師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

ありがたいを感じるこころ

2010年12月17日 | お客さまの感想や報告から

ご家族ぐるみでカウンセリングをおこなっている家がある。

ひとりひとり、別々で、それぞれに事が起きた時には、ご依頼を

いただいて、お話しをさせていただいているのだが、先日、

娘さんの結婚が決まり、ご養子さんを迎える運びとなったと

ご両親からの報告をいただいた。

この数年は、それぞれがいろんな問題を抱えたりもしたが、

覚悟を決めれば、物事はよりよい方向に進むものだ。

今は幸せを噛みしめています、とお母さんが嬉しそうにおっしゃった。

自分が幸せでいる

そう決めて、選択をし、行動をするようお伝えをしていたのだが、

それをお嬢さんは、正しく理解し、選択をし、行動したのだ。

自分を守るためには、どう選択するのか。

これからの時代はこの選択次第で、さらにどのようにもなるのだ。

だから、今まで以上に、強いこころで望みたいものだ。

そして、なにより、ありがたいと、感じられるやわらかいこころで

ありたい。

それこそが実は、なによりも力強く、自身を守ってくれるのだー。

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よりよく生きる権利と自由

2010年12月15日 | 天意の実践

この世界で生きるにあたり、あたえられている権利と自由。

けれども、それを自分勝手と混同されていることもある。

根底に在るのは、

『よりよく生きる』

けれども、そうとも限らない場合もある。

人の在りようにおいて、

「よりわるく生きる」

を選ぶ場合もある。

どちらがいい、わるいでなく、そのひとの必要において、

人は時に、『わるい』を選ぶ。

だからこそ、自分の在りようはしっかり意識していたいものだ。

この世界において、

自分をもその選択により、傷つけることをよしとする輩(やから)が

いることを。

光を求めるのであれば、

自分をしっかりと定義し、

より自然なままの

選択であるようにー。

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それぞれの使命

2010年12月11日 | 天意の実践

そして、時に『氏名』には、自身の『使命』が秘められていたりする。

人に文句を言う人には、和を乱す数字を持っていたり、

和を乱すことが『主たるものー使命』となっていることがある。

人からの援助が薄い数字を持っていたり、家族の縁すらも

ないというものを持っている場合もある。

逆に、人の縁に恵まれ、助け、助けられるという数字を

持っていたり、常に新しい道を切り開く数字の場合もある。

それぞれに意味あるものなのだ。

ひとりひとりの顔や境遇が違い、感じ方にも違いがあるように、

『しめい』もまた、ひと、それぞれなのだ。

だから、相手を尊重する。

行きたい道があるのだ。

我知らず、進んでゆく道があるのだ。

それは誰にも止める権利はない。止められるものでもない。

誰でもない、自分が、決めたことであり、

選んだ自分が、決めていたことなのだ。

忘れていても、自然とそういう生き方を自身が選んでいる。

そう『在る』よう、選んでいる。

それが光の道であろうとなかろうと、流れるように進んでいる。

神さまですら、本人が選ぶならと、何もおっしゃらない。

今が在るのは、ほかならない、あなたが自分で選んだこと。

それがすべて。

あなたは、あなたの選択でできている。

その名さえも、こちらの世界へ来る前に、

あなたは忘れたであろうけれども、、

あなたが選択し、決めている。

だから、神さまは、あなたの選択をとても、尊重しておられる。

あなた自身でいられるよう、すべてはあたえられる。

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そして、つながりあう

2010年12月08日 | 天意の実践

ひと、ひとりの力も微力でも、つながりによって、それは増幅する。

目には見えなくても、つながりあうものたちは、時も空間も越えていく。

自分を大事に思っていれば、自分のことを大事にできるよう、

助けてくれるひとが現れる。

必要な時に、必要に応じた仲間が、必ず、やってくるものだ。

そのことを信じていれば、信じているものにあたえられる。

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よきこと そうでないこと

2010年12月07日 | 天意の実践

ここのブログを知り、実践を始めると、

自分のことより、自分の周囲の他者の在りようが

気になることがある。

「私にひどいことばかりいってくる友人を黙らせるには、

どうしたらいいですか?

そんなひとたちには報いはあるのですか?」

と何人かの質問があった。

まず、こちらから聞きたいのは、

あなたを傷つけるようなことを平気で言っているのであれば、

そのひとは本当に友人なのか?

ただの顔見知りではないのか?

友人というものの、『あなたの定義』を考えなければならない。

中には、

「あなたの顔を見てると、文句を言いたくなる。」

だから、「言うのだ。(言わせているのはあなただ。)」

とか、

「あなたのこんなところが悪いから、言ってあげているのだ。」

と、自己を肯定する。

それは、本当に言われたあなたの問題なのか?

以前から、お話しをさせていただいているように、

あなたを傷つける思考は、遠ざけるべきだ。

自分を傷つけてばかりいては、何も解決しない。

あなたを見ていて、腹が立つという、習慣が身に着いたと

本人が言うのであれば(自己申告をしている。)、

素直に、ごめんね、もう、関わらないわ、と

立ち去ることだ。

以前にもDVのお客さまからの相談の時に、ご主人の

そんな悲鳴にも似た叫びを感じて、別居をお勧めしたことが

あった。

この時は、無料相談で、お話しをさせていただいたので、

この女性は結局別居を選択しなかった。

そのため、ご主人の荒れようはひどくなり、やっと、地元の

相談所へ駆け込み、彼女は保護された。

その時の心理カウンセラーからも、同じことを言われたと、

後日、おっしゃっていたがー。

このひとの場合は、どうも、ご主人が苦しむところをどちらかと

言うと、楽しんでいるという、悪癖も感じられたので、そのことを

お伝えしていたのだが、心理カウンセラーの方も、同じことを

言ったのであれば、お伝えをした後のその数年間、彼女の

悪癖もまた治らなかった、というか、そうやって、苦しむご主人

を、どこかで楽しんでいた、ということなのだ。

普通に見えるひとでも、闇を宿している。マに魅入られている。

だから、あなたの選択がこのようなマを引き寄せるようなものに

したくなければ、あなたを傷つけるひととの関わりは極力避ける

ことをおすすめする。

そして、そんなひとたちに報いはあるのかと聞くなら、

報いを既に受けているから、マとともに在る行動をし、問題を

起こしている。事故に巻き込まれているという、選択の道を

すすんでいるのだ。

ちょうど、同じ時期に同じような質問や、相談を受け、また、

このところのマの強まりも感じられたので、今回、このように

お伝えをさせていただくことにした。

マに巻き込まれたくなければ、怖れることなく、光でいることだ。

もし、マである選択をしているひとを大事に思うなら、本人が

そのことに苦しみ、助けを求めてきたときに、助けてあければ

それでいい。

そうでなければ、相手は、ただのおせっかいと受け取り、

聞く耳をもたない。

本人の決心がつかなければ、それは、ただ、相手への

いやがらせと取られるだけだ。

だから、こちらも慎重に話をするようにしている。

無料相談の時は、まだ、本人の覚悟が決まっていない。

奉仕に対する対価を払っても、よくなりたいと本人が

こころから思わない限り、奇跡が起きても人は喜ばないもの

なのだーということを感じさせられた案件でもあった。

そして、決めなくても口にしただけで、神の祝福が届けられる。

その神の大きさ。懐の広さを感じられた体感でもあった。

あなたが神を見ようとしなくても、神はいる。

その奇跡はいつでも、あなたに起こっている。

だから、ささいなことに煩わされず、笑っていれば、

あなたが笑っていれば、周囲は光輝く。

それだけで、周囲のひとは癒されるのだからー。

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