キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

走る考察~根性練習~

2010年10月21日 | Weblog
『根性練習』という類の練習が(たぶん)どのスポーツにもある。
その多くが、体力や筋肉を追い込んで、ぎりぎりのところでなおその状態をキー
プするもの。
それに必要なものは『根性』だという。
もう少しかっこいい言葉は『精神力』か。

この根性練習の目的ってなんだろうか。
そもそも根性ってどういうときに発揮すべきものなのか。
別に根性論を否定するつもりはない。
ただ、もう少し冷静に根性の御利益を考えてみたい。

短距離走で考えてみると。

まずはスタート → 根性はいらない。
加速 → 根性はいらない。
そのまま前に進むからだの動的な体勢を作る → 根性はいらない。
接地するごとに、腹筋や背筋、肩甲骨、体幹の筋肉をフル稼働して力を増幅し、
それをしなやかに地面に伝える → まだ根性はいらない。
そして、70mが過ぎる。
筋肉が弱る。
動的な体勢が維持できない。
集中力も落ちる。
そんなとき、いわゆる根性、精神力が必要なのではないか。
からだを、できる限り、フレッシュな時と同じように保つ精神力。
それだって、その90%は練習の繰り返しで身につく『自動化』が補ってくれるは
ず。

こうしてみると、100mの中で根性が果たす役割って辛くなった時の「体勢の維持」
くらいなものだ。それも、全体で見れば2%くらいの要素しかないのではないか。

ならば、単純に考えて、根性練習は練習全体の2%でいいのでは?

しかも、「体勢の維持」が目的ならば、そもそもその正しい体勢の維持ができな
い人は根性練習をする以前にまずその練習からだ。
厳しい言い方をすれば、根性練習ができるレベルではない。

ひたすら集中して動的体勢について考え、繰り返し練習をしたほうがよっぽど身につくと
思う。

極論かもしれないけど、要は根性練習の比率があまりに多くなってくると、ちょっ
と注意、と思うってこと。


『貧者の兵器とロボット兵器』

2010年10月21日 | Weblog

『貧者の兵器とロボット兵器』というNHKの番組を観た。

イスラム原理主義の使う貧者の兵器(自爆)とアメリカが使うロボット兵器の終
わりない争いを解説する番組。

これを観ていて、すぐに思い出したのは15年前放送していたSFアニメ。
驚くほど状況が似ていた。
舞台が宇宙か現実の地球かの違いだけ。

番組は、イスラム原理主義にもアメリカにもよらず、ひたすら双方(自爆とロボッ
ト兵器)の現実を流し、視聴者にこの現実を変える必要性を訴えかける。

しかし、アメリカ側に自分たちの行いを見つめなおして欲しいという意図のほう
が強いように思えた。
この戦争は、どうして続いていくのか。
富、技術力、なにもかもが違う二つの立場がなぜ争い続けているのか。

もともとの戦争(争い)は土地や富の奪い合いではなかったか。
いまではそれが正義(民主主義)の戦いになっている。
戦地になっている土地の住民が(誤爆で)大勢殺され、米軍に出て行って欲しい
と訴える、それがその国(土地)にとって正義の戦いなのだろうか。
その実情をアメリカの市民は知っていて、それでもなお、その国に自分たちが理
想とする国家論を植えつけることが唯一の正義だと考えているのだろうか。

アメリカだけの問題ではない。
正面から反対していない日本を含め、少なくとも市民レベルでは「見てみぬふり」だ。

自分たちの正義を他国に押し付けるよりも先に、自分たちの正義とはなにかをも
う一度見直すべきだと思う。