内容がちょっと重いので苦手な方は今日はすっ飛ばしてください。
23日土曜日、午前7時10分頃。親父の携帯に親戚から電話が入る。先月から入院していた叔母が危篤状態というものだった。
叔母は自分の家から程近い病院に1ヶ月前から入院していた。
老人ホームに入っており、5月27日に転んだ拍子に左足大腿骨を骨折してしまう。救急車で病院に搬送され、その次の日に手術を行い骨折の治療は経過観察となった。
しかし、その数日後に脳梗塞を発症。CT、MRIを撮影した結果、脳梗塞数箇所の他に膵臓、肺、肝臓に癌があるのが発見される。
医者からは余命1ヶ月から半年と宣告される。
そして6月23日6時45分、帰らぬ人となった。享年88歳、大正、昭和、平成と激動の時代をくぐり抜けた人だった。
親父が病院に向かった後、10分後くらいにお袋と病院に向かっているところに親父から亡くなった旨のメールが届く。
病室に着くとすでに他の親族が到着していた。皆、覚悟していたからショックはそれほど無い。逆に「こっちの都合を考えて土日にしてくれたね」と皆で話すくらい。
親族がすぐに葬儀屋に連絡し、日取りを決める。今日通夜、明日葬儀。
家族葬で行うことにしたのだが、家族葬専用ホールが空いていなかったので通常葬儀を行うホールを使用しての家族葬となった。変な例えかもしれないがオーバーブッキングでエコノミーからビジネスに変えてもらったようなものかな。
主治医から説明があり、その最中に葬儀屋さんがやってくる。
ベッドからストレッチャーへ載せ替え、霊柩車を見送った。
一旦ホールへ向かう。家族控え室にはすでにポップが掲げられていた。
一番驚いたのがもうすでに棺に入っているところ。いやいや、仕事が速い。(このときは仮で入れてあっただけのようで、この後にちゃんと体を拭いたり脚絆、手甲等の旅支度を行いました)
お坊さんが枕経をあげに来るのが10時半頃とわかったところで自分は会社へ行く。
定時で仕事を終わらせて家に帰り、着替えてホールへ向かう。
他の親族も来ており、大人8人子供二人の総勢10人。200人は入るだろうホールでこれだけってのも少々気が引ける。
時間になり、お坊さんが見えて通夜が執り行われた。
その後親族控え室に戻ると夕食が準備されていた。これも料金のうちだそうだ。昔は自治体の班ごとに受け持っていたことを葬儀屋がやってくれる。余計な心配をしなくてすむ。
しばらくして自分は一旦家に帰り、風呂に入ってから高速バスでやってきた姉貴を迎えにバス停まで行き、再びホールへ。
姉貴も対面したところで自分たちの家族は帰る。明日は11時から葬儀、出棺は午後となった。
そして24日。週間天気では雨の予報だったが薄曇。空を見れば薄く飛行機雲が見える。
AY79 OH-LTO FL120
LH736 D-AIGB FL150 さらに上を行くのはJA8978?
着替えてホールへ。時間通りに始まり、時間通りに終わる。
叔母は花が好きだったので最期に皆で花で飾る。さすがにこのときはグッと来た。
そして出棺。霊柩車の後ろについて火葬場へ向かう。近いからあっという間だ。
新しくなってから始めて来る火葬場。設備も色々新しく、そちらに目が行ってしまう。
荼毘に臥す前にもう一度、和尚さんが引導を渡す。子供達がビクッとなる。今行われている儀式が大切なことだと実感したのだろう。それまではしゃいでいた子がおとなしくなった。
「それでは2時間ほど後に収骨となりますので、その間お食事されてお待ちください。」と係りの人に言われて部屋に通される。
すでに昼食の準備がされていた。施設自体は市のものだが、葬儀屋が来てお昼の準備までしてくれる。至れり尽くせりだね。
お弁当だけど立派なもの。どこかの仕出弁当かと思ったら葬儀屋が作ったもの。ご丁寧にお品書きまで。
般若湯をいただきながらを前提にしているのか、少々しょっぱかったがおいしかった。
じっとしているのが苦手な自分は外へ出る。
最期の見送り、と思ったが今の火葬場は煙が出ない。でも陽炎は見えた。叔母さん、ありがとう。
お袋と姉貴も外に出てきたのでいろいろと話していると、それまで聞こえていた送風の音が変わった。そしてほぼ同時に係員が待合室に行くのが見えた。どうやら冷却に入ったのだろう。待合室に戻るとあと10分で収骨になる、と言われたようだ。
そして収骨。今まではしゃいでいた子が怖々近づく。もちろん台座はまだ熱い。一つ収骨したあと、思わず観察。前職の癖が抜けないね。
その後はお寺に行って供養、初七日を執り行い葬式が終わる。天気はずっと良く、晴れ女だった叔母の力だよ、なんて話した。
家に帰ってコーヒーを飲んでようやく一段落ついた気がした。自分もお袋も昨夜はあまり寝れなかった。自分はまだいいがお袋の体調が心配。この頃調子よくないからな。
時計を見るとすでに16時半。姉貴を送りに出る。
中央ライナー新宿行き。まあまあの乗車率。姉貴も忙しいところお疲れ様。
人は誰しも必ず死ぬ。だからこそ一日一日を悔いなく過ごすことが大切だと再認識した。
また、和尚の説法に「ありがとう」の話があった。
「ありがとう」が言えるすばらしさを今一度考えてみよう。
23日土曜日、午前7時10分頃。親父の携帯に親戚から電話が入る。先月から入院していた叔母が危篤状態というものだった。
叔母は自分の家から程近い病院に1ヶ月前から入院していた。
老人ホームに入っており、5月27日に転んだ拍子に左足大腿骨を骨折してしまう。救急車で病院に搬送され、その次の日に手術を行い骨折の治療は経過観察となった。
しかし、その数日後に脳梗塞を発症。CT、MRIを撮影した結果、脳梗塞数箇所の他に膵臓、肺、肝臓に癌があるのが発見される。
医者からは余命1ヶ月から半年と宣告される。
そして6月23日6時45分、帰らぬ人となった。享年88歳、大正、昭和、平成と激動の時代をくぐり抜けた人だった。
親父が病院に向かった後、10分後くらいにお袋と病院に向かっているところに親父から亡くなった旨のメールが届く。
病室に着くとすでに他の親族が到着していた。皆、覚悟していたからショックはそれほど無い。逆に「こっちの都合を考えて土日にしてくれたね」と皆で話すくらい。
親族がすぐに葬儀屋に連絡し、日取りを決める。今日通夜、明日葬儀。
家族葬で行うことにしたのだが、家族葬専用ホールが空いていなかったので通常葬儀を行うホールを使用しての家族葬となった。変な例えかもしれないがオーバーブッキングでエコノミーからビジネスに変えてもらったようなものかな。
主治医から説明があり、その最中に葬儀屋さんがやってくる。
ベッドからストレッチャーへ載せ替え、霊柩車を見送った。
一旦ホールへ向かう。家族控え室にはすでにポップが掲げられていた。
一番驚いたのがもうすでに棺に入っているところ。いやいや、仕事が速い。(このときは仮で入れてあっただけのようで、この後にちゃんと体を拭いたり脚絆、手甲等の旅支度を行いました)
お坊さんが枕経をあげに来るのが10時半頃とわかったところで自分は会社へ行く。
定時で仕事を終わらせて家に帰り、着替えてホールへ向かう。
他の親族も来ており、大人8人子供二人の総勢10人。200人は入るだろうホールでこれだけってのも少々気が引ける。
時間になり、お坊さんが見えて通夜が執り行われた。
その後親族控え室に戻ると夕食が準備されていた。これも料金のうちだそうだ。昔は自治体の班ごとに受け持っていたことを葬儀屋がやってくれる。余計な心配をしなくてすむ。
しばらくして自分は一旦家に帰り、風呂に入ってから高速バスでやってきた姉貴を迎えにバス停まで行き、再びホールへ。
姉貴も対面したところで自分たちの家族は帰る。明日は11時から葬儀、出棺は午後となった。
そして24日。週間天気では雨の予報だったが薄曇。空を見れば薄く飛行機雲が見える。
AY79 OH-LTO FL120
LH736 D-AIGB FL150 さらに上を行くのはJA8978?
着替えてホールへ。時間通りに始まり、時間通りに終わる。
叔母は花が好きだったので最期に皆で花で飾る。さすがにこのときはグッと来た。
そして出棺。霊柩車の後ろについて火葬場へ向かう。近いからあっという間だ。
新しくなってから始めて来る火葬場。設備も色々新しく、そちらに目が行ってしまう。
荼毘に臥す前にもう一度、和尚さんが引導を渡す。子供達がビクッとなる。今行われている儀式が大切なことだと実感したのだろう。それまではしゃいでいた子がおとなしくなった。
「それでは2時間ほど後に収骨となりますので、その間お食事されてお待ちください。」と係りの人に言われて部屋に通される。
すでに昼食の準備がされていた。施設自体は市のものだが、葬儀屋が来てお昼の準備までしてくれる。至れり尽くせりだね。
お弁当だけど立派なもの。どこかの仕出弁当かと思ったら葬儀屋が作ったもの。ご丁寧にお品書きまで。
般若湯をいただきながらを前提にしているのか、少々しょっぱかったがおいしかった。
じっとしているのが苦手な自分は外へ出る。
最期の見送り、と思ったが今の火葬場は煙が出ない。でも陽炎は見えた。叔母さん、ありがとう。
お袋と姉貴も外に出てきたのでいろいろと話していると、それまで聞こえていた送風の音が変わった。そしてほぼ同時に係員が待合室に行くのが見えた。どうやら冷却に入ったのだろう。待合室に戻るとあと10分で収骨になる、と言われたようだ。
そして収骨。今まではしゃいでいた子が怖々近づく。もちろん台座はまだ熱い。一つ収骨したあと、思わず観察。前職の癖が抜けないね。
その後はお寺に行って供養、初七日を執り行い葬式が終わる。天気はずっと良く、晴れ女だった叔母の力だよ、なんて話した。
家に帰ってコーヒーを飲んでようやく一段落ついた気がした。自分もお袋も昨夜はあまり寝れなかった。自分はまだいいがお袋の体調が心配。この頃調子よくないからな。
時計を見るとすでに16時半。姉貴を送りに出る。
中央ライナー新宿行き。まあまあの乗車率。姉貴も忙しいところお疲れ様。
人は誰しも必ず死ぬ。だからこそ一日一日を悔いなく過ごすことが大切だと再認識した。
また、和尚の説法に「ありがとう」の話があった。
「ありがとう」が言えるすばらしさを今一度考えてみよう。