作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ドイツ国の日本国民に対する同情と日本問題

2011年04月02日 | ニュース・現実評論


ドイツ国の日本国民に対する同情と日本問題

 

ドイツ連邦政府首相、アンジェラ・メルケル首相は、日本国民に対して、再び深いお悔やみの気持ちを述べた。

「日本の状況からみれば、「黙示録的な規模」とも言える大災害について首相は語りました。日本から送られてきた写真の悲しい光景は想像を絶する恐怖と当惑をもたらしました。犠牲者の数は一時間 ごとに増え、そして、多くの人々はまだ行方不明になったままです。。何千人もの人々は、すべてを失ってホームレスとなっています。・・・・・・・・・・・」


Deutschland steht an der Seite Japans


核エネルギーの応用技術に関する問題で、幸か不幸か、日本はまた世界に最先端の話題を提供することになった。一つは、広島・長崎への人類史上初めての原子爆弾の投下によって。もう一つは、2011年3月に起きた東北地方太平洋沖地震による福島第一原子力発電所からの放射能汚染事故である。

戦争によるものにせよ、地震や津波などの自然災害によるものにせよ、災害には文字通りの不可抗力な自然災害の部分と、安全対策や防護施設が適切なものであれば防ぎ得た人災的な部分がある。かっては自然災害に分類されたものでも、とくに科学技術の発達した現代には、人災と見なしうる部分も増えている。

私たち人間にできる努力は、いわゆる「人災被害」に属する部分をどのようにして減らしてゆくことができるかという課題についてだけである。

自然災害にせよ戦争にせよ、いずれも自然や国家という他者との関連で起きるものであるから、被害者の一方的にではなく、加害側の両面から考察する必要があるが、先の第二次世界大戦の末期に起きた広島・長崎における原子爆弾の投下による惨害などについても、甘く見ても、おおよそ五割方は当時の政府の諸政策と外交的な対応にも責任があったように思われる。(その論証はここではできない。)

東北地方太平洋沖地震による福島第一原子力発電所で起きた放射能汚染事故についても、根本的な原因が地震と津波によるものであることは言うまでもないとしても、第二次的に主要な責任として、日本政府や企業の原子力エネルギー政策に根本的な原因があったと考えるのが妥当ではないだろうか。

日本の原子力発電に関する科学技術は確かに世界的にも最先端をいっていたのかもしれない。(専門家でもないからよくわからない)ただ、今回の事故による放射能汚染地域に関する適切な情報などについては、政府の一機構であるはずの原子力安全委員会や保安院などから国民に対して的確に提供されているとは思えない。

不覚なことに、今度の事故で、原子力安全委員会も保安院も政府の原子力政策に対して決して中立的でも独立的な組織でもなかったことを初めて知った。これらの委員会や組織は、原子力エネルギー政策を押し進める経済産業省に付属するものであって、これでは原子力発電の安全性について、監視、監督機能は有効には働かず、国民の安全に対する防波堤にも成りえない。せいぜい太鼓持ちのお飾り機関か、御用学者たちに飯の種を提供するだけの組織に成り終わるのが理の必然というべきだろう。

保安院の役人たちも、偉ぶって当事者の東京電力に海水の放射能汚染の濃度測定を命じるのではなく、自らが走り回って測定して、正確な情報を国民に知らせるべきだろう。

放射能汚染についての汚染情報についても、現在のところ、原子力安全委員会からも保安院からも気象庁からも日本国民に提供されているようには思えない。(誰か知っていれば教えてください。)だから、ネット時代の現在では、幸いにしてドイツやスウェーデン、IEAEなどの欧米諸国や国際機関に頼らざるをえない。

Wetterlage und Ausbreitungsbedingungen in Japan

 

これらの欠陥は、戦前からいまなお日本国民を苦しめ悩ませている。それは「劣悪な政府」と「愚劣な政治家」しか持ち得ない日本国民の長年にわたる宿痾、業病ともいうべきもので、明治維新以来、和魂洋才の精神で、実利精神に富んだ小賢しい能力で、欧米の科学技術は西洋に追いつき追い抜いた面もあるにせよ、安全意識や合理的な科学的精神、人間性の尊重といった、国民精神において、見るべき進歩があるようには思えない。政治家、大企業経営幹部、官僚たちのように、「和魂」の帰結としての江戸末期の徳川幕府の役人たち以下の意識にあるようではどうにもならない。

       

この事故で明らかになったように、核エネルギーに関する今日の科学技術はきわめて高度なものとなっている。だから、一旦事故が生じた場合の悲喜劇はよりいっそう深刻なものとなる。子供に危険な玩具で遊ばせるようなものである。

日本の問題点は、科学技術の低さではなく(トヨタや東芝などに見るように営利企業の持つ科学技術は世界の最先端を行っている)、
むしろ、「ソフトパワー」の側面をどのようにして強化するかということにあるだろう。国民精神をどのように改造して、人間性尊重の科学的精神と、より民主的で合理的な国民のための政府と国家を建設して行くかということにある。日本国民はこのことを明確な問題意識として持ち全国民の叡智を結集して、再び襲い来る災害に備えるべきだろう。東海地震や関東大震災の再来のことを思えば、決して悠長には構えてはいられない。

日本にはまだ良心的な科学者もいる。専門家でもない私たちに今のところできることは、腐敗堕落したテレビ局や大新聞のマスメディアを通じてではなく、的確な直観力、判断力をつちかって、ネットなどを通じて(それにも玉石混淆でいかがわしいものも多いが)、また、欧米などの海外からの情報も収集し識別しながら、冷静で客観的な科学知識によって、私たち自身の努力で、自らの身の安全を図る能力を高めて行くしかないようだ。

放射線に関する知識については、さしあたって今のところ、中部大学の武田邦彦教授の下のサイトによって得られるものなどが、適切ではないかと思っている。
 

 

武田邦彦(中部大学)


特設スタジオ
http://takedanet.com/cat5621932/


私のスタンス
http://takedanet.com/2011/03/post_9ba3.html

石橋克彦 私の考え

 ・2011/04/09追加

全国放射線量マップ                                          http://www.naver.jp/radiation

原子力研究開発機・                                                                                                                                           http://www.jaea.go.jp/

 

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国民住宅(フォルクスハウス)――日本の科学と公共の意思


 

 

 


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