あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

脳内会話は火の海です

2022-05-27 | from:sachiaki
昨日オンラインで参加している読書会にて
小林秀雄が難解だって話があって
難解なことには違いないので
私もそこには同意しつつ、
「前知識が必要なことが難しい」ってコメントには
ん??ってなってしまったsachiakiです。

それは私が哲学というジャンルが好きだってこともあって
感じた違和感だったのかもなんだけど、
和歌で言えば本歌取りみたいなこともあって
知識ってものの上に知識は積み上がるんだから
誰かの本(考え方)には元ネタがあるって思うものって
考えて読むもんなんじゃないのかなぁ
ってボンヤリ思っていました。

で、思い出したのが東洋と西洋では
真理へのアプローチが違うって話で
西洋は「真理があるはず」で、そこへは先人の知恵の上に積み
自分もその積み上げたものの上に積んで
後人に託すという体系的なものなのに対して
東洋は「真理に達した」と聖人が宣言し
そこに学びたい弟子たちが集まるものの
「真理」というものの伝達が体系的でないので
聖人と魂的に一致するよう修行する方法しかないというもので、
小林秀雄さんの難解さは
この「積み上げ」と「同化」が悪魔合体したものだからなのかな
なんてことを考えていましたw

ところでその読書会で出た話の中で
「耳がいい人は頭がいい」
ということが面白いなぁってなったので
少しプラスアルファで考えてみました。

「話を聞く」というのは「音」だけでなく
そこに「言葉」に変換する力があるということでもあります。
耳に届くものがあっても、それが形となって
意味のある「言葉」にならなかったら
それは風の音だったり車の音であることと
なんら変わりがないからです。
外国語を聞いた時に意味をなさずに
話がまったく分からないってことは
体験したことがないんじゃないでしょうか。
英語ぐらいならバリ分かるし!って人も
じゃぁスワヒリ語は聞き取れるか?
タガログ語はどうよ?オジブワ語は??
ってなると「???」ってなるんじゃないでしょうか。

ただの「音」がまとまりのある形となり
意味をまとって「言葉」となる。
その聞き分けが出来て、
且つその言葉が文章となり訴えていることが分析できる。
文字もまた「声」となって脳内で再生され(ない人もいるみたいですが…)
そこから解決すべきものを取り出して答えられるのだから
「耳がいい」ことは「頭がいい」というのと
イコールに感じられるのもなるほどってなりました。

ちなみに心理学では人が一人であっても
その人の中で様々な人が生きていて
声でのやり取りが脳内(または心)でされているので
社会がそこで発生していると考えるそうです。
面白いですよね。

ここからさらに話を広げていくこともできるのですが
まぁそれでは文章が無駄に長くなってしまうのでこの辺にて。
そんじゃまた。モイモイ!
コメント
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