ヘーゲル『哲学入門』 第二篇 論理学 第四節 [「私」と思考]
§4
Der Inhalt der Vorstellungen ist aus der Erfahrung genommen, aber die Form der Einheit selbst und deren weitere Bestimmungen haben nicht in dem Unmittelbaren derselben als solchem ihre Quellen, sondern in dem Denken.(※1)
第四節 [「私」と思考]
表象の内容 は経験から取得されるが、その 統一の形式 そのものや、そのさらなるくわしい規定は、経験の直接的なものの中にではなくて、思考のうちにその源泉がある。
Erläuterung.
説明
Ich heißt überhaupt Denken. Wenn ich sage: ich denke, so ist dies etwas Identisches. Ich ist vollkommen einfach.(※2) Ich bin denkend und zwar immer.
「私」とは、そもそも「思考」のことである。もし私が「私が考える」と言うとき、これはまったく同一のことを言っている。私とはまったく単一なものである。「私」とは 思考するもの であり、そして、つねにそうである。
Wir können aber nicht sagen: ich denke immer. An sich wohl, aber unser Gegenstand ist nicht immer auch Gedanke. (※3)Wir können aber in dem Sinne, dass wir Ich sind, sagen, wir denken immer, denn Ich ist immer die einfache Identität mit sich und das ist Denken.
しかし、私たちは「私はいつも考えている」とは言えない。それ自体においては確かにそうだが、私たちの対象がまたいつも思考そのものであるわけではないからである。しかし、私たちが「私」であるという意味においては、私たちはつねに考えていると言える。というのも「私」とはつねに自己と同じ単一のものあり、それは思考だからである。
Als Ich sind wir der Grund aller unserer Bestimmungen. Insofern der Gegenstand gedacht wird, erhält er die Form des Denkens und wird zu einem gedachten Gegenstand. Er wird gleich gemacht dem Ich d. h. er wird gedacht.(※4)
「私」として、私たちは私たちのすべての規定の根拠である。対象が思考されるかぎりにおいて、その対象は思考の形式を得て、思考された対象 となる。対象は私と同じものにされる、つまり、対象は思考されるのである。
※1
表象(Vorstellungen)の内容は人間の感覚や経験から得られるものだが、それらの感覚や表象をまとめ統一した形で認識するためには、感覚の経験を超えた「思考の働き」が、つまり、私たちが頭の中で行うカテゴリー化や概念化が必要である。それらは経験そのものからではなく、思考から生まれてくる。カントのカテゴリー表がふまえられている。
※2
個人、個体を意味する英語の、individual と同じ。「分割できないもの」「Atom」。
※3
くつろいでいる時や野球観戦中などのように、思考の対象がいつも具体的に存在しているわけではない。
※4
対象がただに存在するだけではなく、「思考される」ことによって私(主体)と同一化される。つまり、対象が思考の枠組みの中に取り込まれる。
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