3月10日は東京大空襲と陸軍記念日
今日3月10日は東京大空襲を記念する日です。東京大空襲とは第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)3月10日未明にアメリカ軍が東京に対して行った大規模な空襲のことです。この空襲は、日本の戦争史上最も壊滅的な被害をもたらし、多数の民間人が犠牲になりました。
アメリカ軍の第21爆撃集団(司令官:カーチス・ルメイ少将)による作戦で、1945年3月9日夜半から10日未明にかけて行われました。低高度からの焼夷弾の投下によって無差別に市街地を攻撃するという戦略によるものです。
木造住宅の密集する江東区、墨田区、台東区、荒川区、中央区など下町を中心とした市街地に無差別に焼夷弾が投下されました。大規模な火災が発生して、火災旋風と猛烈な竜巻状の炎によって多数の人々が逃げ場を失って犠牲になりました。死者数は推定でも10万人(8万~12万人と諸説あり)にも及ぶとされています。
この空襲が日本国民に与えた心理的な衝撃は、敗戦後の今日に至るまで深い戦争恐怖症のトラウマとなって残されています。日本国民はそれによって腰を抜かされたと言っていいと思います。半年後の広島、長崎における原爆投下とともに、日本国民の戦意を挫き、心理的な衝撃を与えることで、カーチス・ルメイの日本の降伏を早める戦略的目的は、見事に果たされたといえます。
しかし、東京大空襲は当時の国際法や戦争法の観点からしても、その違法性の問題は重大だと思います。当時においても、民間人や非戦闘員を攻撃対象とすることは許されていませんでした。しかし、戦勝国であるアメリカの戦争犯罪に対しては、裁判において法的責任を問うことは行われていません。政治的な理由により今日に至るまで「不問」にされたままです。
一方で、この東京大空襲の実行された3月10日が、大日本帝国憲法下の日本の「陸軍記念日」であったことは、現在の日本国民にあまり自覚されていないと思います。司令官のカーチス・ルメイ少将は、明らかに、この陸軍記念日を意識して東京大空襲を指揮、実行したに違いありません。
敗戦後の戦後教育においては、大日本帝国憲法下の明治国家と戦後の現在の日本国との間のあまりに深く大きな歴史的な断絶が放置されたままです。そのために、今日では、この陸軍記念日や海軍記念日などの歴史的意義については、ほとんど教えられることがありません。自ら生まれ育った祖国の歴史の深く正しい認識があってこそ、まともな国家や国民が育まれてゆくのだと思います。
陸軍記念日とは、1905年(明治38年)3月10日に日露戦争の奉天会戦で大日本帝国陸軍がロシア軍に勝利して、奉天(現在の中国・瀋陽)を占領したことを記念して設けられたものです。
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