先日、旧白洲邸(武相荘)へ行く前に、国際文化会館で庭園を眺めながらの昼食。(所属する建築士会の見学会です)
国際文化会館の庭園と敷地は、江戸時代から幕末にかけて多度津藩(現香川県)藩主京極壱岐守の江戸屋敷であったそうです。
その後、三菱財閥4代目の岩崎小彌太が所有していた時に、庭園を手掛けたのが(昭和5年)京都の造園家「植治」です。
東京の空襲で建物焼失後、国が土地を払い下げ、昭和30年国際文化会館が建設。
建設の際には、元々あった庭園との調和が最大限に考慮されたようです。
建物・庭、国際文化会館となるまでの歴史について、ご興味ある方はホームページで設立までの経緯が。この日は雨が降っていたことと、時間があまりなかったため、ゆっくりお庭を歩けませんでしたので、次回に食事をしながらリベンジですね。
写真の正面に見えるのがレストラン。片側は傾斜のある庭ですが、芝生広場側には池があります。なんと2000坪の庭園のなかで、結婚式もあげれるんですよ~ご興味ある方は、是非お出かけください!
公益財団法人国際文化会館
国際文化会館の庭園と敷地は、江戸時代から幕末にかけて多度津藩(現香川県)藩主京極壱岐守の江戸屋敷であったそうです。
その後、三菱財閥4代目の岩崎小彌太が所有していた時に、庭園を手掛けたのが(昭和5年)京都の造園家「植治」です。
東京の空襲で建物焼失後、国が土地を払い下げ、昭和30年国際文化会館が建設。
建設の際には、元々あった庭園との調和が最大限に考慮されたようです。
建物・庭、国際文化会館となるまでの歴史について、ご興味ある方はホームページで設立までの経緯が。この日は雨が降っていたことと、時間があまりなかったため、ゆっくりお庭を歩けませんでしたので、次回に食事をしながらリベンジですね。
写真の正面に見えるのがレストラン。片側は傾斜のある庭ですが、芝生広場側には池があります。なんと2000坪の庭園のなかで、結婚式もあげれるんですよ~ご興味ある方は、是非お出かけください!
公益財団法人国際文化会館