どんだけ自分が優れていると思おうとも
自分のことを叱ってくれる人をそばに置けなかったら
それはたぶん了見が狭い人間になるんじゃないかしら?
なんてこを思っているsachiakiです。
知人が荒ぶっていたのを見て
普段は、すごいなぁ堂々としてるもんなぁ、とか
キレッキレなことを言っているけれど清々しいなぁ
とか、そんなことを思うんだけどさ
今日の投稿を目にした時は
なんていうか、
ものすごい熱量で攻撃的なことを書いているけれど
その攻撃はなりふり構ってなさ過ぎて危ないぞ?
なんてことを思ったりしたのです。
そして、そのなりふり構わない投稿の前には、
「あなたのためを思って」というようなものは
だいたいこちらをコントロールしようとしている人たちだから
聞く必要もないし、こちらが断った際にも
「ごめんなさい」というようなことも言ってこないから
気にすることなどない ー(意訳)
という予防線を張っていたので
なんていうか、たしかに「あなたのためを思って」という人には
こちらをコントロールしてやろうという
支配的な態度が潜んでいることには違いないのだけど
これを全否定すると、自分の身を案じてくれる人を全て遠巻きにするし、
気づいた時には自分と似た意見の人ばかりが周りに集まってきて
自分と他人が違うものだということを忘れてしまう
そういう危うさを秘めていると思います。
まぁ私もそんなに人のこと言えないぐらい
似たような人ばかりと付き合っていると思うけれど、
それでもなにか「違うよ」って言ってくれるような人の言葉には
耳半分は傾けているつもりです。
昔、ツイッターがまだ「ウイッヒィー」とか「なう」とか
そういった言葉に溢れかえっていた頃
仕組みでわからないことがあった時に頼りにしていたサイトの名前が
「聞く耳を半分しか持たない」とかそんな名前で
面白い名前だなぁって思っていたけれど、
今振り返ってみると、そういうバランス感覚って大切なんだなって
そんなことを思ったりしてしまうのです。
そういえば独裁的なリーダーになってしまう理由っていうのにも
最初から独裁的な人はそれほど多くなく
人の話を聞き続けるには限界があって
ある程度は切って捨てていかなくてはならず
その決断はリーダーにしかできない。
その非情な判断とともに組織がでかくなっていくと
そもそも自分に対して否定的な意見をしてくれる人が減っていき
気づいた時には独裁的なリーダーになってしまう
って話をどこかで読んだんですよね。
検索して出てこないんだけど、どこで読んだんだっけなぁ。
でもそうなのかもしれないな〜と。
「リーダーはいつも孤独である」って話も聞くし。
で、そんな独裁的になりやすい自分に対して
諫言をできる人がいないと、かなり良くないことになるんじゃないかな
なんてことを思ったりするわけです。
封神演義が好きなのでそこから引用すると
殷の紂王は賢い人だったけれど
諫言を聞くことができず滅びの原因を作ったとあるし、
諌めてくれる人っていうのは大切にした方が良いと思うのです。
当然支配的な人間がそこに紛れていることもあるし
その権力勾配がおかしくなる時もあるので
そこはある程度自分の芯がないとジャッジができないし
切り捨てることもできないので
実際すごく難しいバランス感覚が求められるんだろうけどね。
ー中庸は徳の至れるものなり
これに尽きる気がするね。
そんなことをつらつらと考えていました。
あとついでに言うと、人の話を聞いてくれそうな雰囲気があるかないかで
伴侶や付き合う人がいてくれるかどうかも違う気がする。
もちろん独断的な人が全員パートナーがおらず
孤独な人だというわけじゃなくって、
人の話を聞いてくれそうかそうでないかってだけで
人との距離感が変わるってことなんだと思うのです。
「人は自分の話を聞いてくれる人が好き」
これは誰かの言葉だけど、経験的にこの言葉は真実に近い気がする。
自分の話を聞いてくれるってことは、
それは”自分に対して関心があったり、思いを留めてくれる人”
と言い換えることができるし
そりゃ好意(not恋愛的なもの)を持ってくれる人に対して
好意(≒ 恋愛的なもの)を抱くのは当然のことだと思う。
そんな感じ。
「敵か味方か」という二元論で考えた方が楽だし、
バランス取るのは難しいし、
人の話はいっぱいは聞けないから難しいけどね。
うまくやっていきましょう。
そんじゃまた。モイモイ。
自分のことを叱ってくれる人をそばに置けなかったら
それはたぶん了見が狭い人間になるんじゃないかしら?
なんてこを思っているsachiakiです。
知人が荒ぶっていたのを見て
普段は、すごいなぁ堂々としてるもんなぁ、とか
キレッキレなことを言っているけれど清々しいなぁ
とか、そんなことを思うんだけどさ
今日の投稿を目にした時は
なんていうか、
ものすごい熱量で攻撃的なことを書いているけれど
その攻撃はなりふり構ってなさ過ぎて危ないぞ?
なんてことを思ったりしたのです。
そして、そのなりふり構わない投稿の前には、
「あなたのためを思って」というようなものは
だいたいこちらをコントロールしようとしている人たちだから
聞く必要もないし、こちらが断った際にも
「ごめんなさい」というようなことも言ってこないから
気にすることなどない ー(意訳)
という予防線を張っていたので
なんていうか、たしかに「あなたのためを思って」という人には
こちらをコントロールしてやろうという
支配的な態度が潜んでいることには違いないのだけど
これを全否定すると、自分の身を案じてくれる人を全て遠巻きにするし、
気づいた時には自分と似た意見の人ばかりが周りに集まってきて
自分と他人が違うものだということを忘れてしまう
そういう危うさを秘めていると思います。
まぁ私もそんなに人のこと言えないぐらい
似たような人ばかりと付き合っていると思うけれど、
それでもなにか「違うよ」って言ってくれるような人の言葉には
耳半分は傾けているつもりです。
昔、ツイッターがまだ「ウイッヒィー」とか「なう」とか
そういった言葉に溢れかえっていた頃
仕組みでわからないことがあった時に頼りにしていたサイトの名前が
「聞く耳を半分しか持たない」とかそんな名前で
面白い名前だなぁって思っていたけれど、
今振り返ってみると、そういうバランス感覚って大切なんだなって
そんなことを思ったりしてしまうのです。
そういえば独裁的なリーダーになってしまう理由っていうのにも
最初から独裁的な人はそれほど多くなく
人の話を聞き続けるには限界があって
ある程度は切って捨てていかなくてはならず
その決断はリーダーにしかできない。
その非情な判断とともに組織がでかくなっていくと
そもそも自分に対して否定的な意見をしてくれる人が減っていき
気づいた時には独裁的なリーダーになってしまう
って話をどこかで読んだんですよね。
検索して出てこないんだけど、どこで読んだんだっけなぁ。
でもそうなのかもしれないな〜と。
「リーダーはいつも孤独である」って話も聞くし。
で、そんな独裁的になりやすい自分に対して
諫言をできる人がいないと、かなり良くないことになるんじゃないかな
なんてことを思ったりするわけです。
封神演義が好きなのでそこから引用すると
殷の紂王は賢い人だったけれど
諫言を聞くことができず滅びの原因を作ったとあるし、
諌めてくれる人っていうのは大切にした方が良いと思うのです。
当然支配的な人間がそこに紛れていることもあるし
その権力勾配がおかしくなる時もあるので
そこはある程度自分の芯がないとジャッジができないし
切り捨てることもできないので
実際すごく難しいバランス感覚が求められるんだろうけどね。
ー中庸は徳の至れるものなり
これに尽きる気がするね。
そんなことをつらつらと考えていました。
あとついでに言うと、人の話を聞いてくれそうな雰囲気があるかないかで
伴侶や付き合う人がいてくれるかどうかも違う気がする。
もちろん独断的な人が全員パートナーがおらず
孤独な人だというわけじゃなくって、
人の話を聞いてくれそうかそうでないかってだけで
人との距離感が変わるってことなんだと思うのです。
「人は自分の話を聞いてくれる人が好き」
これは誰かの言葉だけど、経験的にこの言葉は真実に近い気がする。
自分の話を聞いてくれるってことは、
それは”自分に対して関心があったり、思いを留めてくれる人”
と言い換えることができるし
そりゃ好意(not恋愛的なもの)を持ってくれる人に対して
好意(≒ 恋愛的なもの)を抱くのは当然のことだと思う。
そんな感じ。
「敵か味方か」という二元論で考えた方が楽だし、
バランス取るのは難しいし、
人の話はいっぱいは聞けないから難しいけどね。
うまくやっていきましょう。
そんじゃまた。モイモイ。