では、祈りとは何か
の問いとして教えられたのが、タイトルの天の意(識)に乗ること
なのだそうだ。
愛とは天ーあ 意(識)ーい 天の意識なのだ。
これは、繰り返し、繰り返し、伝えられ、伝えていることだ。
ひとは、己の力で生きるものだと教えられるが、或る領域に来ると
それは生かされていることの領域へとたどりつく。
自分だけで成り立っていると思っていた世界は、
実は、自分を生かし、自分は他者に助けられている世界の住人
のひとりなのだ
と気がつくのだ。
そして、或る体験をしたものは、大いなる存在を知り、体感し
畏れ多いという、新たな領域の体感へとつづく。
そうして、日々、感謝する。
毎日の行動に感謝する。
そうなのだ。今在る。自分がおかれたこと。おかれた場所で
日々を感謝して過ごし、あたえられたことをちゃんとする
ことこそ、『意に乗る』ことなのだ。
なにも、特別なことは一つもない。
先日も、潔斎中にある方への神託が降ってきたとかで、
師匠はお伝えをさせていただいた。
「何もおこらないことが、いいことなのですね。」
と、伝えられた方は言ったそうだ。
日々を平穏無事に過ごせる。
二極化が始まった中で、神さまとつながっている
つながっていられることに、感謝。