作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ヘーゲル『哲学入門』第二章 国家社会 第二十六節 [法律について]

2021年03月31日 | 哲学一般

 

§26

Das  Gesetz (※1)ist der abstrakte Ausdruck des allgemeinen an und für sich (※2)seienden Willens.

法律は、本来的に存在する普遍的な意志の抽象的な表現である。

第二十六節

Erläuterung.
説明


Das Gesetz ist der allgemeine Wille, insofern er es nach der Vernunft ist. Es ist dabei nicht notwendig, dass jeder Einzelne bloß durch sich diesen Willen gewusst oder gefunden habe. Auch ist nicht nötig, dass jeder Einzelne seinen Willen erklärt hatte und dann daraus ein allgemeines Resultat gezogen wurde. 

法律は、それが理性によるものであるかぎりにおいて、普遍的な意志である。その際に、各々の個人がただ自分でこの意志を知ったとか、あるいは見つけだしたかどうかといったことは重要ではない。また、各々の個人が自分の意志を説明して、そうして、そこから一つの普遍的な結論が導き出されたといったことも重要なことではない。

Es ist deswegen in der wirklichen Geschichte auch nicht so zugegangen, dass jeder einzelne Bürger eines Volkes ein Ge­setz vorgeschlagen hätte und dann durch gemeinschaftliche Beratung mit den andern über das Gesetz übereingekommen wäre. 

だから実際の歴史においても一つの民族の市民の各々が法律を提案し、そうして他の人との共同の話し合いを通して法律について合意にたっしたということもなかった。

Das Gesetz enthält die Notwendigkeit der rechtlichen Verhältnisse gegen einander. Die Gesetzgeber haben nicht will­kürliche Satzungen gegeben. Es sind nicht Bestimmungen ihres besonderen Beliebens, sondern sie haben durch ihren tiefen Geist erkannt, was die Wahrheit und das Wesen eines recht­lichen Verhältnisses ist.

法律には、お互いに対する法的な関係の必然性が含まれている。立法者はかって気ままに法令を与えたのではなかった。法律は立法者の特別な都合による規定ではなくて、むしろ立法者は彼らの深い精神によって、法的な諸関係について何が真理であり本質であるかを認識したのである。

 

(※1)
前節§25においても明らかにしているように自然状態についてのヘーゲルの基本的認識は「暴力と不法の状態」である。したがって人間は必然的に「自然的状態」から「理性的状態」へと移行してゆかなければならない。
この「理性的状態」を担保するのは、本節§26で論じる「法律(Gesetz)」である。この法律は国家において現実的なものとなる。

 

(※2)an und für sich  について、どのように訳すべきかについては、以下で論じた。
「an und für sich」をどう訳すべきか - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/tPnAPg 

 

ヘーゲル『哲学入門』第二章 国家社会 第二十六節 [法律について] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/T0W42r

 

 

 

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朝寒に 蕾もかたし

2021年03月23日 | 日記・紀行

2021(令和3)年3月23日(火)晴。
  
 朝寒に  蕾もかたし

 四月を目前に迎えても、今朝は寒く風も冷たかった。それでも今年も桜の季節がやってきました。人間の世界には大統領選挙とか、武漢ウィルス騒ぎとかウィグル問題とか尖閣侵入とか話題にもこと欠きませんが、自然のサイクルはやはり偉大で人の思惑を超えています。

その開所と時を同じくして、 先端医療研究所の前に植えられた銘木らしいまだ若い桜木も、早朝に見たときにはまだ枯れ木のままのようでした。それなのに、お昼過ぎごろにふたたび見ると、たった四、五時間しか経過していないはずなのに、明るい日差しのもとに熱を感じたせいか、蕾も綻びて花が咲き初めているのが見えました。

 高速度カメラなら視覚的に、開花に至るまでの植物の動的な変化や運動もとらえることもできるのでしょうが、人間の肉眼にはとらえることができません。

 それなりに由緒のある桜なのか、去年の満開の折には遠目に春の光を浴びた花びらは銀粉をまぶしたように輝いて見えました。
  
 朝寒に  蕾もかたし  紅ざくら

     昼陽をあびて  花ほころびぬ

 

 

 

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リコちゃんの一日

2021年03月20日 | 日記・紀行

2021年令和3年3月20日(土)春分の日、晴。

リコちゃんの一日

人間であれイヌやネコたち動物であれ、地球上の生命である限りそれぞれの生命がもつ寿命は限られているし、その一日も24時間と限られています。また社会の中で一定の部署を占め、さまざまの職業を通して市民生活に参加し、国民生活の生業の一端を責任をもって担ってそれぞれに社会人となった大多数の人々にとっても、その日々の生活のルーティンはおおよそ決まっているのが普通のことでしょう。

冒険家であることを職業とする人や大震災に遭遇したりするとかがなければ、大抵の普通の人たちは朝はほぼ決まった時間に起床し、通い慣れた道をたどっていつもの駅に行き、定刻に来る電車に乗って職場に向かうなど、人それぞれさまざまでしょう。夜にもなれば仕事上の困難や軋轢などを思い出しながら家路をたどります。

小学生たちなら母親から眠い朝寝を急かされて寝床から引き離され、いつも通い慣れた通学路を歩いて小学校に行き、教室や校庭で担任の先生や校長先生の話を聞いたりし、昼休みには運動場で遊んだりして一日を過ごします。時には喧嘩やいじめなどもあって小学生なりに大変なことや小さな変化は日々あるのはいうまでもないけれど、一日24時間の生活の大枠には日々大きな変化もないのが普通でしょう。ともあれ赤ん坊から老人に至るまで世間には人それぞれの一日があります。

イヌにも当然に24時間の一日があります。しかし言葉ももたず記録も残せないイヌのリコちゃんに代わって、彼女の一日を記録しておきます。

さすがに春分の日を迎えた今日ここしばらくはずいぶん暖かくもなり、桜の咲き初めのニュースも珍しくはなくなりました。コロナ騒ぎのあった寒い冬の間にはストーブのある暖かい部屋で過ごしていました。8時頃には小用を兼ねて朝の散歩に連れて行ってもらいます。そして、昼ごろまで家の中をウロウロしたり、おやつをもらったり、見知らぬ人影が戸口に現れたりすれば大きな声で吠えて番犬の役目も果たします。

お昼過ぎになって2時か3時頃にはまた散歩に連れて行ってもらいます。近所の賀茂川ベリでは知り合いのイヌたちと出会ったり、その飼い主さんからおやつのお裾分けをいただいたりして帰ります。

そして、やがてお昼を過ぎて夕方が近づいてくると、暖かい部屋から廊下に出て玄関のガラス戸を眺めながらある人の帰りを待ちます。その人の人影が見えると、時には大きな声で吠えながら、廊下の床を爪でかき鳴らしては全身でそのうれしさをあらわします。

毛が伸びて汚れたり見苦しくなったときにはイヌの美容院にも連れて行ってもらいます。毛がよく抜け落ちるので掃除にはめんどうもかけています。また、ときどきお漏らしをして叱られたりもします。

リコちゃんの日々はどちらかと言えば単調で大きな変化もありません。一日の生活時間もだいたいこんなものです。去年の夏にはバテて食欲もなくしたこともありましたが、今のところ年齢のわりには病気もなく元気に毎日を過ごしています。

 

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クアッド同盟、アジア版「NATO」建設へ

2021年03月15日 | ニュース・現実評論

クアッド同盟、アジア版「NATO」建設へ

                          https://www.sankeibiz.jp/images/news/210310/mca2103102137018-p1.jpg                                             [尖閣諸島。手前から南小島、北小島、魚釣島=沖縄県石垣市(鈴木健児撮影)](https://www.sankeibiz.jp/images/news/210310/mca2103102137018-p1.jpg)

 



外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)が明日の16日に東京で開かれます。
この会議では先月の冒頭に中国政府の施行した海警法を議題として取り上げ、同法に対する日米両政府の「懸念」を明記することになっているらしい。

しかし、「尖閣諸島」周辺領海への侵入を「懸念」の表明だけですますことのできる段階は、もうとっくの昔に過ぎ去っています。かっての民主党政権は中国を恐れて、尖閣諸島への中国漁船の侵犯、衝突事件さえ隠そうとし、領海侵犯した偽装漁民を不起訴にして、日本の法治国家としての原則を曲げ、その後の日本の対応をより困難なものとしてしまいました。そして挙句の果てに今日に至っては中国にも完全に侮られなめられてしまって「海警法」まで制定されてしまう始末です。

いずれにしても、中国共産党政府による尖閣諸島その他への侵略は既定の事実ですから、明日の安全保障協議委員会(2プラス2)の会議では、「東シナ海・南シナ海における現状を変更しようとする一方的な試みに関し、深刻な懸念と強い反対を表明」などの懸念の表明にとどまっていないで、クアッド諸国によるアジア版「NATO」の結成に向けて、日本はさらに強力なリーダーシップを取るべきでしょう。

そして、「破綻した思想である共産主義の信奉者」(ポンペオ)であり、全世界にとっての災厄以外のなにものでもない中国共産党政府による尖閣諸島への軍事介入に備えるとともに、その軍事侵略の際には、圧倒的な制圧力をもって初期段階において排除し、かっての日清戦争や日露戦争のように侵略国家の政治体制の崩壊へとつなげてゆく必要があります。



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