『根性練習』という類の練習が(たぶん)どのスポーツにもある。
その多くが、体力や筋肉を追い込んで、ぎりぎりのところでなおその状態をキー
プするもの。
それに必要なものは『根性』だという。
もう少しかっこいい言葉は『精神力』か。
この根性練習の目的ってなんだろうか。
そもそも根性ってどういうときに発揮すべきものなのか。
別に根性論を否定するつもりはない。
ただ、もう少し冷静に根性の御利益を考えてみたい。
短距離走で考えてみると。
まずはスタート → 根性はいらない。
加速 → 根性はいらない。
そのまま前に進むからだの動的な体勢を作る → 根性はいらない。
接地するごとに、腹筋や背筋、肩甲骨、体幹の筋肉をフル稼働して力を増幅し、
それをしなやかに地面に伝える → まだ根性はいらない。
そして、70mが過ぎる。
筋肉が弱る。
動的な体勢が維持できない。
集中力も落ちる。
そんなとき、いわゆる根性、精神力が必要なのではないか。
からだを、できる限り、フレッシュな時と同じように保つ精神力。
それだって、その90%は練習の繰り返しで身につく『自動化』が補ってくれるは
ず。
こうしてみると、100mの中で根性が果たす役割って辛くなった時の「体勢の維持」
くらいなものだ。それも、全体で見れば2%くらいの要素しかないのではないか。
ならば、単純に考えて、根性練習は練習全体の2%でいいのでは?
しかも、「体勢の維持」が目的ならば、そもそもその正しい体勢の維持ができな
い人は根性練習をする以前にまずその練習からだ。
厳しい言い方をすれば、根性練習ができるレベルではない。
ひたすら集中して動的体勢について考え、繰り返し練習をしたほうがよっぽど身につくと
思う。
極論かもしれないけど、要は根性練習の比率があまりに多くなってくると、ちょっ
と注意、と思うってこと。
その多くが、体力や筋肉を追い込んで、ぎりぎりのところでなおその状態をキー
プするもの。
それに必要なものは『根性』だという。
もう少しかっこいい言葉は『精神力』か。
この根性練習の目的ってなんだろうか。
そもそも根性ってどういうときに発揮すべきものなのか。
別に根性論を否定するつもりはない。
ただ、もう少し冷静に根性の御利益を考えてみたい。
短距離走で考えてみると。
まずはスタート → 根性はいらない。
加速 → 根性はいらない。
そのまま前に進むからだの動的な体勢を作る → 根性はいらない。
接地するごとに、腹筋や背筋、肩甲骨、体幹の筋肉をフル稼働して力を増幅し、
それをしなやかに地面に伝える → まだ根性はいらない。
そして、70mが過ぎる。
筋肉が弱る。
動的な体勢が維持できない。
集中力も落ちる。
そんなとき、いわゆる根性、精神力が必要なのではないか。
からだを、できる限り、フレッシュな時と同じように保つ精神力。
それだって、その90%は練習の繰り返しで身につく『自動化』が補ってくれるは
ず。
こうしてみると、100mの中で根性が果たす役割って辛くなった時の「体勢の維持」
くらいなものだ。それも、全体で見れば2%くらいの要素しかないのではないか。
ならば、単純に考えて、根性練習は練習全体の2%でいいのでは?
しかも、「体勢の維持」が目的ならば、そもそもその正しい体勢の維持ができな
い人は根性練習をする以前にまずその練習からだ。
厳しい言い方をすれば、根性練習ができるレベルではない。
ひたすら集中して動的体勢について考え、繰り返し練習をしたほうがよっぽど身につくと
思う。
極論かもしれないけど、要は根性練習の比率があまりに多くなってくると、ちょっ
と注意、と思うってこと。