お金ないっていうのにね、
ついつい本は買ってしまうのです。
そんな積読貧乏を引きずっているsachiakiです。
あ、でも今回は積読にならなさそう。
先日購入した『無責任の新体系 きみはウーティスと言わねばならない/荒木優太 著』が
なかなかに面白くてね、読まなくちゃならない本がいろいろある中
語り口も軽妙なのでサクサクと呼んでいるところです。
無責任と責任ってどう違うの?
っていうの、あまりにも分かりきっているつもりで
そりゃ責任を取る人間が責任感があって
なんでも人任せなのが無責任なのと違う?
とかいろいろとあると思いますけれど、
概ね「無責任」については皆一様に嫌な気持ちになると思います。
なんだけど、
この本を読んでいると、
あれ?責任を強く求めているってことは
結局誰かをスケープゴートにして
自分ではない誰かに断罪を引き受けてもらいたいってことじゃん?
と気付くようになったり、
じゃぁ誰でもない全員が責任をまっとうすれば良いの?
ってなると、
それって結局誰も責任を取れないのと同義語だよね。
という堂々巡りに陥ったりして
あー、結局なんなんだーーーーーー!!!!!
って気持ちになったりするんだけど、
そもそもそんなことを考えたことがない人だって
「代表は責任を取るべきである」と言ったところで
じゃぁどうるのかってことを考えたことの
一度や二度くらいはあると思います。
他にもこの時代「いつ子供つくるの?」って聞いてくる誰かに対して
お給金が低かったりそれどころじゃなくらい忙しかったりした時に
それは誰の責任なのか?と問い詰められ
「自己責任だよ」って言われて釈然としない気持ちになったり
そういうことって普段でもあるんじゃないかなと思います。
自分の人生を主体的に生きれば、
おのずと自分の人生に責任を持つことはできるんだけど、
じゃぁ自分ってなんなんですか?
なんて話になると、またいろいろと悩んだりしますよね。
(悩まないかな?私だけじゃないと思うんだけど……)
そんなこんなを頭の中でいろいろと反芻して
「これが私です!」って言い切りたい時にあるとっておきの方法が
悩んだら面白いと思う方へ舵をとれってことですw
もちろんこれは私なりの答えなので、万人に当てはまるとは思っていません。
面白い方っていうのはだいたい先が見えず
誰にも文句が言えない方面だからです。
転んで大怪我どころか、
人生の落とし穴と言われる部分にあたる可能性もなくはないからです。
それこそ迷惑をかけまくるだろうし、
後ろ指をさされる時だって絶対にある。
だから「面白い方へ舵をとる」危険はとても大きい。
だけど、自分というものを主体的に生きる時
責任/無責任の割り振りや、あるいは無責任を装うことで
大きな災い回避をすることができることを学んだりします。
って、なんか真面目っぽくなってきちゃったな。
こういうのはnoteでやろうと思っていたんだったw
とにもかくにも、自分という人間の責任をまっとうするなら
「面白う方」にベットする。
これが主体的に生きるということでもあるんじゃないか?
っていうお話でした。
とりあえずまだ読了していないのでこの辺にて。
そんじゃまたねー!モイモイ
ついつい本は買ってしまうのです。
そんな積読貧乏を引きずっているsachiakiです。
あ、でも今回は積読にならなさそう。
先日購入した『無責任の新体系 きみはウーティスと言わねばならない/荒木優太 著』が
なかなかに面白くてね、読まなくちゃならない本がいろいろある中
語り口も軽妙なのでサクサクと呼んでいるところです。
無責任と責任ってどう違うの?
っていうの、あまりにも分かりきっているつもりで
そりゃ責任を取る人間が責任感があって
なんでも人任せなのが無責任なのと違う?
とかいろいろとあると思いますけれど、
概ね「無責任」については皆一様に嫌な気持ちになると思います。
なんだけど、
この本を読んでいると、
あれ?責任を強く求めているってことは
結局誰かをスケープゴートにして
自分ではない誰かに断罪を引き受けてもらいたいってことじゃん?
と気付くようになったり、
じゃぁ誰でもない全員が責任をまっとうすれば良いの?
ってなると、
それって結局誰も責任を取れないのと同義語だよね。
という堂々巡りに陥ったりして
あー、結局なんなんだーーーーーー!!!!!
って気持ちになったりするんだけど、
そもそもそんなことを考えたことがない人だって
「代表は責任を取るべきである」と言ったところで
じゃぁどうるのかってことを考えたことの
一度や二度くらいはあると思います。
他にもこの時代「いつ子供つくるの?」って聞いてくる誰かに対して
お給金が低かったりそれどころじゃなくらい忙しかったりした時に
それは誰の責任なのか?と問い詰められ
「自己責任だよ」って言われて釈然としない気持ちになったり
そういうことって普段でもあるんじゃないかなと思います。
自分の人生を主体的に生きれば、
おのずと自分の人生に責任を持つことはできるんだけど、
じゃぁ自分ってなんなんですか?
なんて話になると、またいろいろと悩んだりしますよね。
(悩まないかな?私だけじゃないと思うんだけど……)
そんなこんなを頭の中でいろいろと反芻して
「これが私です!」って言い切りたい時にあるとっておきの方法が
悩んだら面白いと思う方へ舵をとれってことですw
もちろんこれは私なりの答えなので、万人に当てはまるとは思っていません。
面白い方っていうのはだいたい先が見えず
誰にも文句が言えない方面だからです。
転んで大怪我どころか、
人生の落とし穴と言われる部分にあたる可能性もなくはないからです。
それこそ迷惑をかけまくるだろうし、
後ろ指をさされる時だって絶対にある。
だから「面白い方へ舵をとる」危険はとても大きい。
だけど、自分というものを主体的に生きる時
責任/無責任の割り振りや、あるいは無責任を装うことで
大きな災い回避をすることができることを学んだりします。
って、なんか真面目っぽくなってきちゃったな。
こういうのはnoteでやろうと思っていたんだったw
とにもかくにも、自分という人間の責任をまっとうするなら
「面白う方」にベットする。
これが主体的に生きるということでもあるんじゃないか?
っていうお話でした。
とりあえずまだ読了していないのでこの辺にて。
そんじゃまたねー!モイモイ