先日ちょっと考えさせられることがありましてん。
よく「子供を叱る時は逃げ道を用意しておきましょう」
なんていうのを教育論で聞かされるんですけれど、
それだけじゃなく、最近では上司によるパワハラの一例としても
挙げられていたりする
「正論は人を潰す」「正論は人を追い詰める」というやつです。
正しさが常に良いとは限らないのよ。
これがわからないままでいると
けっこう社会的に苦労すると思います。
私はけっこう若い時にやらかして苦い思いをしたことがあるので
それからはある程度事情を察したら聞かない、
とかそういったことを覚えたsachiakiです。
正論ってのは間違いを正す上ではとても大切なものですが
あくまで相手に伝わればそれでOKなのです。
正論というものは”正しい”からこそ相手に反駁の余地を許しません。
当然ミスを見つけたりした時に
「それは間違っていると思います」
というのは正しいことですが、
その間違いに対して「なぜ正しくできないのか」など
相手のグゥの音もでないほど叩きのめすのは
ただ自分が相手を支配したいだけの
快楽的行為に変わりがありません。
そこに正義はあるとは到底思えない。
また、人は常に正しいことを行うものでもありません。
その時の環境や感情によって間違いを起こすこともあります。
そういったことについて、人の心の動きを理解できずに論を展開すると
ただの嫌なやつどころかモンスター扱いされることにもなります。
また、正論を吐き続ける人といると、受け取る側の神経が疲弊してきます。
それは”この人の前でミスができない”という緊張感によるもので
リラックスしていれば普通にできることすらできなくなってしまうほど
プレッシャーを与えられていることになり、
最悪その正論の嵐に会い続けた人は
自分が常に悪いと考えることになって鬱になってしまったりします。
正論は常に正しいけれど、それが最善なものではありません。
時と場合によっては協調ムードを壊すような厄介なものにもなりかねません。
自分もそういったことをやってやしないか、
相手になにかを教えるということは
立場が上になるので教える側は気持ちがいいものですが
相手が常に感謝をしているものでもないし、
むしろ困惑されることも多いです。
年をとったり知っているものが増えてきたりすると
ついつい「それは良くない!」とか「ひとつものを教えてやろう」
なんて気持ちで誰かに接っしてしまいがちですが、
そういった態度はとてつもなく傲慢で
非常に人間として稚拙な態度の一つであると心に置き、
誰かが間違ったことをしていた時は
「それは違うと思うよ」とだけ伝え、
相手が教えを請うてきた時にだけ必要なものだけ伝えて、
あとは相手の想像力に委ねるのが良いかと思います。
人は間違えることもあります。
間違えが何度も起こることもあるし、
直らないこともある。
だからこそ面白いのだと心に余裕を持ち、
人の過ちよりも自分の過ちに対して正す気持ちを忘れず、
人は人って割り切って生きていきたいものです。
追記:もしあなたの周りに正論で人を潰すようなパワハラマンが潜んでいた場合、
「カサンドラ症候群」というものに陥り、自己評価が低下したり、
パニック障害や無気力になったりしかねないので
自分が潰されてしまう前に早めに精神保健福祉センターさんに相談したり、
専門機関に頼ったり、同じような体験をしている人と辛さを分かち合う等の
自助努力が必要となりますので、
うつとなって動けなくなる前に対策を立てておくと良いと思いますよ。
先に書いた通り、人はそれぞれに違うからこそ面白いのであって、
正論が好きな人を直そうとしても無駄なので、
自分の方が付き合い方などを学ぶと良いと思います。
今日は重たい日記だね!そんな日だってたまにはある。
モイモイ
よく「子供を叱る時は逃げ道を用意しておきましょう」
なんていうのを教育論で聞かされるんですけれど、
それだけじゃなく、最近では上司によるパワハラの一例としても
挙げられていたりする
「正論は人を潰す」「正論は人を追い詰める」というやつです。
正しさが常に良いとは限らないのよ。
これがわからないままでいると
けっこう社会的に苦労すると思います。
私はけっこう若い時にやらかして苦い思いをしたことがあるので
それからはある程度事情を察したら聞かない、
とかそういったことを覚えたsachiakiです。
正論ってのは間違いを正す上ではとても大切なものですが
あくまで相手に伝わればそれでOKなのです。
正論というものは”正しい”からこそ相手に反駁の余地を許しません。
当然ミスを見つけたりした時に
「それは間違っていると思います」
というのは正しいことですが、
その間違いに対して「なぜ正しくできないのか」など
相手のグゥの音もでないほど叩きのめすのは
ただ自分が相手を支配したいだけの
快楽的行為に変わりがありません。
そこに正義はあるとは到底思えない。
また、人は常に正しいことを行うものでもありません。
その時の環境や感情によって間違いを起こすこともあります。
そういったことについて、人の心の動きを理解できずに論を展開すると
ただの嫌なやつどころかモンスター扱いされることにもなります。
また、正論を吐き続ける人といると、受け取る側の神経が疲弊してきます。
それは”この人の前でミスができない”という緊張感によるもので
リラックスしていれば普通にできることすらできなくなってしまうほど
プレッシャーを与えられていることになり、
最悪その正論の嵐に会い続けた人は
自分が常に悪いと考えることになって鬱になってしまったりします。
正論は常に正しいけれど、それが最善なものではありません。
時と場合によっては協調ムードを壊すような厄介なものにもなりかねません。
自分もそういったことをやってやしないか、
相手になにかを教えるということは
立場が上になるので教える側は気持ちがいいものですが
相手が常に感謝をしているものでもないし、
むしろ困惑されることも多いです。
年をとったり知っているものが増えてきたりすると
ついつい「それは良くない!」とか「ひとつものを教えてやろう」
なんて気持ちで誰かに接っしてしまいがちですが、
そういった態度はとてつもなく傲慢で
非常に人間として稚拙な態度の一つであると心に置き、
誰かが間違ったことをしていた時は
「それは違うと思うよ」とだけ伝え、
相手が教えを請うてきた時にだけ必要なものだけ伝えて、
あとは相手の想像力に委ねるのが良いかと思います。
人は間違えることもあります。
間違えが何度も起こることもあるし、
直らないこともある。
だからこそ面白いのだと心に余裕を持ち、
人の過ちよりも自分の過ちに対して正す気持ちを忘れず、
人は人って割り切って生きていきたいものです。
追記:もしあなたの周りに正論で人を潰すようなパワハラマンが潜んでいた場合、
「カサンドラ症候群」というものに陥り、自己評価が低下したり、
パニック障害や無気力になったりしかねないので
自分が潰されてしまう前に早めに精神保健福祉センターさんに相談したり、
専門機関に頼ったり、同じような体験をしている人と辛さを分かち合う等の
自助努力が必要となりますので、
うつとなって動けなくなる前に対策を立てておくと良いと思いますよ。
先に書いた通り、人はそれぞれに違うからこそ面白いのであって、
正論が好きな人を直そうとしても無駄なので、
自分の方が付き合い方などを学ぶと良いと思います。
今日は重たい日記だね!そんな日だってたまにはある。
モイモイ