作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

桜並木と比叡山

2017年04月10日 | 日記・紀行

       

2017年平成二十九年四月十日(月)翳

二年ほど前からですが、荒神橋あたりから上高野あたりまで、鴨川の川端沿いを仕事で、四キロメートルぐらいの道程でしょうか、賀茂川の川端沿いを走っています。それで冬枯れの季節から昨今の桜の満開の季節へと、さらにこれからやってくる新緑の若葉へと桜並木の変貌する様相を日々眺めることになります。

とくに春になって開花の時期が迫ってくると、それまでの冬枯れの桜並木の樹木全体にやがて赤みを帯びて来ます。そしてある日一夜にして開花します。

昨夜の日曜日には、台風並みの強い雨と風が一晩吹いて、開花したばかりの桜がどうなるか心配でしたが、まだ花が若かったせいか、翌朝に車で走りながら眺めても、ほとんど花びらは散っていませんでした。だから桜の花びらの散るのも、その根本的な原因は風や雨などの外部にあるのではなくて、桜の樹そのもののもつ内部的な生理的な法則そのものによるものであることがわかります。

その後は曇りと晴れが続いて、見事に花開いた桜並木を眺めながら川端沿いを走りました。二十歳台の独身の終わり頃に、吉田神社にもさほど遠くない川端一条の近くにアパートを借りて暮らしていたことがあります。鴨川沿いを出雲路橋まで上がって、そこからアルバイト先まで満開の桜並木を眺めながら自転車で通っていました。

その頃の暮らしは今も懐かしい思い出として残っています。その時は未だアパートも木造でしたが、東京、浜松、静岡などを放浪した後に、ふたたび京都に戻って来た時には、アパートはマンションに建て替えられていました。

それから半世紀近くにもなって、偶然か必然か、どういう運命の巡り合わせか、若い頃にしばらく暮らしたことのあるこの昔のアパートの近くをこうして再び行き来しています。この日も桜並木がきれいだったので、日々眺める比叡山を背景に馬橋からデジカメにとって記録しました。それでもどうしても光の国、影の国はやはり現実の世界の美しさには及びません。

 

              

 

 

 

 

 

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