順風ESSAYS

日々の生活で感じたことを綴っていきます

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法学部の学生時代から、日記・エッセイ・小説等を書いているブログです。
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エッセイ→ぼくはタイガー鶏口症候群成功のための競争背水の陣//小説→切符がくれたもの鉛筆削り未来ニュース//鑑賞録・感想→報道写真について美術鑑賞2009No_Logic天使たちのシーン//その他創作モノ→回文まとめ雪が降る
 

エキスポランド

2006年05月21日 | 日記
私の携帯は笑いが出てくるほど変換が頭悪く、KAT-TUNを出すくらいなら常識的な漢字変換をやってくれと思う毎日である。今日変換していたところ、予測で「エキスポランド」という候補が出てきた。何これ?と疑問に思ったので検索してみたところ、大阪の遊園地らしいです。有名なんですかね?

詩才について

2006年05月21日 | essay
伊藤園のお茶には子供の俳句が載っているが、ハッとさせられるものも多い。最近見た中では、「曇り空 誰が落とした 目玉焼き」(うろ覚え)というもので、空に向かって卵を落とすとは、それが曇り空から丸く光る太陽をみて思いつくとは、とつくづく感心させられた。同じ空を見るでも、私のようにぼんやり見てる人もいれば、輝かしいものを見出す子供もいるものだ。

詩人が見る空と普通人が見る空は同じで、格別詩人がきれいな空をみているわけではない。普通の人でも旅行記など非日常体験について書くとき筆が立つのは、直感そのまま新鮮で書きたいことになるから、とのことだ。子供は天然の詩人というか物事を偏見なくみる能力が備わっているのに対して、平凡な人としては意識的に挑戦してみる必要がある。「切符がくれたもの」は、実際わが家のポストに切符が(ここでは大人の切符だった)入っていたのをきっかけにストーリーを広げて作ってみたものだ。書いた当初はそれほど意識していなかったが、駅の改札は結構色々なことが象徴されているように思う。

「矢印や進入禁止の表示が身近に見える」子供のころは自分がやるべきことに迷うことが殆どない。学校の勉強をやって、宿題をやって…。そしてみんな進む方向は一緒だ。一方、「今度は、改札機が小さく見える」矢印も進入禁止も視界に入らない。外から与えられる進むべき方向は目に入らない。二人の行く方向も同じではない。ただ、ささやかな交流でこれから自分が進むだろう道に少し自信を持つことができた。そんな意味を込めて結語へ。

こうやって一度言葉にこだわって何かやってみると、流行曲の歌詞にも色々と込められた意味があるのではないか、と気がついてくる。使い捨てなどというが、それは聴く側が氾濫する情報の中でひとつを味わう機会を狭めてしまっているからかもしれない。思えば、中学生、CDを買い始めた頃は同じ曲を何度も何度も繰り返して聴いていたっけ。最近見直したなかでは、ミスターチルドレンの「未来」が特に含蓄深いと思う。

このように詞の世界では普段は見過ごしてしまう事柄に多面的にアタックしてみることでそれなりの成果は挙げられるが、笑いの世界は見た人に瞬時に理解させなければいけない。これはより難しい大変な作業だ。テレビを見ていても、小道具を前にした即興のコントは一杯一杯なのが伝わってくるし、トークバラエティ番組では何でもない言い間違えを指摘して執拗に笑うばかりである(どもり癖のあった私としてはこれは許せない部類に入る)。

駅までの道

2006年05月21日 | 創作
駅までの道 通いなれた道
今まで何回歩いてきたのだろう
何百? 何千? 何万?

家から駅までの地図くらいは書けるよ
徒歩何分 自転車何分 時間くらいは言えるよ
でも毎日の草木や花、空、通り過ぎる人たち
知覚されても 日常の中で消えていく

今日初めて君とこの道を歩いたよ
幼いころの通学路も歩いたよ
背の小さい その目に映る光景は
美術館の名画のように輝いていたのだろうね
無邪気にはしゃぐ姿

昔は道端の花や昆虫を探していたっけ
クローバーの群生を見下ろして四つ葉を探していたっけ
クレマチスの散る姿は儚いね
芍薬のつぼみは奥ゆかしいね
空の表情も毎日違っていたね

霧が晴れたんだ 気がつけば この道は宝箱
時が経って 一緒にいるのが当たり前になるかもしれないけど
僕は一瞬一瞬を胸に刻んでいくよ
ありがとう 毎日の素晴らしい発見を

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※特に意味はありません=私の日常には関係ありません
いや、mixiでつらつらと出来事を書いてるとこっちでは変に凝りたくなるんですよ。
教訓:「君」を使うと作りやすい。ミスターチルドレン様、すみません。