あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

半径45cmしか手が届かない

2020-07-16 | from:sachiaki
私の好きなボカロ曲「ダブルラリアット」の曲の中で
半径85cmがこの手の届く距離〜♪ と歌われているんですけれど、
半径85cmも届く気がしないので、
45cmと距離を小さくしてしまったsachiakiです。

なんていうか、弱々しい力でしかないってのがショボいところなんですけれど、
半径45cmにしても全然届いている気がしていなくて、
時折ある

おれはなんのために生きているのだ

っていう、自責の念にかられていたところです。

本当、しょっちゅうなるけどさ。
その度に

手を動かせ!!!!!

って思って、ちょいちょいと手を動かしてはいるんだけど、
本当にね〜、年々「まぁ生きてていいんじゃない?」っていう時の長さに対して、
「このままではいかん!」っていう時間への揺り返しへ幅が短くなっているのが気になるところ。

なんていうか、たぶん35歳ぐらいの時に
「あ、子供欲しいかも!?」っていうちょっと大きめの波が来たあと、
結局なにもなくて、それでもお子さんのいないご家庭も増えてきているし、
生き物の生きる目的はそれだけじゃないよね?
って言い聞かせたりしつつも、
じゃぁその代わりにできていることはあるのか?
という自問自答に勝てる答えがみつからなくなってきてきてるうえに、
半径45cmの中にいる人のことも何もできなくなって
私の生に意味はあるのか!?ってなったりしてました。

ぶっちゃけ、その答えについて、
役に立つ立たないでいうんだったら、
お前近所のゴミ広いだけでもちゃんとやんなよ
って思ったりするわけですよ。
全然できてないよねって。

ともかく自分のできてなさに押しつぶされそうなんだけど
あんまそんなこと言ってても仕方ないでしょ?って。

とにもかくにももがくしかないってことは知っているし、
生きることを諦めるわけにはいかないのよね。
それだけは知っているので、まぁ適当に乗り切ります。

エリクソンのライフサイクル論では
危機の心理として、様々な段階の人生の壁について述べられているけれど、
時代が古く、現代のように結婚も、子供を生育することもない人が
これだけ増えるとは思われていなかったようで
あんまり役立たない心理学になってきました。
まぁ、でも
7.成人期(35歳〜60歳)は生殖生(次世代育成能力/停滞)とあって、
後陣を育てることができないことがつまづきとなるから
参考になる部分はやっぱりあるかな。

心理社会的危機として「親密対孤立」とあるぐらいだから
他者との関わりに対してハードルがあることに違いないわけで
現代ならではの孤独との向き合い方をゲットするのが良いのでしょうな。

とにもかくにも、あまり思いつめないことですよ。
気軽にいこうぜ。ケセラセラ。

よし、そんじゃ今日もこの辺にて!
モイモイ
コメント
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