久しぶりに、自転車で散歩に出かけた。今日は一日曇り空で、少し肌寒いくらいだった。天気予報を調べても、終日曇り空らしいが、雨は降るようにはないので、気軽に夕方の散輪に出かけた。
とりあえず郵便局が閉まる前に、まず立ち寄ることにした。郵便局の前についたとき、郵便局員の青年が、ちょうど赤いポストから郵便袋を取り出し、その首をロープで括って集配の軽自動車の助手席に放り投げたところだった。その青年は車の後部に回って、運転席に戻ろうとしていた。
ちょと残念な気がしたが、仕方がない。それで自転車を止め置いて、郵便物をバックから取り出してポストに投げ入れようとしたところ、その青年は、助手席の窓を下げて、「まだ大丈夫ですよ」と言って、手を出してくれた。眉の濃い好青年だった。
それで、ポストに入れかけた封書を二通、ありがたくその青年に手渡すと、彼はちらっと宛名と差出人を確認してから、郵便袋に仕舞い込んだ。もし自分が若い女性ででもあったなら、ここから小さな恋愛ストーリィが始まるかもしれないのに。彼に軽く会釈してから、最後の客らしい一人が出てくるのと入れ替わりに自分は局舎に入った。
時間に余裕があれば、その場で書類を書き上げて提出してしまおうと、印鑑なども用意していったのだけれど、時間まぎわなって入ってきた客に、どこか郵便局員はきびしい表情のような気もしたので、書類だけ受け取って、家にもどってゆっくり書き上げることにした。
いつもなら散歩に出るときは、まず九号線に出て、それから洛西ニュータウンの方向に向かう。しかし、今日は、京大付属植物研究所の横手の道から、もう少し早く北に逸れて行った。すると、ちょうど回生病院に通じる道路に出た。この道をたどるのは、洛西の地に帰ってきてからは、多分初めてだと思う。この病院の前の坂道になった道路を少し登ってゆくと、竹林公園に通じている竹の径のコースに入る。久しぶりに、この道を辿ってゆくことにした。この地で長女が生まれたが、幼い間に別れざるを得なかったので、幼かった彼女とこの竹の資料館に一緒に来たのも数えるほどでしかない。いずれにせよ、遠い昔のことになってしまった。
時間は五時を回ったか回らないかの時間のはずだが、最近はすっかり日足も延びて、まだ明るい。竹林の中に入ってしまうと、人影は全くない。少し進んでゆくと間もなく、大きな円筒型の府の水道配水施設が見える。周囲の壁には竹の木のデザインが施されている。
その前を過ぎると間もなく四叉路に出くわす。左の方に行くと、駅の方に向かう。それで反対側の右に折れて、竹の資料館のある道を行った。人影はやはりない。堀り残された竹の子があっちこちに生長して、熊の毛を生やしたような先のとがった杭が、方々に地面に打たれているように見える。竹林の高い梢の方からは、時々、ウグイスの鳴き声が聞こえてくる。人影はない。清小納言は五月のホトトギスは声が醜いと言ったが、このウグイスは、それほど声も濁ってはいない。まだ十分に澄んでいてきれいだ。
ちょうど、竹の資料館に近づいたとき、静かな竹林には不釣合いなほど大きなボリュームで閉館時間を知らせる放送が流れてきた。この頃に、五時になったようだ。この竹の資料館の正面入り口に差し掛かったころ、鎖に閉ざされた駐車場の中で中学生が三人、青いジャージー姿でふざけあったりしながら帰途につこうとしていた。途中で路肩に三台ほど自動車が駐車しているのが見えた。GYAOなどのサイトで知られている新興企業のUSENの営業マンの車らしかった。中の運転席に人がいた。この会社は最近あのライブドアの買収に名乗りをあげことでも知られている。
新緑も美しいが、今はまだ花の季節である。途中に家々の軒並みや公園や畑や山の中に、実に色とりどりの花々が咲いていた。そんな花々の形、色彩を見て、それから、竹林を飛び交う小さな名も知らぬ小鳥やウグイスの鳴き声を聴いていると、大自然の造形の妙に感心せざるを得ない。そこに神を感じるか否かはとにかく、その創造の美には本当に驚く。
特に今の季節では、家々の軒先や公園を飾っている花では、やはりツツジが目立つ。白い花と赤い花がきれいなコントラストを描いている。春らしく黄や黒紫のパンジーもよく植えられていた。そんな軒先の花を眺めながら、境谷の町並みを抜け、洛西高校の横手の新しい歩道から春日町の通りに出た。
この辺りは全く初めてのような気がする。まだまだ、新しい発見のできる場所は多い。これからの残された時間で、この地をどれほど散策できるかは分からない。しかし、でき得ることなら生涯の間、何度でも、定点観測のように、繰り返しこの小さな土地の「紀行文」を書き貯めてゆきたいと思っている。
やがて古い町並みの中の細い通りに入ると、赤茶色の築地塀があり、それを辿ってゆくと、西迎寺と書かれた小さな石碑が目に付いた。この辺りも、このお寺も全くはじめてだった。付近一帯がどこか懐かしい気がする。そして、この辺りの多くの家々は、それぞれ小さな畑を持っていて、木立や畑の間にひっそりと家が建っているという風情である。畑にはトマトや糸瓜の苗が糸に吊るされて植わっていたりする。こうした光景は私にとっては理想郷に近い。以前もこんな風景に出会ったとき、いつか自分もできれば、こんなところで暮らしたいと思ったものだ。
この辺りからは大原野神社は近いはずだったが探さなかった。自転車のハンドルのまま、気の向くままに進む。ただ、大原野の方へは向かおうと思った。
一度、東京の生活から帰ってきたとき、かって、そこで飲んだり食べたり過ごした駅前の小さな中華料理店や商店街が、何か天国のように感じられた記憶もある。何も大きな都市だけが価値があるわけではない。小さな町に、昔の人が、長い歳月を経たのちも、昔のままに暮らしている。天国を何も天空の宇宙に捜し求めるまでもない。
そんなことを考えながら、しばらく走っていると、道端に、東海道自然歩道の表示板に出くわした。
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