フィルターレベルのお話です。
師匠と会って、いろいろな話をしていくと、解決の早道は
そのことに囚われたり、執着をしなければ、よいことにたどり着きます。
師匠「でもさ、実際、大変な時ってのは、多かれ少なかれ、自分で
なんとかしていっているよね。」
私 「まあ、それも内容によりますが。」
師匠「基本は自分だし、結果は、自分の力である内なる神と、自分が
解決するよう、導いてくれるものだよ。
あと、自分で解決できないことは、起こらないもんだよな。
自力の範囲内。それに、起こったとしても、いつかは解決する。」
確かに、私や師匠も、なんとかやっていっています。
ただ、ここで何故フィルターレベルというのか、と言うと、
自分から他人を見たときに感じる感覚のことです。
例えば、師匠は生まれつき目が不自由。
けれども、子供のときから、バレーだのテニスだのをやっていた。
ちょっと、考えると大変そうに思える。
一度、障害を持った人から、師匠は
「あなたも、バランスが悪くて疲れやすいでしょ。」
と、言われたそうです。
師匠「そのとき、初めて、そーか、アタシのこの、ぷっつんと来るのは、
障害のせいなのか、って、思ったんさ。」
って、それまでは、なにも思わなかったのですか・・・。
師匠「いやあ、健常者だって、疲れることがあるんだし、当たり前だ
と、思って、ふつーに仕事してたんだけどさ。あはは。」
この感覚が、人それぞれのフィルターレベルなんですね。 それも、比べたら、の話です。
あの人、大変だろうな、と、思ったときの感覚です。 それを、がんばれるよ、と思える感覚が あなたのフィルターレベルです。
そして、何があっても、やりとげられる自分がいて、
なにがあっても、やりとげられる自分でいられることを知っていて
ください。
フィルターレベルが高ければ、高いほど、なんの感情も交えず、
やりとげるものなのです。
それをありのままに、受け入れられるフィルターレベルにいる
のですから。
そして、自分が感情に巻き込まれないことが、これからの時代を
生きていくコツのなるのだと思います。
臣でした。