「愛してくれ/@NoGod」という直球タイトルがあって度肝抜かれたsachiakiです。
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まぁそれはさておき、今日興味深いエントリをみつけたのですよ。
「自傷行為とナンパについて/『『自傷行為の理解と援助』松本俊彦著』」
→ttp://takaishi-hirosuke.com/?p=1257
ナンパを教えていると、自分が思ったことを上手く言えない人が多い。彼らは他者を求めているというのに、他者に語りかける言葉を自分の中から探すことが出来ない。それでも声をかける。同じようなことを色々な人に言って、たまに引っかかった相手とセックスをする。そのセックスは悲惨なもので、射精し終わった後、或いは射精し終える前に既に後悔、罪悪感、一体自分は何をしているんだろうという感情に襲われる。または、もうそんなことすら思わないほどに、自分自身が何を思っているのかということに蓋をしてしまった人もいる。
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リストカットなどの自傷行為は自らに傷をつけることで他人に構ってもらおうとする行動だと思われることが多い。確かにそういった側面もあるが、その理解は正しくない。自傷行為ははじめは一人で行われる。それは自分で自分のことが分からなくなった辛い瞬間を乗り越えるためにある。
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“第一に、自傷行為は「つらい瞬間を生き延びる」ために行われますが、繰り返されるたびに少しずつ死をたぐり寄せる可能性があるということ。第二に、ともすれば援助者は自傷行為をやめさせようと躍起になりますが、自傷する若者の第一の問題点は、自傷行為をすることではなく、「つらい感情」を誰にも打ち明けずに自分一人で解決しようとする生き方にあること。そして最後に、援助者自身の偏見や思い込みが自傷する若者の回復を妨げる場合があり、叱責や禁止の言葉を発する前に、まずは本人の言葉に耳を傾けてみる必要がある、ということです。”
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まず一見相容れない二つの行為だけど、根源が同じなんじゃないか?
っていう視点が面白いなぁって思ってみると、
なるほどたしかに現実対応能力が高い人は
どちらもしないものであるなぁと妙な納得をしたわけです。
どちらも心理的に追いつめられている。
もちろんそうでない人もいろんだろうけれど(とくにナンパの方)、
ゲーム的に楽しんでいるのではなく、そうしなければならない人ってのは
ナンパも自傷も「苦しみから逃れたい」っていうのなんだと受け止めれば
なんで彼らがあんなにも悲しくて興味深い人間像であるのか
ちょっとだけ見えてくる気がしたりしなかったり。
「苦しみから逃れたい」
万人がそう思い、その折り合いの付け方が趣味の世界だったり
表現の世界だったり、信仰だったりするんだろうけれど
そのどれともうまく折り合いがつけられなかった人が
そういったもの(ナンパや自傷行為)に縋るのかしら?
なんてことも思えば、なんだ普通の人間じゃないかと受け止めることもできるわけです。
と、小難しいこと考えていたら腹が減りました。
ちょっとお昼ご飯しに行ってきます (`・ω・´)ゞ
そんじゃまた明日~☆モイモイ