寝起きというか、弟からの電話で起こされて
内容が実家に送金する金額についてだったんだけど、
まぁそれはそれとして、その後にちょっとしたことで
めちゃくちゃイライラさせられたsachiakiです。
正論ぶっぱなせば良いと思っているところ
私もあったし、今もその気はあるけれど
本当に人を追いつけるだめの正論って
暴力以外のなにものでもないよなぁ
って改めて思っていたところです。
私がなにか言われたってわけじゃないのが
また反論をしにくくさせてイライラさせられるんだよねぇ。
正論ってさ、やれば改善されるってことぐらい
誰もが分かっていることだったりするけれど
できないってことにはそれなりの事情があるんですよね。
その事情も慮れないでいると
正論を言われた側はできない理由でどんどん自分を責めて
追い詰められていってしまうのですよね。
子供があきらかに悪いことをした時に叱るってことも
子供が悪いことだと自覚している時は
叱っても無意味だったりするのと同じで。
いい企業に入っていたり、学歴の高い友人たちの子育てを見ていると
子供を叱るということをほとんどしていないし、
叱る時にはなぜそうなったのか?をすごく大事にしていて
改善できたことなどすごく褒めるんですよね。
自分で考える癖がつき、自己肯定がぐんぐん育つ、
良い叱り方をしているな〜って感心します。
まぁ見えない部分では、ちょっとしたことで怒ったりしてるのだろうけれど
それでも子育て中の友人宅に遊びに行った時に
びっくりするぐらい怒らない環境を見て
すごいなぁって思ったものです。
して欲しいことがある時も命令調じゃないし、
頭がいい人たちっていうのは言い換える語彙がすごいのだと思います。
というわけで、まぁ上に書いたことも
理想論的な教育論だし、できない家があるのも承知の助です。
みんながみんなそうできれば、
だいぶ平和な優しい世代ができると思いますけれど。
と、子育て論的なことを書こうと思ったわけじゃなくって
子供を例えにするのが簡単だったから出しただけなんですけれど
大人だって同じことで、なにかできない人っていうのに
イライラさせられたりする人は多く
できないことをあげつらい、
できるようになったらどれぐらい素晴らしいかと説教してくるけれど
そんなことは小学生でもわかることなんですよ。
そんな誰でもわかることができないっていうのには
小学生じゃわからない理由があるんです。
病気であったり、気持ちの余裕であったり、人間関係だったり
その他もろもろ。
そういった背後の事情に配慮できないで人を追い詰める人というのは
責任感が強い人、父性が強い人にありがちな特徴ですが
そういうのってリーダーとして向いているもんですけれど
時に強すぎる刃となって斬りつけてしまうこともあるので
その刃の向けどころっていうのを考えた方が良いんじゃないかな
って思ったりもします。
なによりも心が弱っている時にこのタイプの人と会うと
それだけで自殺率が上がったりするので
気をつけないとなって思います。
周りは疲弊している人をみつけたら、
こういう弱者に対して正論マンをしてしまう人とは
会わないようにする、そういった配慮が必要となるでしょうね。
人によってはシェルターが必要な人もいるでしょうし。
そんなことを朝から考えていました。
七草粥の温かみでホッとしたら、怒りは少し治まりましたけれど
私がいつだって腹をたてるのは
こういう強い側が弱い側を虐げる時だなぁと
改めて感じたものでした。
さて、これからちょっとおでかけしてきます。
世情としては出かけている場合ではないのでしょうけどね。。
それではまた。モイモイ。
内容が実家に送金する金額についてだったんだけど、
まぁそれはそれとして、その後にちょっとしたことで
めちゃくちゃイライラさせられたsachiakiです。
正論ぶっぱなせば良いと思っているところ
私もあったし、今もその気はあるけれど
本当に人を追いつけるだめの正論って
暴力以外のなにものでもないよなぁ
って改めて思っていたところです。
私がなにか言われたってわけじゃないのが
また反論をしにくくさせてイライラさせられるんだよねぇ。
正論ってさ、やれば改善されるってことぐらい
誰もが分かっていることだったりするけれど
できないってことにはそれなりの事情があるんですよね。
その事情も慮れないでいると
正論を言われた側はできない理由でどんどん自分を責めて
追い詰められていってしまうのですよね。
子供があきらかに悪いことをした時に叱るってことも
子供が悪いことだと自覚している時は
叱っても無意味だったりするのと同じで。
いい企業に入っていたり、学歴の高い友人たちの子育てを見ていると
子供を叱るということをほとんどしていないし、
叱る時にはなぜそうなったのか?をすごく大事にしていて
改善できたことなどすごく褒めるんですよね。
自分で考える癖がつき、自己肯定がぐんぐん育つ、
良い叱り方をしているな〜って感心します。
まぁ見えない部分では、ちょっとしたことで怒ったりしてるのだろうけれど
それでも子育て中の友人宅に遊びに行った時に
びっくりするぐらい怒らない環境を見て
すごいなぁって思ったものです。
して欲しいことがある時も命令調じゃないし、
頭がいい人たちっていうのは言い換える語彙がすごいのだと思います。
というわけで、まぁ上に書いたことも
理想論的な教育論だし、できない家があるのも承知の助です。
みんながみんなそうできれば、
だいぶ平和な優しい世代ができると思いますけれど。
と、子育て論的なことを書こうと思ったわけじゃなくって
子供を例えにするのが簡単だったから出しただけなんですけれど
大人だって同じことで、なにかできない人っていうのに
イライラさせられたりする人は多く
できないことをあげつらい、
できるようになったらどれぐらい素晴らしいかと説教してくるけれど
そんなことは小学生でもわかることなんですよ。
そんな誰でもわかることができないっていうのには
小学生じゃわからない理由があるんです。
病気であったり、気持ちの余裕であったり、人間関係だったり
その他もろもろ。
そういった背後の事情に配慮できないで人を追い詰める人というのは
責任感が強い人、父性が強い人にありがちな特徴ですが
そういうのってリーダーとして向いているもんですけれど
時に強すぎる刃となって斬りつけてしまうこともあるので
その刃の向けどころっていうのを考えた方が良いんじゃないかな
って思ったりもします。
なによりも心が弱っている時にこのタイプの人と会うと
それだけで自殺率が上がったりするので
気をつけないとなって思います。
周りは疲弊している人をみつけたら、
こういう弱者に対して正論マンをしてしまう人とは
会わないようにする、そういった配慮が必要となるでしょうね。
人によってはシェルターが必要な人もいるでしょうし。
そんなことを朝から考えていました。
七草粥の温かみでホッとしたら、怒りは少し治まりましたけれど
私がいつだって腹をたてるのは
こういう強い側が弱い側を虐げる時だなぁと
改めて感じたものでした。
さて、これからちょっとおでかけしてきます。
世情としては出かけている場合ではないのでしょうけどね。。
それではまた。モイモイ。