私が折り折りに訪れるホームページの一つに、元外務省に勤務しておられた方の「japan-world-trends」というサイトがあります。http://www.japan-world-trends.com/ja/cat-91/uhb_1.php
元外交官だった方による国際情勢の認識やロシア、中国などの訪問記など参考になる点もあって、興味深く読ませていただいています。今日も訪れていくつかの論考を読ませていただきました。
その中に次のような小論がありました。「外務省はすごいincubator(孵化育成器)だった」と題されたものです。この文章を読んで、一国民として現在の外務省に抱いていたこれまでの私の印象とかなりずれるものがあったので、私なりの疑問をこの機会にコメントとして呈してみたものです。
特に返答を期待したものではありませんが、私たち国民が行政や外交を委ねている官僚と呼ばれるいわゆる「高級公務員」の方々の現状をどう考えればいいのか、という問題提起の一つのつもりで、そのコメントを私のブログにも転記したものです。
ちょうど参議院総選挙も公示されたばかりです。官僚の指揮をとる政治家の資質と能力に問題があるのか、それとも官庁組織が永年の間に硬直化し既得権益化してしまっているのか。「公務員改革」をテーマにかかげる主要政党も少なくないのに、なぜいつまで経っても国民の納得の得られるような改革が実現できないでいるのか、そうしたことを考える材料の一つとしてここに記録しておいたものです。
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河東哲夫氏サイト「japan-world-trends」の記事からの引用。
2013年7月 5日
「外務省はすごいincubatorだった」
もう65歳、外務省を辞めてもう8年になるが、こうやってモノを書いていると、数々の先輩の顔が思い出されてくる。
かけだしの書記官を西ドイツでやっていた頃、それは冷戦たけなわ。僕はソ連専門だったから、政治関係の情報ばかり追って、悦に入っていた。日本大使館の書記官ともなれば、かなりの位の人たちに会って話を聞くことができる。大使や公使の食事会に同席すれば、それより更に上の位の人たちと接することができ、そういう人たちに大使や公使がどう議論をしかけるのか、どう好意を獲得していくのかが良くわかる。
ところがその頃の西ドイツの大使は、外務省でも有数の経済専門家、吉野大使、次いで宮崎大使。大使公邸で客でもよんだ後、大使は同席の大使館員と必ず腹ごなしの議論をしたものだ。仕事での手柄話しとか失敗談とか、国会議員とのやり取りなど、要するに思い出話しの数々だ。これがまた本当に役に立つ。経験を後輩に伝えているのだ。
ところがある日、宮崎大使に言われた。「君たち、国際情勢というのは、経済を理解せずには全然わからないものなんだよ。今のレーガン政権の高金利政策が、西欧諸国にどんなに嫌がられていて、米欧の間でぎりぎりのせめぎ合いが行われているかわかっているかね? そして例えばここで米国が金利を1%下げでもしたら、国際情勢がどう動くかシミュレーションできるかね? 君、どうだい。言ってみたまえ」
その頃の僕は、まったくの経済音痴。金利水準なんか、外交官は関係ないと思っていたものだ。
そして本省にいた頃、渋谷さん(後に在ドイツ大使)に言われたことがある。「君、国際情勢考えるのだったら、軍事がわからないと駄目だよ」と。僕が「どう勉強すればいいのですか?」と聞くと、彼は言った。「そりゃ、これ1冊読めばいいなんてものはない。本や雑誌をよく読むしかないよ。君」ということでありました。そこで僕は、同じ課に自衛隊の近藤一郎一佐が出向していたのをいいことに、彼に軍事知識のイロハ(と言っても、チリヌルヲぐらい、かなり高等なところまで)を無料で教えてもらったのであります。
そしてソ連、ロシアについては、何人もの先輩にしごかれ、教えさとされたのは言うまでもない。
外務省、大使館というのは本当に、本当に素晴らしい教師が綺羅星のようにいる贅沢なincubatorだったと思う。これに後足で砂かけて批判する気はぜんぜん起きない。
引用終わり
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以下がこの記事に寄せた私のコメントです。
「確かに外務省にそうしたすぐれた教育機能はあるでしょう。また高価な税金で維持されている外務官庁に官庁としてのそうした伝統的な教育機能がなければおかしいと思います。
しかし、それでも一国民の素人として普通に外務官僚と呼ばれた人たちを観察していて、どうしてこのような「高級外務官僚」が生まれ存在しているのだろうかと疑念を持つ場合が、外務省の場合には少なくありません。例えば、田中均氏、加藤良三氏、孫崎享氏、加藤紘一氏などです。河東哲夫さんは、これらの外務省の諸先輩方について、どのように考えておられるのでしょう。
むしろ、拉致問題や対中対露外交などでは、外務省は機能不全の盲腸官庁に成り下がっているようにさえ思うのです。外務省の組織改革を根本的に行うことなくしては、外務省に国家に有為な人材は輩することが出来ないという印象を、私個人としては持っています。」
(かってながら、このコメントは私のブログにも転載させていただきました。)
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上記の私のコメントに対して、サイトの管理者の方から、次のような返事を戴いていたようです。私のブログの方にも記録しておきたいと思います。
以下、追記(2013/07/12)
投稿者: | 2013年7月 6日 00:03
A 様
この一文は、個人的な感慨、センチメンタルな思い出です。出版を終えたばかりだし、考えてみればずいぶん歳も取っているので、振り返ってみるとこうだった、自分自身は外務省に感謝しているということです。
名前を挙げられた4人の方々の中には、小生が尊敬している人も、また意見が違う人もいます。しかし意見が違う場合は、面と向かって言いたいと思います。
北方領土問題を一時担当していた自分も含めて、外交官の多くにただすべきところがあるのは確かです。改革、特に意識改革も必要でしょう。しかし、そ れは今いる要員、今の体制を全否定するところから出発するべきものではないと思います。大きな組織を改革することは大変な労力がかかるわりには、往々にし て実効なきものに終わりがちです。
自分としては、外務省にいるうちで能力、人格、識見とも優れている連中が働きやすい環境を作る手伝いをするのが、いちばん手っ取り早いと思ってものを書いています。これからもこのブログをよろしくお願いします。
>><<引用終わり
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外務省については、先の大東亜戦争の口火を切ることとなった「真珠湾奇襲作戦」において、外務省の不手際で(「翻訳に手間取った」ためとか、「意図的に」など諸説があるようですが)日本の宣戦布告の通告が、真珠湾攻撃開始時間に間に合わなかったこと、そのために、アメリカから「卑怯な不意打ちだまし討ち」を行なった日本、「リメンバー・パールハーバー」など、後に民族としての汚名を歴史に世界に刻む失態に立ち至ったという事実があります。
さらには、宮澤喜一首相時の教科書問題などをめぐる対中韓外交の拙劣さと、河野官房長官のいわゆる「河野談話」、また後にも先にも唯一の社会党内閣、どさくさに紛れて成立した村山富市首相の在任時に発表された、いわゆる「村山談話」のその後の日本外交に及ぼしている不利益、国益の毀損のことを考えると――もちろん、宮澤喜一氏や河野洋平氏や村山富市氏などの政治家に主たる責任があるとしても、それを補佐した当時のいわゆる外務省官僚たちの能力と職責にも、相応の歴史的な責任と評価は避けられないと思います。
外務省に対してはこのような印象を抱いているために、多くの一般国民もそうだろうと私は思いますが、外務省出身の「japan-world-trends」の筆者の河東氏がが仰るような「 外務省、大使館というのは本当に、本当に素晴らしい教師が綺羅星のようにいる贅沢なincubatorだったと思う。」という意見には率直に肯じえないでいるのです。
また、鳩山由紀夫氏や孫崎享氏らの主張される「東アジア共同体論」については繰り返し述べているように、このブログは批判的な立場にありますが、外務省OBとしてどのような意見をお持ちか、河東氏が直接に明らかにされるならば、議論も少しでも深まるのではというささやかな期待もあるのですが、外務官僚の人間関係の中で生きて来られた氏にはむずかしいのかも知れません。
私の論考について、外務省の組織としての「根本的改革」を外務省の「全否定」として受けとられておられるようですが、将棋と同じで、何事も現在の「持ち駒」でしか勝負することができません。現在の外務官僚の能力を育成し発揮させるための根本的改革です。しかし、組織外部からの強制力なくして外務省の自己改革能力に期待できるのでしょうか。