今日は、休みでした。
天気が良ければ、雲海見物と思っていましたが、どうも曇りのようなので、見送りました。
このところ、なかなかイイ天気に巡り合えず、残念です。
それならばと、突然思い立ち、朝早くから出かけたのが安土城。
歴史好きの私にとって、織田信長さんはとても好きなランクの上位であります。
そこで、安土城となったわけですが、実のところだいぶ前に数回行っておりました。
しかし、その時はまだ発掘中と言うことで、天守までは行けなかったのであります。
今では、作業も終了しており、それならば、と本日出かけた次第。
琵琶湖大橋を渡り到着したのが、8時過ぎ。
まだ、開いていません。
以前は、勝手に入れたのですが、今は有料です。
時間まで周辺をドライブし、9時ちょうどに到着。
すでに数台の車が停まっていました。
見ると、北九州や愛知、岐阜方面とみなさん遠くから歴史好きの方たちが来られています。
入場料500円を払い、いざ登城です。
これから先は、お城好き、戦国好き、信長さん好きの方々向きでありますので、あしからず。
まず、正面に石段がド~ンと目に入ってきます。
そして、ちょっと登った左側には、羽柴秀吉さん宅がありました。
あの関白になられた秀吉さんです。
この水も当時流れていたのでしょうか。
その対面には、前田利家さん宅があります。
この超有名な方が、間違いなく、あの石段を登り、ここにおられたのかと思うと、しばらく感慨深げに立ちつくしておりました。
いやぁ、感動です。
そして、石段をどんどん登って行きます。
すると所々に、こんな表示が目に付きます。
近寄ってみると、石仏と書かれていています。
説明は、こちら。
神仏に対して、信長さんは色々と言われていた通り、まったく容赦なく、石仏もただの石として見なし、石段に使っていたようです。
またまた石段を登って行きます。
ここは、武井夕庵さん宅址と書かれていますが、私は知りません。
きっとエライ人なんでしょうが・・・。
しばらく行くと、大きな石碑があります。
悲しいかな、まったく読めません。
まだまだ登って行きます。
こちらは、知った名前でした。
織田信澄さん宅。
隣に、あの森蘭丸さん宅です。
う~ん、スゴイ有名な方です。
ただ、今は何も無く雑木林となっていて、寂しい・・・。
石段の様子が変わってきました。
ここは、黒金門跡です。使われている石がとても大きくなりました。
これから先は、本当にエライ人たちがおられた場所になります。
そこからしばらく行くと、またまたバチあたりな石がありました。
仏足石で、お釈迦様の足を模った信仰の対象だった石が、信長様に掛ればただの石材となりました。
次に辿りついたのが、信長さまの本廟です。
合掌。
それから、石垣を眺めながら登ります。
そして、本丸跡。
次は、いよいよ天守です。
この礎石は、天守の地下一階部分。
天守台からの眺めは、絶景です。
霞んでいますが、この先の琵琶湖の向こうは、高島方面であります。
天守のところで、しばらく立ちつくす私。
そして、400年以上前の石垣に触れて、何かを思う私。
感傷に浸って天守を後にします。
降りてくる途中に供養塔がありました。
これは、信長さんの子孫のものです。
どんどんと降りていくと、何名かの人たちとすれ違います。
みなさん歴史の話をしながら進まれておられます。
続いて向かったのは、見寺跡。
信長さまを神と祭った寺です。
三重の塔。
仁王門。
ここまでの道は、こんな道。
足が丈夫でないと進めません。
この道を当時の人も通っておられたと思うと、またまた感慨深げに・・・。
と言うことで、開門と同時に登城し、安土城址を堪能した私。
それから、しばらく気分は信長様でありました。
「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。
ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」
(人間の一生は所詮五十年に過ぎない。
天上世界の時間の流れてくれべたらまるで夢や幻のようなものであり、命あるものはすべて滅びてしまうものなのだ。)
敦盛を口ずさみながら、次へ向かったのは、信長様に滅ぼされた浅井長政さんの小谷城です。
このレポートは、また後日。