作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

六月の青い田

2009年06月14日 | 日記・紀行
六月の青い田

所用を済ませた帰り、時間があったので散歩がてら、気の赴くまま自転車を走らせた。

団地の中に入る。広い団地で、はじめて見る路地も多い。今日たまたま通りがかったところもはじめて来た。新しい発見がある。とは言え、この世界の広大無辺に比べれば、個人がその生涯の間に体験できる領域とは、きわめて限られている。私などは自慢ではないが、この狭い日本からすら出たこともない。


無限の多様性に満ちたこの世界を、自らの感覚によって捉えることのできるのは、そのごく一部だけである。哲学者カントなども、その生涯に生まれ故郷のケーニヒスベルクをほとんど出たことがないそうだ。井の中の蛙のように生涯を生きたということである。ただ、自らの棲息する井戸を深く掘ったということができるかもしれない。たとい全世界を回遊しようとも、ミーハーにはミーハーの世界しか映らない。

いまだ太平洋の深海を覗いたこともなければ、まして、銀河系の外がどのように成っているのかすら、厳密な意味ではわかってはいない。無限を前にしては、人間の寿命もカゲロウの寿命も差はない。人間もカエルも地球の表面に蟻のようにへばりついて生きている。



東海道自然歩道の途中で、淳和天皇陵、花の寺、金蔵寺への標識の立っている地点まできて、それを見て金蔵寺の方に進路を取る。

途中に見る田圃もすでにほとんどが田植えを済ませていた。稲田が夕日に映える。燕が群れをなして舞っている。今年もすでにそういう季節に入ったのだ。
菖蒲かアヤメか、遠くにその面影も見てもその盛りはすでに過ぎたようだ。葵のピンクの花が畦を飾っていたりする。

石作町に入る。その名の通り、奈良や平安の昔にはこのあたりには石工たちが住んでいたのかもしれない。竹取物語に登場する五人の貴公子の一人、石作皇子にゆかりのある土地柄である。昔から竹林で有名でかぐや姫の伝説もある。この石作皇子は、石の「鉢(恥)」を捨ててまで求婚したのにかなえられなかった。






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映画「亡国のイージス」を見る

2009年06月14日 | 芸術・文化

映画「亡国のイージス」を見る

6月14日のテレビで「亡国のイージス」という映画を見た。もちろん、娯楽作品ではあるけれども、曲がりなりにも、わが国の国防についての問題提起をおこなっている作品であるとは言える。言うまでもなく、イージス艦はレーダーや最新の情報処理システム、対空ミサイル・システムなどを装備した現代科学の粋を集めて建造された艦艇である。

しかし、イージス艦のように、たとえどれだけ軍事科学の粋を集めて建造された軍艦といえども、それは守るべき価値ある国家、国民が存在してこそのイージス艦であって、この前提のない国家国民が所有する軍艦など、軍事産業屋の金儲けのネタか軍人の高級玩具になり終わるにすぎない。

根本的に重要なことは、価値ある国家の形成、守るに値する文化、伝統、自由を尊重する人間の存在である。戦後民主主義の日本人には、せいぜい守るべきものがあるとしても、それは営々と蓄積してきた富のほかにはないのではないか。たしかに、多くの人間にとっては、富のみが守るに値する。

映画「亡国のイージス」が公開された2005年は、戦後60年という巡り合わせもあって、「男たちの大和」「ローレライ」などの軍隊物映画が公開され、その後も「出口のない海」などの戦前の日本軍を回顧するような作品も発表されている。このような傾向を、日本の「右翼化」として「憂慮」する人たちもいるようである。

しかし、戦後60年が経過して、文化の植民地化が徹底的に浸透した現代の日本においては、戦前の日本を描こうにも、それを演じきれる人間、俳優がいない。香港やフィリッピンその他かつての被植民地などに多く見られる、無国籍アジア人の体質をもった俳優には、戦前の日本人やまして旧大日本帝国軍人などはもう演じられなくなっている。そこまで文化的な断絶が深くなっているということである。



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