で、ブッシュ大統領が(イラク開戦に)踏み切った判断は間違っていたと思う」と発言したことがニュースで報じられた。それを聞いたとき、すぐ直観的に、現職の防衛大臣がこのような発言をするのは、まずいのではないかと思った。

もともと、この大臣は日本の自主防衛という根本的な問題意識を欠いた政治屋であると思っていたので、期待は元からなかったが、しかし、こうした発言をするようでは、日本の国防すら危うくさせるのではないかと思った。

日本の独立と自主防衛ということを切実な課題として少しでも自覚しているなら、必然的に核武装が問題になってくる。しかし、この久間防衛大臣は、そうした国家の独立の問題には全く無自覚で、日本の防衛をアメリカ任せにすることに何らプライドも傷つかない人物でありながら、一方でこうしたアメリカ批判を行なう。この大臣の精神構造はどうなっているのだろうか。アメリカを批判するなら、日本の自主防衛を完全に実現してからにせよ。これでは、それでなくともアメリカ人が潜在的に日本に対して抱いている根本的な軽侮を、さらに強めるだけではないか。

台頭する隣国、共産国家中国との関係で、これからどのようにして日本の自由と独立を保持してゆくか、その切実な課題を、おそらく長期にわたって覚悟しなければならない立憲君主国日本にとって、こうした大臣の存在はその最大の障害になりかねない。今でも中途半端な自由と独立を、これ以上に失えば、どれほどの悲劇を国民として覚悟しなければならないか。自由と民主主義を、みずからの血と汗で勝ち取ったことのない国民の政治家の、脳天気な気楽さかもしれない。

(三)にやけた安倍内閣

にやけた覇気のない官房長官、改革の意思の薄弱な幹事長。そして、こうした政治家しか閣僚にできない安部内閣。その一方で、野党である小沢民主党の、旧来の田中角栄張りの理念なき政治手法。先の期待できない教育再生。さらに、それらの根本にある大学劣化問題。二十一世紀の日本国の困難は決して小さくないと思う。誇りを失った国にならなければと思う。
根本的な救済は、小町人国家から民主的な武士道国家への転換にある。

 

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短歌をはじめるべきか

2007年01月30日 | 芸術・文化

短歌をはじめるべきか

先日の1月25日で終わってしまったけれども、日経新聞の毎週木曜日の夕刊に、「現代短歌ベスト20」と題して、佐佐木幸綱氏が入門講座を連載されていた。
第一回と第二回は記事も読んだはずだったけれど、さして興味も無く印象にも残らず、どんな内容だったかも忘れてしまった。調べればわかるはずだけれど、そこまでする気にもならない。

第三回の講座では、「口語・現代語のうねり」と題して現代短歌のかっての文語・古語の伝統からの変遷が語られていた。現代歌人として若山牧水も取り上げられ、彼の歌集『みなかみ』から、

  さうだ、 あんまり自分のことばかり考えてゐた、
  四辺(あたり)は  洞(ほらあな)のやうに暗い
 
という一首が取り上げられていた。和歌の中に読点を入れ、破調も極端で、こうした作品も現代語短歌の一つとされているらしい。伝統的な和歌の概念からすれば、おそらく、とうてい和歌とも呼べない作品だろう。

もちろん、若山牧水については、

  白鳥は  哀しからずや  空の青  海のあをにも 
  染まずただよふ  
                    『海の青』

といった学校教科書に掲載されていた歌などは記憶に残っている。紙面には、その他にも山崎方代、平井弘、林あまり、穂村弘ら四人の現代歌人の名前が取り上げられていた。こうした歌人は、短歌に造詣の深い人にはなじみの深い名前なのだろうが、和歌にはほとんど関心のない私には、いずれもはじめて聞く名前ばかりである。ただ私には、そんな現代短歌を詠んでみても、古い和歌のような豊かで深い情調を見出せず、よく分からない。たとい佐佐木幸綱氏が「現代短歌ベスト20」として取り上げていたとしても、賛同する気にはなれない。

私の知っている歌人とは、時々マスコミに登場する、黛まどかさんや(この人は歌人ではなく俳人だったか)、かって『サラダ記念日』で一躍有名になった、俵 万智さんとか、全共闘世代の女性歌人で大道寺なんとかさん(失礼ながらお名前を失念してしまった)ぐらいしか知らないし、そうした歌人、俳人の作品も実際にほとんど知らないような短歌音痴である。和歌については、西行のそれか百人一首か源氏物語や伊勢物語などの古典作品に登場するもの以外には全く関心はなかった。

ただ、それが少し心動かされたのは、「現代短歌ベスト20」の最後の第四回で、和歌と戦争とのかかわりのある和歌が取り上げられているのを読んだからである。  

その中で、佐佐木氏は三枝昂之氏の評論『昭和短歌の精神史』を紹介したあとで、『渡辺直己歌集』から、

     涙拭いて  逆襲し来る敵兵は  髪長き  
     広西(カンシー)学生軍なりき

     頑強なる  抵抗せし  敵陣に
     泥にまみれし  リーダーありぬ

という二句と、宮 柊二氏の歌集『山西省』から、

     おそらくは  知らるるなけむ  一兵の
     生きの有様を  まつぶさに遂げむ

を取り上げていた。これらの歌を詠んでいて、短歌の記録性と描写力に、あらためて感銘を受けた。短歌の専門家ではない私には、もちろん、これらの短歌の破調や音韻その他の表現技巧については評価できない。主観的な印象評価しか述べることしかできない。

ただ、これらの作品の中に、その歴史的な記録性と、それに遭遇した個人の心情が、さらに一昔前の流行語で言えば、人間の実存性が表現されていると感じたことである。とすれば、短歌によっても哲学の可能性を追求できるかもしれない。

また、ふだん絵画にせよ音楽にせよ芸術的な鑑賞からは遠い、論理と概念の世界に専念しようと志している者にとって、寸暇にでも芸術的な感興に浸れる短歌は貴重である。

それに西行などの作品をたんに分析、鑑賞するだけに終わるのではなく実作することによって、芸術的なあるいは宗教的な、さらには「哲学的」な「情操」をも記録し開発するのに有効であるようにも思われた。

それで、勇気を出して、恥の上塗りを覚悟で、実作を試みてみようかと思うようになった。また、それでブログの更新がマメになるかもしれない。その他、ボケ防止(短歌を専門に創作されている方には大変失礼)や思考の訓練にさえ、意義があるかもしれない。

西行や源氏物語、伊勢物語や百人一首その他古典に登場する和歌、短歌はいずれも歴史的で奇跡的な名歌がほとんどである。それはそれとしても、たんに散文的な記録だけではなく、心情の起伏などをもふくめた「生活」を、短歌によって記録し描写することもそれなりに意義があるようにも思われた。07/01/29

それで、せっかちな私は早速作ってみることにした。

姉歯建築設計事務所によるマンションの構造計算書の偽造事件が一昨年あったばかりなのに、また新たに、水落建築士の耐震偽装問題が持ち上がっている。その建築士が設計したホテルがたまたま京都にあって、それを実際に目にしたときの気持ちを題材に「詠ん」でみた。短歌のルールにも全く無知のまま推敲もろくにせず。

耐震偽装で話題になったホテルを、ビルの窓より眺めて詠む。

     冬空の  ビルの窓より  耐震の  
     偽装記事なる  ホテル眺むる

大原野を散歩していたときを思い出して詠む。

     冬枯れの  大原野行き  聖霊の
     白き鳩舞う  逸話思ほゆ

どうかお笑いを楽しんでいただくだけでも。誰か添削指導していただければ幸いです。時間に余裕があれば練習してゆくつもりですが。
熱しやすく冷めやすく飽きっぽい私が三日坊主に終わらずに済むかどうか。最後に、アメリカ映画を見ていたときに思い出した愛好の恋歌一句をお口直しに。 こんな和歌を作れたらうれしいのですが。

   難波江の  蘆のかりねの  一夜ゆゑ 
                        身をつくしてや  恋ひわたるべき                                                                                                                                                                                『千載和歌集』皇嘉門院別当

定年退職を迎えようとされている団塊の世代の皆さんも短歌をはじめられればどうでしょう。恥じ掻きの仲間が増える?

 

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ビッグバンと世界の二律背反――物理学者の世界観と哲学者の世界観

2007年01月24日 | 哲学一般

ビッグバンと世界の二律背反――物理学者の世界観と哲学者の世界観


ビッグバンの理論というのは、宇宙が爆発によって起きたにせよ、あるいは、無から物質が生じたにせよ、要するにこの説によれば、宇宙には始元があることを前提とする説である。果たして本当にそうなのだろうか。現代の物理学者たちのなかには、このビッグバンの世界観に異を唱えるものは一人もいないのだろうか。

もしビッグバンが事実であるなら、宇宙は時間と空間上の始まりを持つことになる。しかし、この見解は哲学史上は比較的に新しいのではないだろうか。古代ギリシャなどでは、むしろ、世界には始めも終わりもないという考え方が支配的ではなかったろうか。

世界は時間の始まりを持つと仮定すれば、時間の始まり以前の無時間の世界の状態をどのように考えるべきか。そこは時間が存在しないのであるから、世界も存在しないことになる。しかし、事物は時間のなかで継起するものである。時間のない世界では事物の継起は不可能である。だから、世界は時間の始まりをもたない。

しかし、もし世界が時間の始まりを持たないと仮定すればどうか。そのとき世界は、それまでに永遠の時間が経過していることになる。世界の事物は無限の継起の中にあったことになる。しかし、事物の存在は限界なくしてはありえない。だから、世界は何らかの時間の始まりを、時間的な始まりをもつ、すなわち有限である。このような推理は、ビッグバンの学説と矛盾しないし、むしろ裏付けるものである。

ビッグバンを主張する物理学者は、この一面の真理だけで世界を見る。


また、もし世界が空間の始まりを持たないとすれば、世界は同時に存在する事物の無限の全体である。しかし、この全体は部分の総合によって完成されたものであり、その完成のためには、無限の時間が必要である。しかし、無限の時間など不可能である。だから、空間は有限である。

しかし、世界が空間の限界を持つとすれば、世界は、限界のない空間のなかに存在することになる。限界のない空間とは関係を持つことができない。だから、世界は空間の限界をもち得ない。空間は無限である。

このように、哲学においては世界は、物理学と異なって、二律背反の世界である。この命題の証明は難しいが、それは、ちょうど光が粒子と波動の相反する二つの性質を本質としているようなものである。だから、哲学者はビッグバンを主張する物理学者のように、単に時間的に、あるいは空間的に一面的に世界を見ないで、二律背反する命題を統一において、その本質と概念から世界を見る。

哲学者は必ずしも天体望遠鏡をのぞいたり、最先端の現代数学を駆使するのではないけれども、私は哲学者の世界観を支持したいと思う。だから、物理学者たちの、ビッグバンの理論なども、その意義と限界において見るのであって、眉に唾を塗りながら耳を傾けるのである。果たしてどちらが世界の真実を捉えることができているのだろうか。

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冬枯れの大原野

2007年01月20日 | 日記・紀行

 

沓掛近くの柿農園畑から、京都の市街地を眺望。正面中央に京都タワーが見える。

バイクを修理に出さなければならなかったので、洛西のバイク店まで行く。その帰り、散歩がてらに自然歩道を歩いた。

例年にない暖かい冬で、一応の防寒の用意はしていたが、寒さはそれほど気にはしていなかった。とはいえ冬はやはり冬で、久しぶりに見る沓掛近くの農園の柿畑もすっかり葉を落としていた。冬枯れを免れているのは竹林くらいで、柿農園の多いこのあたり一帯はすっかり赤茶けた柿の木畑が続く。殺風景な畑の中で、農夫たちが、掘り起こした太い大きな柿の木の切り株をいくつか集めて、燃やしていた。その煙があちらこちらで、霞のように立ち込める。

やはり、徒歩が一番よい。路傍の植物などもゆっくりと眺めることができるし、時には手にとって観察もできる。

風景の真価はおそらく冬景色にあるのではないだろうか。春や夏や秋は、花や緑や紅葉などの色彩が豊かで、それらに目を奪われて、その土地のもつ地理自体の構造などにまで目が行かない。植物などが生い茂って、土地もそれらに覆い隠されて露にはならない。

しかし、冬は違う。花や葉はすっかり殺ぎ落とされ、樹木も土地もその裸の姿を露にする。もし、この風土に感情があるなら、そんな露な姿を見つめられて恥ずかしいにちがいない。

京都芸術大学の校舎の見える沓掛のあたりから、自然歩道を南に歩いて大原野の方面に向かう。

大原野あたりの里山は、源氏物語の行幸の巻の中に、雪の舞い散る師走のころに、殿上人や女官たちが冷泉帝のお供をして、鷹狩に出る様子が描かれている。そこで、紫式部は、冷泉帝に

  雪深き 小鹽の山に 立つ雉の  ふるき跡をも
  今日は  尋ねよ

と詠ませている。おそらく、紫式部もこの地を訪れたことがあり、その時の体験をもとに、この巻も描写されているにちがいない。かって、このあたり一帯は日本でも有数の風光明媚なところであっただろう。当時は師走にも雪が深く降り積もったこともわかる。

しかし、近代以降、日本のその他の多くの地方と同様、その殖産興業のために、その山紫水明は犠牲にされてきた。生活のためにやむを得なかったのだろう。今はビルや瓦屋根の民家が雑然と建ち並んでいる所も多い。


ただ、自転車で走っているときにはそれほど気がつかなかったが、道端の畑の中に、空き缶やペットボトルなどが、さらには、弁当の発泡スチロールが無造作に投げ捨てられているのも、少なからず目に付いた。歩いているとよく見える。

歴史的にみれば、このあたりの風土は今もっとも痛めつけられているのかも知れない。現代の日本人は自然にはそれほどやさしくはないのだ。自然にやさしくないということは、もちろん、お互いの人間どうしもやさしくはないということである。人間も自然の一部であるから。

もっとも美しい風土を与えられながら、醜い人間によって損なわれる。地上を支配する権限を人間は与えられているのに、その人間が悪しきときは、大地は呪われた地となる。神はいくど後悔されたことだろう。

しかし、いずれ、この地上に真実の宗教が行き渡り、誰も神を知れとも言わなくなったとき、そして、人が神と共に棲むときが来れば、この大原野の地も、かっての本当の美しさを取り戻す時代が必ずくる。それまでは、その美しい風光が一部破損されてしまうのも避けられない必然なのかもしれない。

真の科学と人間性が回復されるとき、そのときは、自然も人間もその真に美しい姿を回復するときである。もちろん、それはいつの日かは分からない。

冬枯れた景色のなかを歩きながら、あちこちに捨てられた醜いゴミを目にして、春や夏と違う感慨を持つことになってしまった。

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小野の篁の詩の事

2007年01月16日 | 芸術・文化

撰集抄  巻八

  第一  小野の篁の詩の事

むかし、嵯峨の天皇が、西山の大井川のほとりに、御所をお建てになられまして、嵯峨殿と申しまして、とても立派にご造営され、きれいにお作り飾られるのみでなく、山水や木立がこの上なく素晴らしく、とりわけ心に残るようでございました。如月の初めの十日のころ、御門のはじめての御幸のございましたときに、 小野の篁が、お伴たてまつり申しあげましたが、御門は篁をお召しになられて、
「野辺の景色を、すこし漢詩に作ってたてまつりなさい」との仰せがありましたので、篁はとりあえず、

  紫塵嬾蕨人拳手、碧玉寒葦錐脱嚢

とお作りもうしましたので、御門はとてもご感動なさって、宰相にめしあげなされました。多くの人を飛び越して、その位におつきになられました。このうえなく名誉なことでございましたでしょう。
それにしても、篁が逝去した後、大唐の国から白楽天の詩などが送られて来ましたが、

  蕨嬾人拳手、蘆寒錐脱嚢

という詩がございました。詩の趣は篁のと少しも異なりませんが、言葉はいささか違っていました。当時の秀才の人々が申されたのは、篁の句はさらにすばらしいとお褒め申し上げました。

まことに、心言葉がすばらしいです。わらびが紫色であるので曲がっているようです。曲がっているので物憂い様子です。これは、また手を握っているようにも見えます。物憂いものは首をかしげるという文が、高野の大師のお言葉にございます。碧玉の寒き蘆の生い出ています様子は、錐が嚢から出てくるのに似ています。紫塵に対するに碧玉、嬾い蕨に向き合っている寒き葦、まことに面白いです。宰相公に召し上げられた主君の御心もすばらしく、世の中を照らしている鏡に塵もつもらないで、人の芸能を評価することにも曇りはございません、とてもとてもありがたいことです。
ですから、人を多く出し抜いて宰相に連なられたのに、誰一人として、悪しく言う輩などございましたでしょう。

 

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今なお唯一の科学事典

2007年01月14日 | 哲学一般

 

今なお唯一の科学事典

 

辞書や事典の役割とは、言葉の意味、概念を説明することである。しかし、それだけではまだ真実に科学的な辞書ということはできない。科学的であるということは、その事柄の生成の必然性が証明されていることであるとすれば、その言葉や概念の生成や存在の必然性が証明されているのでなければ、本当の科学的な辞典ということはできない。

その意味では、真実に科学的な辞典は、私の知るかぎり、現在のところほとんど見当たらないといえる。現在発行されているほとんどの辞典は、あいうえおの50音順か、ABCのアルファベット順に言葉の意味が説明されているにすぎない。それぞれ互いに必然的な関係を持たないさまざまな項目が、無自覚に配列されて説明されているだけである。

たとえば「植物」という言葉は、自然界に客観的に存在するさまざまな「植物」の実在なくして、その言葉や概念の生成は考えられない。「事」は「言」でもあるが、多くの通俗辞書では、もちろん、その言葉、概念の生成される必然性が説明されているわけでもない。また、その言葉と他の言葉、たとえば「動物」の関係についても必ずしも説明されているわけでもない。言葉が、主なる神の創造になられた世界の事物に付せられた呼び方であるとすれば(創世記3:19)、言葉の配列は、事物の生成に対応していなければならないはずである。


そういう意味での真実に科学的と呼べる辞事典は、残念ながら私の知るかぎり、ヘーゲルの哲学体系そのもののほかには知らない。科学的な辞書が、その言葉の、概念の生成の必然性を証明したものであるとすれば、ヘーゲルの哲学体系そのものが、真の科学辞典であるといえないことはない。それは概念の生成の論理的な必然性を論証しようとしているからだ。


単なる学問が科学であろうとするかぎり、それは体系的である。体系的であるとは、それぞれの概念の必然的な関係が証明されていることである。ヘーゲル哲学の科学性は、何よりもその体系的性格に現われている。かりに、彼の哲学体系そのものは、その詳細と具体性において辞書というイメージに合わないとすれば、少なくとも、その要約である彼の『哲学百科事典』(エンチュクロペディー)こそが今日に至っても、もっとも科学的な事典であるということができると思う。


ヘーゲルと同じ問題意識を共有しない日本の学者たちによって編集され発行されている『ヘーゲル用語事典』などが、それが真実に弁証法的な科学的な事典になりえていないことは、その無自覚で悟性的なその語彙概念の配列からもわかることである。こうした事典がたとえば『弁証法』という用語の正しい説明をなしえていないことは明らかである。彼らの弁証法は必然性の追求のない、ばらばらに切り離された死に物である。事典の編纂者たちはその思うところを行なえないでいる。たとえ悟性的に配列されているとはいえ、それはそれなりに意義はあるとしてもである。

今にしてなお、真実の科学(=哲学)事典を読もうとすれば、『哲学百科事典』(エンチュクロペディー)そのものにじかにあたるしかないのではないか。真実の弁証法についての説明は、弁証法的に体系的に構成された辞書によってしか行なえない。もちろん、個々の項目については、現代にいたるまでの個別科学の進展によって、限りなく深化、発展させられている。しかし、科学的な世界観の骨格としては、今なおこれを乗り越えるものが、この事典の他にあるだろうか。

 

哲学百科辞事典(Meine Enzyklopeadie)               夜明のフクロウ

 

 

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日本の内なる北朝鮮

2007年01月12日 | 教育・文化

かって在日朝鮮人が歓喜雀躍して帰国運動に従事し、祖国再建に希望をもって北朝鮮に夢を抱いて渡っていった頃にくらべれば、もはや北朝鮮の評判は地に落ちてしまったといえる。マスコミなどから折に触れて伝えられる北朝鮮についての情報が、飢餓や脱国、拉致などについてのニュースばかりであるから無理もない。

わが国で北朝鮮への帰国運動が行なわれていた当時にあっては、社会主義体制と資本主義体制が世界を二分するいわゆる冷戦構造がまだ揺るぎもせず、まして崩壊するなどとは誰にも予想できなかった時代である。日本の国内の政治も、当時の世界のイデオロギーを反映して、社会党と自民党が国会を二分するいわゆる55年政治体制のもとにあった。

朝日新聞や岩波を中心とした「知識人」たちに、中国の文化革命や北朝鮮の千里馬運動を理想社会実現の試みとして共感し支持する者も少なくなかった。社会主義や共産主義に対する夢がまだ見られていた時代だった。学校教育の中でも、とくに日教組に属する教員のなかには共産主義者が少なくなかったし、彼らも自民党の教育行政と鋭く対立、拮抗しながら、一方で戦後の日本の教育のあり方を規定してきた。


戦後の日本は、朝鮮やドイツのように同じ民族がイデオロギーによって社会主義国家と自由主義国家に分断されることは免れたものの、同じ国内に二つの分裂国家を抱えていたようなものである。社会党や共産党と自民党が敵対的なイデオロギーで対立しながら、戦後政治を行なってきた。

公式には現在の北朝鮮は社会主義国家ということにはなっているけれども、かっての毛沢東中国と同様、その実質は封建的儒教国家とでも呼ばれるべきものだろう。そこでは国民大衆がまだ自由の意識を形成しておらず、自由な社会の上に形成された国家ではないからである。国民大衆が自由に解放されていない社会では、国家のその理論的な骨組みを社会主義に求めようが民主主義に求めようが、その実体は不自由な社会であることには変わりはないのである。


その点では、中国も朝鮮も日本もその民族的な資質という点では、類縁関係にある。いずれも儒教的な文化圏に属し、家父長的な封建体制の下に権威主義的な文化に長い間民衆が生活してきたという点では同じである。中国においては毛沢東の個人崇拝は今ではそれほど露骨ではなくなっているが、その芽はなくなってはいない。北朝鮮における個人崇拝は相変わらずである。これらの諸民族は自由についての経験も浅く、全体主義に馴染みやすい傾向をもっているといえる。

この傾向は、何も朝鮮や中国だけの話しではない。戦後は曲がりなりにも、日本では自由と民主主義を国是として運営されてきたので、それほど露骨な全体主義的な動向は見られないが、国民や民族の資質として、全体主義に馴染みやすい体質をもっていることは明らかである。


多くの自称共産主義者や社会主義者、平和主義者たちは自分たちの思想を狂信して、他者がそれ以外の信条をもつことを否定する傾向があるのもそうである。たとえば、今一部に存在する「日の丸」や「君が代」の否定論者たちは、その狂信的な、不自由な意識からすれば、彼らがひとたび強制的な権力を手にすると、現在の石原東京都知事以上の思想統制を実行するのではないだろうか。社会主義者や共産主義者が実際に国家権力を手にした諸国での歴史的な経験も、そうした事実を教えているのではないだろうか。自由を尊重する精神に欠けるという点では、右翼も左翼も同じ民族の体質として変わりはないのである。


戦後の日本国民は一応は建前としては、自由と民主主義国家に生活しているとはいえ、自由と民主主義の教育が十分に実行されてきたとはいえないし、その自由の意識が国民に十全に確立しているとも思えない。戦後の日本の教育が共産主義者の日教組と皇国史観の自民党文教族によって担われてきたために、学校教育での自由と民主主義の教育がはなはだ不十分であるという事実は自覚されていない。


民族の体質としては、全体主義の色彩を強固に残している。それは、教育や人間関係、宗教などの文化に刻印されていて、条件さえそろえば、かっての中国の文化大革命の熱狂が、再現されるようなものである。民族の体質としての全体主義的な傾向を完全に克服し切れているものではないと思う。


戦後の学校教育が自由と民主主義教育において十分にその責任を果たして来なかったことは、いわゆる有名大学の卒業生たちがオーム真理教などに対して何らの免疫力も持ちえていなかったことからも明らかである。その傾向は現在も改善されてはいない。

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日本の内なる北朝鮮

2007年01月12日 | ニュース・現実評論

日本の内なる北朝鮮

かって在日朝鮮人が歓喜雀躍して帰国運動に従事し、祖国再建に希望をもって北朝鮮に夢を抱いて渡っていった頃にくらべれば、もはや北朝鮮の評判は地に落ちてしまったといえる。マスコミなどから折に触れて伝えられる北朝鮮についての情報が、飢餓や脱国、拉致などについてのニュースばかりであるから無理もない。

わが国で北朝鮮への帰国運動が行なわれていた当時にあっては、社会主義体制と資本主義体制が世界を二分するいわゆる冷戦構造がまだ揺るぎもせず、まして崩壊するなどとは誰にも予想できなかった時代である。日本の国内の政治も、当時の世界のイデオロギーを反映して、社会党と自民党が国会を二分するいわゆる55年政治体制のもとにあった。

朝日新聞や岩波を中心とした「知識人」たちに、中国の文化革命や北朝鮮の千里馬運動を理想社会実現の試みとして共感し支持する者も少なくなかった。社会主義や共産主義に対する夢がまだ見られていた時代だった。学校教育の中でも、とくに日教組に属する教員のなかには共産主義者が少なくなかったし、彼らも自民党の教育行政と鋭く対立、拮抗しながら、一方で戦後の日本の教育のあり方を規定してきた。

戦後の日本は、朝鮮やドイツのように同じ民族がイデオロギーによって社会主義国家と自由主義国家に分断されることは免れたものの、同じ国内に二つの分裂国家を抱えていたようなものである。社会党や共産党と自民党が敵対的なイデオロギーで対立しながら、戦後政治を行なってきた。

公式には現在の北朝鮮は社会主義国家ということにはなっているけれども、かっての毛沢東中国と同様、その実質は封建的儒教国家とでも呼ばれるべきものだろう。そこでは国民大衆がまだ自由の意識を形成しておらず、自由な社会の上に形成された国家ではないからである。国民大衆が自由に解放されていない社会では、国家のその理論的な骨組みを社会主義に求めようが民主主義に求めようが、その実体は不自由な社会であることには変わりはないのである。

その点では、中国も朝鮮も日本もその民族的な資質という点では、類縁関係にある。いずれも儒教的な文化圏に属し、家父長的な封建体制の下に権威主義的な文化に長い間民衆が生活してきたという点では同じである。中国においては毛沢東の個人崇拝は今ではそれほど露骨ではなくなっているが、その芽はなくなってはいない。北朝鮮における個人崇拝は相変わらずである。これらの諸民族は自由についての経験も浅く、全体主義に馴染みやすい傾向をもっているといえる。

この傾向は、何も朝鮮や中国だけの話しではない。戦後は曲がりなりにも、日本では自由と民主主義を国是として運営されてきたので、それほど露骨な全体主義的な動向は見られないが、国民や民族の資質として、全体主義に馴染みやすい体質をもっていることは明らかである。

多くの自称共産主義者や社会主義者、平和主義者たちは自分たちの思想を狂信して、他者がそれ以外の信条をもつことを否定する傾向があるのもそうである。たとえば、今一部に存在する「日の丸」や「君が代」の否定論者たちは、その狂信的な、不自由な意識からすれば、彼らがひとたび強制的な権力を手にすると、現在の石原東京都知事以上の思想統制を実行するのではないだろうか。社会主義者や共産主義者が実際に国家権力を手にした諸国での歴史的な経験も、そうした事実を教えているのではないだろうか。自由を尊重する精神に欠けるという点では、右翼も左翼も同じ民族の体質として変わりはないのである。

                                                                                
戦後の日本国民は一応は建前としては、自由と民主主義国家に生活しているとはいえ、自由と民主主義の教育が十分に実行されてきたとはいえないし、その自由の意識が国民に十全に確立しているとも思えない。戦後の日本の教育が共産主義者の日教組と皇国史観の自民党文教族によって担われてきたために、学校教育での自由と民主主義の教育がはなはだ不十分であるという事実は自覚されていない。

民族の体質としては、全体主義の色彩を強固に残している。それは、教育や人間関係、宗教などの文化に刻印されていて、条件さえそろえば、かっての中国の文化大革命の熱狂が、再現されるようなものである。民族の体質としての全体主義的な傾向を完全に克服し切れているものではないと思う。                                                                                                                
戦後の学校教育が自由と民主主義教育において十分にその責任を果たして来なかったことは、いわゆる有名大学の卒業生たちがオーム真理教などに対して何らの免疫力も持ちえていなかったことからも明らかである。その傾向は現在も改善されてはいない。

 

 

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詩篇第百三十三篇註解

2007年01月10日 | 宗教・文化

詩篇第百三十三篇

都のぼりの歌。ダビデの。

見よ、何と善く、何と楽しいことか。
兄弟たちが仲良く共に座っている。

頭に注がれるかぐわしき油が、
髭に流れ、アロンの髭に滴り、
彼の着物の袖口にまで流れ滴る。

ヘルモン山の露が、
シオンの山々に滴り流れるように。
まことに、そこで主は祝福を永遠の命さえも約束せられた。

詩篇第百三十三篇註解

すべての詩篇の中で、いや聖書全巻の中でも、もっとも貴重な一篇といえる。ここに人類の理想があり夢が尽きるといってもよいかもしれない。兄弟たちが仲良く食卓を囲んで語らっている。その楽しさは体験し記憶されているだろう。

人間がただ人間であるということだけで、楽しく食卓を共に囲み、歓談と談笑にふける。そこには宗教の差別も、人種の差別もない。

私たちはこうした姿がいつの日か地上に実現される日の来ることを恋い願ったことだろう。しかし、そうした日はいつことになるか、人類は罪と涙と共にその日の到来を待ち焦がれるだけなのだろうか。それとも、主はそこで永遠の命と祝福を約束されたのだから、それを信じて待つべきか。

たとえ、私たちの幾世代においては地上での実現は難しくとも、天上においてはそうした楽しき食卓は叶えられるにちがいない。

アロンとはモーゼの兄で、主の命によって油注がれて初代の祭司職に任ぜられた。モーゼたちの兄弟に対する主の祝福と見ることもできるが、必ずしも限定的にではなく、一般的な象徴と解してよいと思う。

エルサレムへの巡礼の折などに歌われたらしい。

 

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防衛庁正門の看板

2007年01月08日 | ニュース・現実評論

掛け替えられる防衛庁正門の看板

今日、防衛庁の看板が書き換えられたらしい。残念なことに国防省とは書き換えられなかった。国軍の名称としては、防衛軍や自衛隊、防衛省よりも、国防軍、国防省の呼称が適切であることの論拠については先に主張したとおりである。

 

首相のブレインに安岡正篤などがいなくなった現在の政権トップには、そんな言語感覚も問題意識もない。内閣官房や防衛庁に進言はしたのだが、政治家と国民多数が私と同じような判断に高まらないことには私のような無名の意見は無視されて現実のものにはならない。現在の日本の政治家の意識も国民の意識の水準も残念ながらこの程度であるからし方が無い。

まともな自由の意識も十分な独立の精神ももたない二流、三流の政治家と国民に対しては、引き続き我慢強く啓発し教育してゆくしかないのだろう。これは二流三流国家に生まれた宿命であるから仕方がない。

ただ歴史の評価に対してだけは謙虚にならなければならないと思う。
もちろん、私は私の判断に絶対的な確信は持っているが、それについて歴史がどう評価するかは私には分からない。だから、ここにその記録だけは残しておこうと思う。

 

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