どんだけ仲が良いと思っていた友人とも
ライフステージや環境が変われば
どうしたって話が合わなくなっていってしまい
離れ離れになる時もあるってもんですわね。
やっぱり「さよならだけが人生だ」なんだろうな
なんてことをボンヤリと考えていたsachiakiです。
同じ人生の苦難ボリュームでないと
許せなくなったり、羨んでしまったり
そういうのってあるじゃな〜い。
今まで気が合うと思っていたし
たくさんの思い出も共有してきたけれど、
互いの経験が別々に重なっていって考え方が変わり
自分が引け目を感じてしまっていることに気づいたら
その人の苦しんでいる姿に共感を感じるよりも
なんでそう感じるんだろう……
という分からなさに変わってしまい
他人同士なのだから分からないことは当たり前なのに
その人の一挙手一投足を見ていて疲弊するので
これが潮時というものの一つなのかもなぁ
なんてこを思って寂しくなってりしてました。(見切りが早過ぎる気もする)
こういう時についついホロスコープのチャートを見てしまう悪い癖があるけれど
その人の才能の溢れっぷりと、苦難の道をみると大変だなぁと思いつつ、
どんなルートを進もうとも成功しかないチャートを見て
邪魔をしてはいかんなぁ…なんて思ったりしてました。
相性占いを見ると、その人にとって私はかなり幸運を授ける側になるようだけど
私自身は見張られているような気持ちにさせられるので
だんだんと苦しくなっていくとあって
あぁ、そうかもしんないなぁとかそんなことを思ったりしてました。
結局のところ自分のがさつさや神経の行き渡らなさから
常に完璧を求められるようなものから逃げたいという
ふたご座特有のなにかになっているのかしらん、なんて。
まぁ星のせいにしておけば楽だってことで
そんなことにしておきたいところだけど、
このコロナ禍がもたらした一番の災厄は
似た者同士だと思っていた友人同士や家族でも
決定的に違うことを見ることになったということなのでしょう。
様々な意見や経験が同時にできたはずのものが別々になり、
それをSNSにて可視化されてしまったことにより
あぁ、こんなにも私たちは別々の人間だったのか
と感じてしまった、ということでしょうか。
それ自身は当たり前のことなんだけど、
そこにもう言葉の通じないのだろうな……という予測と
自分がするであろう暴虐の想像があり、
そうならないための緊張感で
一緒にいるのが楽しいとはほど遠くなってしまいそうなそんな予感と、
まぁロクでもないなぁと苦笑いなのであります。
こんな抽象的な話をダラダラ書いているのも
自分の脳内の整頓のためなので、今日はぶっちゃけ愚痴です。
申し訳ない。
たぶん会って話せば大したことはないはずなんだけど、
一度意識にのぼってしまった苦手意識というものは
なかなか克服するのが難しいってもんです。
アドラー先生はそもそも人間は一人一人違うのだから
克服しようとするな、その違いを楽しめとおっしゃいますが
地雷を踏みまくってシンドイ思いをする覚悟がなかなか決まらない
腹をくくれないってところもあったりして。
最初から苦手な人であったなら、もっと距離も違ったのになぁ。
とかなんとか。
基本的に私は人との距離を遠くとっておいて
詰められた分は離れるっていうスタンスでいるんだけど
距離感の測りを間違えたという痛恨の極みで
どうしてこうなった……と思っているところです。
そこそこ距離感をとっておいたはずなのに
思っていたよりも懐側に入れていて大事にしていたために、
自分とその人の距離が曖昧になってしまっていたのかもしれません。
私は懐側に入った人を失くすとガチで動けなくなるので
あまり入れたくないのよね……。
みんなそうなんだろうけれど。
前連れと別れた時も半身を失ったような喪失感に
なかなか立ち直れなかったしなぁ。
(今のダンナちんことパンダ氏はそばにいてくれてたけれど)
バッシュの喪失も大変だったし、
人生ですれ違ってきた人たちを失った時も
お墓参りをしてもなお、時々泣いてしまう。
分かちがたいほどに自分の一部にしてしまうんだろうなぁ。
あまり良くないところでもあるし、
良いところでもあるのだろうけれど。
「金剛地さんは面倒臭い」でも読むか。
どんなものであろうと自分の気持ちはどこかに収めることができるはずだから。
その見本を見るためにでも。
とりあえず。
吐き出すだけ吐き出せたのでだいぶ楽になった。
今日は夜からまたガチトーク会なのでご飯食べて備えておこうと思います。
虐待被害者さんなどがいると言葉を選ばないと大事故になるので
自分の中にある意地悪心を出さないように気をつけないと。
言葉は大事だよって、いつも言い聞かせているけれど
なにがどうなるかわからないからね。
とにかく冷静でいられるように。
そんじゃ今日はこの辺にて。モイモイ!
ライフステージや環境が変われば
どうしたって話が合わなくなっていってしまい
離れ離れになる時もあるってもんですわね。
やっぱり「さよならだけが人生だ」なんだろうな
なんてことをボンヤリと考えていたsachiakiです。
同じ人生の苦難ボリュームでないと
許せなくなったり、羨んでしまったり
そういうのってあるじゃな〜い。
今まで気が合うと思っていたし
たくさんの思い出も共有してきたけれど、
互いの経験が別々に重なっていって考え方が変わり
自分が引け目を感じてしまっていることに気づいたら
その人の苦しんでいる姿に共感を感じるよりも
なんでそう感じるんだろう……
という分からなさに変わってしまい
他人同士なのだから分からないことは当たり前なのに
その人の一挙手一投足を見ていて疲弊するので
これが潮時というものの一つなのかもなぁ
なんてこを思って寂しくなってりしてました。(見切りが早過ぎる気もする)
こういう時についついホロスコープのチャートを見てしまう悪い癖があるけれど
その人の才能の溢れっぷりと、苦難の道をみると大変だなぁと思いつつ、
どんなルートを進もうとも成功しかないチャートを見て
邪魔をしてはいかんなぁ…なんて思ったりしてました。
相性占いを見ると、その人にとって私はかなり幸運を授ける側になるようだけど
私自身は見張られているような気持ちにさせられるので
だんだんと苦しくなっていくとあって
あぁ、そうかもしんないなぁとかそんなことを思ったりしてました。
結局のところ自分のがさつさや神経の行き渡らなさから
常に完璧を求められるようなものから逃げたいという
ふたご座特有のなにかになっているのかしらん、なんて。
まぁ星のせいにしておけば楽だってことで
そんなことにしておきたいところだけど、
このコロナ禍がもたらした一番の災厄は
似た者同士だと思っていた友人同士や家族でも
決定的に違うことを見ることになったということなのでしょう。
様々な意見や経験が同時にできたはずのものが別々になり、
それをSNSにて可視化されてしまったことにより
あぁ、こんなにも私たちは別々の人間だったのか
と感じてしまった、ということでしょうか。
それ自身は当たり前のことなんだけど、
そこにもう言葉の通じないのだろうな……という予測と
自分がするであろう暴虐の想像があり、
そうならないための緊張感で
一緒にいるのが楽しいとはほど遠くなってしまいそうなそんな予感と、
まぁロクでもないなぁと苦笑いなのであります。
こんな抽象的な話をダラダラ書いているのも
自分の脳内の整頓のためなので、今日はぶっちゃけ愚痴です。
申し訳ない。
たぶん会って話せば大したことはないはずなんだけど、
一度意識にのぼってしまった苦手意識というものは
なかなか克服するのが難しいってもんです。
アドラー先生はそもそも人間は一人一人違うのだから
克服しようとするな、その違いを楽しめとおっしゃいますが
地雷を踏みまくってシンドイ思いをする覚悟がなかなか決まらない
腹をくくれないってところもあったりして。
最初から苦手な人であったなら、もっと距離も違ったのになぁ。
とかなんとか。
基本的に私は人との距離を遠くとっておいて
詰められた分は離れるっていうスタンスでいるんだけど
距離感の測りを間違えたという痛恨の極みで
どうしてこうなった……と思っているところです。
そこそこ距離感をとっておいたはずなのに
思っていたよりも懐側に入れていて大事にしていたために、
自分とその人の距離が曖昧になってしまっていたのかもしれません。
私は懐側に入った人を失くすとガチで動けなくなるので
あまり入れたくないのよね……。
みんなそうなんだろうけれど。
前連れと別れた時も半身を失ったような喪失感に
なかなか立ち直れなかったしなぁ。
(今のダンナちんことパンダ氏はそばにいてくれてたけれど)
バッシュの喪失も大変だったし、
人生ですれ違ってきた人たちを失った時も
お墓参りをしてもなお、時々泣いてしまう。
分かちがたいほどに自分の一部にしてしまうんだろうなぁ。
あまり良くないところでもあるし、
良いところでもあるのだろうけれど。
「金剛地さんは面倒臭い」でも読むか。
どんなものであろうと自分の気持ちはどこかに収めることができるはずだから。
その見本を見るためにでも。
とりあえず。
吐き出すだけ吐き出せたのでだいぶ楽になった。
今日は夜からまたガチトーク会なのでご飯食べて備えておこうと思います。
虐待被害者さんなどがいると言葉を選ばないと大事故になるので
自分の中にある意地悪心を出さないように気をつけないと。
言葉は大事だよって、いつも言い聞かせているけれど
なにがどうなるかわからないからね。
とにかく冷静でいられるように。
そんじゃ今日はこの辺にて。モイモイ!