先日久々に休暇を与えられ、那須・白河・郡山方面へ出かけてきました今回郡山へ立ち寄ったのは、郡山市立美術館で行われていた「ブリューゲル展 画家一族150年の系譜」を見るため。大ブリューゲルのみならずその息子や孫など、一族の作品が約100点展示されていて、ほとんどが日本初公開だそうです。一昨年上野に「バベルの塔」が来たときは、遠いし人混みが苦手なのでスルーしてしまったのですが、今回は人混みで具合が悪くなるようなこともなく、ゆっくり落ち着いて見ることができました。宗教画も沢山
同時に、留学中の写真整理がそのままストップしていたので、ブリューゲルゆかりのベルギーへ行った時の写真でも見てみようかなと思ったらあるわあるわ…大変だこりゃピーテル・ブリューゲル(大ブリューゲル)は16世紀半ば、アントワープ、ブリュッセルを中心に活動しましたが、今回は私がベルギーで一番最初に訪れたブリュージュの思い出を書いていきたいと思います。尚、情報は私が旅行した2009年当時のものです。
2009年8月21日夕方、母・妹と共にドイツから電車でベルギー入りしました。ユースに泊まって翌22日、1日ブルージュ観光です。
まずはユースから一番近い「ベギン会院」という世界遺産にもなっている修道院を見に行きました。修道院の前の川には、白鳥さんが沢山…夏に白鳥を見るのは何だか不思議な感じがしますね。
この修道院のことは来るまで全く知らなかったのですが、静かで落ち着きがありとても気に入りました。街中からはずれた所にあるためかそれほど観光客でごった返しているわけでもなく、朝もやの森の中を1人のシスターが歩いていく光景はとても絵になる光景だなぁ・・・と思いました。
敷地内にある礼拝堂。実はこのステンドグラスの光線の絵付け、フランスでの最後の制作の際に参考にさせてもらいました。
ベギン会は、12世紀にベルギーで、女性の自立支援のために設立されました。12-13世紀のベルギーでは、女性は時期が来たら結婚するか、神に身を捧げて修道院に入るかという選択肢が一般的でした。結婚しても夫が十字軍の遠征や病気等で亡くなれば、残された女性はこれまでの生活や財産を全て捨てて修道院に入る以外の選択肢はほとんどありませんでした。そのような中で、女性の多様な生き方を支えるためにできたのが、ベギン会という女性のための互助組織でした。女性たちは日中、街に出て働くことも許されており、夜になると修道院に戻り共同生活を送っていました。修道院を出て結婚することもできました。女性の社会進出とともにベギン会修道院は衰退し、現在、この場所にはベネディクト派の修道女たちが暮らしているそうです。
女性たちが暮していた部屋にはかわいい食器やベッドなどが展示されていました。それらがもう、いちいちカラフルで可愛い!
↑敷地内のショップ。そしてベルギーと言えばチョコレート、修道院を出て途中「スークルブック」というチョコレート屋さんに立ち寄りましたが、あまりのお高さに私は結局何も買わず…
↑ブリュージュは観光馬車が頻繁に行き来していました。でもちょっと、このお馬さんはどうかと…
その次は「メムリンク美術館」へ。かつて施療院だったため宗教画の他、当時の医療器具や、院内の様子を描いた絵画もありました。また、ここにはベルギー7大秘宝の1つである「聖ウルスラの聖遺物箱」が展示されています。入り口も素敵。
それからすぐ近くの、ミケランジェロ作の聖母子像のある「聖母教会」へ。
遊覧船には乗らなかったけど、長蛇の列ができてました。お花が綺麗
蚤の市開催中。
マルクト広場鐘楼。
手回しオルガン!
州庁舎。ステンドグラスは薄いグリーンに絵付け、黄色を入れたもの。この網目模様、綺麗に描いてるなぁ…私はこういうふうに綺麗な直線を引くのは苦手だった!
お昼はマルクト広場のレストランへ入りました。鳥の丸焼き1/2匹分。とんでもなく量が多い!!そしてトラピストビール
街の中心にある「聖血礼拝堂」へ。すごい人、人、人…。
ここには十字軍が遠征で持ち帰ったと言われるキリストの聖血が収められています。2階礼拝堂には絵付けステンドがいっぱい。一部修復中なのか、ステンドグラスの図柄を印刷したフィルムのようなものに置き換わっていました。礼拝堂の片隅の一段高くなっている所には、液体のようなものが入っている筒を差し出している女性がいて、その前には大勢人が並んでて順番にその筒を触っていました。どうやらあれがキリストの聖血のようです。まぁここへ来るのも一生に一度だろうしと思い妹と一緒にその列に並んで、幾ばくかの献金をして、その筒状のものを間近で見ました。筒の中は油みたいな液体と赤い塊状のものが…果たして、あれはホントにキリストの血だったのかなぁ…??
下にも薄暗~い礼拝堂と納骨堂が。そして幾何学模様ステンド多数。
最後に救世主大聖堂へ。ここはガイドブックには名前しか載ってなかったんですが、入ってみたらステンドがいーーーーっぱい。
この翌日、アントワープへと向かいました。その様子はまた次回
同時に、留学中の写真整理がそのままストップしていたので、ブリューゲルゆかりのベルギーへ行った時の写真でも見てみようかなと思ったらあるわあるわ…大変だこりゃピーテル・ブリューゲル(大ブリューゲル)は16世紀半ば、アントワープ、ブリュッセルを中心に活動しましたが、今回は私がベルギーで一番最初に訪れたブリュージュの思い出を書いていきたいと思います。尚、情報は私が旅行した2009年当時のものです。
2009年8月21日夕方、母・妹と共にドイツから電車でベルギー入りしました。ユースに泊まって翌22日、1日ブルージュ観光です。
まずはユースから一番近い「ベギン会院」という世界遺産にもなっている修道院を見に行きました。修道院の前の川には、白鳥さんが沢山…夏に白鳥を見るのは何だか不思議な感じがしますね。
この修道院のことは来るまで全く知らなかったのですが、静かで落ち着きがありとても気に入りました。街中からはずれた所にあるためかそれほど観光客でごった返しているわけでもなく、朝もやの森の中を1人のシスターが歩いていく光景はとても絵になる光景だなぁ・・・と思いました。
敷地内にある礼拝堂。実はこのステンドグラスの光線の絵付け、フランスでの最後の制作の際に参考にさせてもらいました。
ベギン会は、12世紀にベルギーで、女性の自立支援のために設立されました。12-13世紀のベルギーでは、女性は時期が来たら結婚するか、神に身を捧げて修道院に入るかという選択肢が一般的でした。結婚しても夫が十字軍の遠征や病気等で亡くなれば、残された女性はこれまでの生活や財産を全て捨てて修道院に入る以外の選択肢はほとんどありませんでした。そのような中で、女性の多様な生き方を支えるためにできたのが、ベギン会という女性のための互助組織でした。女性たちは日中、街に出て働くことも許されており、夜になると修道院に戻り共同生活を送っていました。修道院を出て結婚することもできました。女性の社会進出とともにベギン会修道院は衰退し、現在、この場所にはベネディクト派の修道女たちが暮らしているそうです。
女性たちが暮していた部屋にはかわいい食器やベッドなどが展示されていました。それらがもう、いちいちカラフルで可愛い!
↑敷地内のショップ。そしてベルギーと言えばチョコレート、修道院を出て途中「スークルブック」というチョコレート屋さんに立ち寄りましたが、あまりのお高さに私は結局何も買わず…
↑ブリュージュは観光馬車が頻繁に行き来していました。でもちょっと、このお馬さんはどうかと…
その次は「メムリンク美術館」へ。かつて施療院だったため宗教画の他、当時の医療器具や、院内の様子を描いた絵画もありました。また、ここにはベルギー7大秘宝の1つである「聖ウルスラの聖遺物箱」が展示されています。入り口も素敵。
それからすぐ近くの、ミケランジェロ作の聖母子像のある「聖母教会」へ。
遊覧船には乗らなかったけど、長蛇の列ができてました。お花が綺麗
蚤の市開催中。
マルクト広場鐘楼。
手回しオルガン!
州庁舎。ステンドグラスは薄いグリーンに絵付け、黄色を入れたもの。この網目模様、綺麗に描いてるなぁ…私はこういうふうに綺麗な直線を引くのは苦手だった!
お昼はマルクト広場のレストランへ入りました。鳥の丸焼き1/2匹分。とんでもなく量が多い!!そしてトラピストビール
街の中心にある「聖血礼拝堂」へ。すごい人、人、人…。
ここには十字軍が遠征で持ち帰ったと言われるキリストの聖血が収められています。2階礼拝堂には絵付けステンドがいっぱい。一部修復中なのか、ステンドグラスの図柄を印刷したフィルムのようなものに置き換わっていました。礼拝堂の片隅の一段高くなっている所には、液体のようなものが入っている筒を差し出している女性がいて、その前には大勢人が並んでて順番にその筒を触っていました。どうやらあれがキリストの聖血のようです。まぁここへ来るのも一生に一度だろうしと思い妹と一緒にその列に並んで、幾ばくかの献金をして、その筒状のものを間近で見ました。筒の中は油みたいな液体と赤い塊状のものが…果たして、あれはホントにキリストの血だったのかなぁ…??
下にも薄暗~い礼拝堂と納骨堂が。そして幾何学模様ステンド多数。
最後に救世主大聖堂へ。ここはガイドブックには名前しか載ってなかったんですが、入ってみたらステンドがいーーーーっぱい。
この翌日、アントワープへと向かいました。その様子はまた次回