師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

快 不快 中庸 そして

2017年01月24日 | 天意の実践

感情に支配されると常に揺れ動いていることが当たり前になります。
そうして、続けていくことで揺れ幅は、さらに強く、深くなり、
自己制御が難しくなります。激しい情動が常に自分を支配するようになります。
そんな時に効果的なことは、体を動かすことです。
動かすことで体の意識の在り場を少し変えます。
ヨガや瞑想、マインドフルネスなども意識の置く場所をかえるのにとても有効です。
意識下の自分。深意識へアクセスをして中庸を体験し、それを日常へと変化させるのです。
快だけでない。不快だけでもない。日常に中庸体感を置きます。
中庸を置くことで、たとえふり幅の大きいことがあったとしても、
中庸体感と戻れるようになります。
中庸はそれを深めることができます。
深意識での中庸。ここから少しの揺らぎが生まれます。
この揺らぎは、快とも違います。
高揚感。それも穏やかに訪れます。
それは日常にこそあるのです。

あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝  天ト占と臣

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通過点 通過儀礼

2017年01月24日 | 天意の実践

良いことがあり、良くないことがあり
そのことに一喜一憂して疲れている。
この良いこと、良くないことは生きていくうえでは
ままあることなのだ。
そして生きていれば一生続くもの。
けれども、実はその隙間がある。
良くもなく、良くないこともない。ニュートラル。中庸。
実際はこの『中庸』のポジショニングが、『今在る』感覚。
快、不快の振り子にブンブン振り回されているだけではないのだ。
ただ、この強い感覚に自分も強く反応して、そのことだけを
何度も追体験、追想しているから、その二つしかない
と思い込んでいるだけなのだ。
ベースは『中庸』。そこがあなたのもととなる場所。
憩えるところ。
この感覚を思い出せれば、起きた出来事もただの通過点に過ぎないことに
気がつけ、そう名付けられる。
あれは通過儀礼だったのだ
と。
   

あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝  天ト占と臣

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