ここのブログを知り、実践を始めると、
自分のことより、自分の周囲の他者の在りようが
気になることがある。
「私にひどいことばかりいってくる友人を黙らせるには、
どうしたらいいですか?
そんなひとたちには報いはあるのですか?」
と何人かの質問があった。
まず、こちらから聞きたいのは、
あなたを傷つけるようなことを平気で言っているのであれば、
そのひとは本当に友人なのか?
ただの顔見知りではないのか?
友人というものの、『あなたの定義』を考えなければならない。
中には、
「あなたの顔を見てると、文句を言いたくなる。」
だから、「言うのだ。(言わせているのはあなただ。)」
とか、
「あなたのこんなところが悪いから、言ってあげているのだ。」
と、自己を肯定する。
それは、本当に言われたあなたの問題なのか?
以前から、お話しをさせていただいているように、
あなたを傷つける思考は、遠ざけるべきだ。
自分を傷つけてばかりいては、何も解決しない。
あなたを見ていて、腹が立つという、習慣が身に着いたと
本人が言うのであれば(自己申告をしている。)、
素直に、ごめんね、もう、関わらないわ、と
立ち去ることだ。
以前にもDVのお客さまからの相談の時に、ご主人の
そんな悲鳴にも似た叫びを感じて、別居をお勧めしたことが
あった。
この時は、無料相談で、お話しをさせていただいたので、
この女性は結局別居を選択しなかった。
そのため、ご主人の荒れようはひどくなり、やっと、地元の
相談所へ駆け込み、彼女は保護された。
その時の心理カウンセラーからも、同じことを言われたと、
後日、おっしゃっていたがー。
このひとの場合は、どうも、ご主人が苦しむところをどちらかと
言うと、楽しんでいるという、悪癖も感じられたので、そのことを
お伝えしていたのだが、心理カウンセラーの方も、同じことを
言ったのであれば、お伝えをした後のその数年間、彼女の
悪癖もまた治らなかった、というか、そうやって、苦しむご主人
を、どこかで楽しんでいた、ということなのだ。
普通に見えるひとでも、闇を宿している。マに魅入られている。
だから、あなたの選択がこのようなマを引き寄せるようなものに
したくなければ、あなたを傷つけるひととの関わりは極力避ける
ことをおすすめする。
そして、そんなひとたちに報いはあるのかと聞くなら、
報いを既に受けているから、マとともに在る行動をし、問題を
起こしている。事故に巻き込まれているという、選択の道を
すすんでいるのだ。
ちょうど、同じ時期に同じような質問や、相談を受け、また、
このところのマの強まりも感じられたので、今回、このように
お伝えをさせていただくことにした。
マに巻き込まれたくなければ、怖れることなく、光でいることだ。
もし、マである選択をしているひとを大事に思うなら、本人が
そのことに苦しみ、助けを求めてきたときに、助けてあければ
それでいい。
そうでなければ、相手は、ただのおせっかいと受け取り、
聞く耳をもたない。
本人の決心がつかなければ、それは、ただ、相手への
いやがらせと取られるだけだ。
だから、こちらも慎重に話をするようにしている。
無料相談の時は、まだ、本人の覚悟が決まっていない。
奉仕に対する対価を払っても、よくなりたいと本人が
こころから思わない限り、奇跡が起きても人は喜ばないもの
なのだーということを感じさせられた案件でもあった。
そして、決めなくても口にしただけで、神の祝福が届けられる。
その神の大きさ。懐の広さを感じられた体感でもあった。
あなたが神を見ようとしなくても、神はいる。
その奇跡はいつでも、あなたに起こっている。
だから、ささいなことに煩わされず、笑っていれば、
あなたが笑っていれば、周囲は光輝く。
それだけで、周囲のひとは癒されるのだからー。