キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

現役選手

2011年11月13日 | Weblog
大学生のとき、自分なりに「現役」という言葉を定義した。
大学三年の終わり頃だったか、陸上部の卒業していった先輩たちを見、自分自身も大学陸上の残りを意識し始めた頃。


その時に決めた「現役」の定義は、「自己ベストを狙うための練習をしていること」。
言い換えれば、過去の自分を超える努力ができているか。


逆に、自己ベストを狙わずにただ練習したり、試合に出たりするのは、趣味の範囲だと思う。


100m、200m、400mの僕の現役は、上記の定義から陸上部を引退した時点で終わった。
800mも自己ベストは狙えない。
1500mは...少し保留。


そう考えると、5000m以上の距離、特にハーフマラソンとフルマラソンは、本格的に走り始めて五年。
今も自己ベストを狙って練習している。
僕はハーフマラソンとフルマラソンの現役選手なのだ。


現役で頑張っています、と言えるものが仕事以外であるのは嬉しい。
将来的にも常に何か一つは、そういうものを持っていたいと思う。


ただ、マラソンに関していえば、いつまで自己ベストを狙える練習をつづけられるのか自信がない。
とにかく、いつそれだけの練習量が積めなくなっても悔いのないように、少なくとも今シーズンは自己ベストを狙う。


その、今シーズンの大一番と位置付けた河口湖マラソンまで、あと二週間なり。

不思議なキリスト教

2011年11月13日 | Weblog
『不思議なキリスト教』という本を読んだ。

この手の本は、ニーチェの『アンチ・キリスト』を超訳した『キリスト教は邪教です』でかなり拒否反応が出てしまった。
なので暫く読むのはよそうと思っていたのだけど、本屋に行くたびにこの『不思議なキリスト教』が目に入り、最初の数ページを読んであっけなく買ってしまった。

まず、この本の書かれた動機がいい。
すなわち、


これからの世界を知りたい
   ↓
そのためには今の世界(近代)を知らなければいけない
   ↓
近代は西洋文明が非西洋文明を浸食していった歴史だ
   ↓
では、西洋文明とはなんなのか
   ↓
西洋文明の根底にあるものの一つがキリスト教だ
   ↓
では、キリスト教とはそもそもなんなのか??


こんな感じで始まる。


対談方式で進む本書は、あくまで第三者的な立場貫く。
キリスト教信者には失礼になるようなそもそも論的な質問、しかしそれはずっと僕の中でも疑問に思い、でもあまりにそもそもすぎる問であったために誰にも聞けなかったようなこと。
そんな議論が繰り広げられる。
キリスト教を肯定も否定もしない。
ただ、研究の対象、もっと言えば好奇心の対象としてとらえている。
そこがいい。

もちろん、議論の果てに答えが出ないものも多い。
でも、その疑問を提議して、それについて議論したこと、それが大きい。
それが僕の中でも、考え始めるきっかけになる。


それら疑問の例;


多くの欧米人はキリスト教信者なのに、一方で科学を信じている。その折り合いはどうしているのか?

あれほど地動説や進化論を非難したキリスト教なのに、結果的に最も科学が進んでいるのはキリスト教圏なのはなぜか?

キリストはなんだったのか?キリスト教は作ったのは誰か?

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、どれも一神教だがそれぞれどうしてこうも信者の文化が異なるのか?

一神教の神は多神教の神と何が違うのか?

神は万能か?ならばなぜ、エデンの花園に知恵の実を実らせたのか?

キリスト教文明で産業革命、資本主義が発達したのはなぜか?イスラム教圏では工業が発達しない理由は?

云々


確かに、これらについて考えていくことが、近代文明(キリスト教の文化)が行き詰っている今を乗り越える正当な道かもしれない。