加害者の被害者意識ってなんか矛盾したワードですよねぇ。
加害した側が謝れないのってなんなんだろう?って考えてみたら
自分が被害者であったりするからなのかな?
なんてことを考えていたsachiakiです。
自分よりも権力が下の側、例えば部下であったり
弟や妹であったり、人によっては妻や夫なんていうのも
そういった範囲に入るのでしょうか。
権力が下というとピンとこないと思うので
自分の言い分を通してくれそうな側、
と言い換えても良いかもしれないです。
そう解釈すると
マジョリティ側からのマイノリティに当たる人たちも
自分よりも権力が下ということになりますね。
で、そういった自分よりも権力が下だと思っている人から
「痛い」や「やめてください」っていうことを言われると
自分が無意識でしている加害について
ハッキリと自覚させられて傷つく人もいるんじゃないかな〜と。
サディズムな支配欲を持っていない限り
人に対して肯定的に暴力を振るう人はほとんどいないでしょう。
自分は善良であると思っている人の方が多いと思います。
なのに、その善良である自分が
ひどい事をしている側にいると指差された時
それは猛烈な恥とか驚きとかになって心が穏やかでなくなり、
そのことに傷つくということはそう想像に難くありません。
私も傷つけようと思ったわけでない一言や仕草で
「やめてください」と言われたりすると
とても辛い気持ちになります。
とはいえ、それは二次的なものであることも違いないのです。
一次的なものとして、まず過ちを認める事の方が大切なのです。
だから自分が悪い事をしていなくても
まずは「ごめん」って謝る方が正しいと感じています。
これについては外国の人たちは
「謝る」=「責任を取る」ということなので
そう簡単には謝らないとありますけれど
そういった類のものとは別のように感じます。
時に謝らなくても良いこともあるでしょう。
それはお互いの誤解などで生じる不快なやりとりだったりするので。
だけど不快だと示されたものに対して
自分がなにをして不快と思われたのかを
聞く耳ぐらいは持っておいた方が良いと思います。
「謝ると死ぬ病」なんて揶揄されるぐらい謝らない人もいますが
自分はちゃんと権力が下の側に対して丁寧に接しているだろうか?
そういったことを思い返してみるのも良いと思います。
身内になったりすると、身内が自分の体の一部のようになり
ついつい謝らずに済ませてしまうのは
”自分に対して謝る必要がない”の延長上にあるわけだけど、
どんだけ身近でも身内が他人であることには違いがないわけです。
むしろ自分に対して愛情がある人の方が
他人に対しても愛情深く接するのかもしれないですね。
そんなことを考えていました。
さて、お仕事の続き頑張ってきます!
そんじゃまた。モイモイ。
加害した側が謝れないのってなんなんだろう?って考えてみたら
自分が被害者であったりするからなのかな?
なんてことを考えていたsachiakiです。
自分よりも権力が下の側、例えば部下であったり
弟や妹であったり、人によっては妻や夫なんていうのも
そういった範囲に入るのでしょうか。
権力が下というとピンとこないと思うので
自分の言い分を通してくれそうな側、
と言い換えても良いかもしれないです。
そう解釈すると
マジョリティ側からのマイノリティに当たる人たちも
自分よりも権力が下ということになりますね。
で、そういった自分よりも権力が下だと思っている人から
「痛い」や「やめてください」っていうことを言われると
自分が無意識でしている加害について
ハッキリと自覚させられて傷つく人もいるんじゃないかな〜と。
サディズムな支配欲を持っていない限り
人に対して肯定的に暴力を振るう人はほとんどいないでしょう。
自分は善良であると思っている人の方が多いと思います。
なのに、その善良である自分が
ひどい事をしている側にいると指差された時
それは猛烈な恥とか驚きとかになって心が穏やかでなくなり、
そのことに傷つくということはそう想像に難くありません。
私も傷つけようと思ったわけでない一言や仕草で
「やめてください」と言われたりすると
とても辛い気持ちになります。
とはいえ、それは二次的なものであることも違いないのです。
一次的なものとして、まず過ちを認める事の方が大切なのです。
だから自分が悪い事をしていなくても
まずは「ごめん」って謝る方が正しいと感じています。
これについては外国の人たちは
「謝る」=「責任を取る」ということなので
そう簡単には謝らないとありますけれど
そういった類のものとは別のように感じます。
時に謝らなくても良いこともあるでしょう。
それはお互いの誤解などで生じる不快なやりとりだったりするので。
だけど不快だと示されたものに対して
自分がなにをして不快と思われたのかを
聞く耳ぐらいは持っておいた方が良いと思います。
「謝ると死ぬ病」なんて揶揄されるぐらい謝らない人もいますが
自分はちゃんと権力が下の側に対して丁寧に接しているだろうか?
そういったことを思い返してみるのも良いと思います。
身内になったりすると、身内が自分の体の一部のようになり
ついつい謝らずに済ませてしまうのは
”自分に対して謝る必要がない”の延長上にあるわけだけど、
どんだけ身近でも身内が他人であることには違いがないわけです。
むしろ自分に対して愛情がある人の方が
他人に対しても愛情深く接するのかもしれないですね。
そんなことを考えていました。
さて、お仕事の続き頑張ってきます!
そんじゃまた。モイモイ。