つーことでな、あもさんと会って来ましたですよ。
実に1年ぶりとなるのではないか?と思うくらいの久しぶりでございますよ。
どーも。
横浜(山下・元町)は幼少期からよく連れ出されたので、
地元でもないのになぜか好きな土地であるsachiakiです。
あもさんが横浜に越されてから、行く機会が増えた!わーい
って思ってるのに、なんやかんやであまり会えないものですなぁ(;´Д`)
ほんでも今日は神奈川近代文学館の特別展で柳田國男展をされる最後の日だっていうので
文学フリマとバッティングしているのを横目に
元町・中華街へと繰り出してみたわけですよ。
調べてみたら、神奈川近代文学館って港の見える丘公園の敷地内にあるのね。
知らなかったわー。

パンダが高校時代に転げ落ちて怪我をしたという展望台を通り過ぎ
イギリス式のバラのお庭を通り過ぎ、霧笛橋を渡った先にありました。
柳田先生の生涯を豊富な写真と手紙などの資料をもとにした展示は素晴らしく
先生の生涯の中でも5つの転換期をそれぞれに区切って、
1、虚弱だったけれどいたずら好きだった幼少期から青年期、
2、青年期の中でも両親が亡くなって日本の歴史最後の飢饉を乗り越えるまで、
3、飢饉を体験してから農業学に目覚め文学界から少し足が遠のくまで、
4、大学を出て官僚になりスイスのジュネーブを拠点として活動していたけれど
遠野物語の元と出会い、官僚をやめてしまうまで、
5、日本の民俗学を発足し終生する迄日本各地の様々な情報を採集されていたこと。
柳田國男さんという人がどれだけ魅力的だったかというのは
交友関係からも伺えて、文壇から遠ざかっても仲が良かった田山花袋さんや
日本が戦争へと向かい、また敗戦するという混迷期に道標となった森鴎外さんや
自分の道が間違ってはいないものの、大衆が分からないと弱音を吐ける相手に島崎藤村さんなど
もう、歴史的人物がワッサーと出てくるから驚きます。
あ、農業系のところでは新渡戸稲造さんとも仲が良かったみたいですよ。
研究系なら南方熊楠さんも出てくるし、極めようとする人には極めようとする人が集まり
結果的に究極の集団みたいなものが形作られるのかもしれませんな。
とまぁ、それはさておき1時間程度観覧し、ワークシートも埋めきれなかったところで退館し
あとはあもさんファミリーと中華街でお茶してきましたよ!
点心点心!って同發飯店に入ったら、クマ太郎ウェイトレスさんから大人気なのなw
やっぱ子供ってすごいわ。
いるだけでだいたいの人が子供を中心にホッコリしますものな。
クマ太郎も私が知ってる赤ちゃんのままではなく
歯も生えそろった子供になっていて、
その成長っぷりにちょっと驚いたりしましたよ。
もう少ししたらキチンとした単語で喋り出したりするんですかねー。
今はまだ喃語を少し出たって感じなのかな?
ちょっと子供の成長に関する用語は分からないので(;´ω`)
クマ太郎を見ていたら、発達心理学を学ぶのも楽しそうだなぁって思ったりw
あもさん、寒い中わざわざ出てきてくれて、お茶に付き合ってくれてありがとねー。
また遊びに行くわよ。
さて、そろそろうちの善哉が部屋の片隅に隠れてしまったようなので
引きずり出しに行ってきます。そんじゃーね。モイモイ
実に1年ぶりとなるのではないか?と思うくらいの久しぶりでございますよ。
どーも。
横浜(山下・元町)は幼少期からよく連れ出されたので、
地元でもないのになぜか好きな土地であるsachiakiです。
あもさんが横浜に越されてから、行く機会が増えた!わーい
って思ってるのに、なんやかんやであまり会えないものですなぁ(;´Д`)
ほんでも今日は神奈川近代文学館の特別展で柳田國男展をされる最後の日だっていうので
文学フリマとバッティングしているのを横目に
元町・中華街へと繰り出してみたわけですよ。
調べてみたら、神奈川近代文学館って港の見える丘公園の敷地内にあるのね。
知らなかったわー。

パンダが高校時代に転げ落ちて怪我をしたという展望台を通り過ぎ
イギリス式のバラのお庭を通り過ぎ、霧笛橋を渡った先にありました。
柳田先生の生涯を豊富な写真と手紙などの資料をもとにした展示は素晴らしく
先生の生涯の中でも5つの転換期をそれぞれに区切って、
1、虚弱だったけれどいたずら好きだった幼少期から青年期、
2、青年期の中でも両親が亡くなって日本の歴史最後の飢饉を乗り越えるまで、
3、飢饉を体験してから農業学に目覚め文学界から少し足が遠のくまで、
4、大学を出て官僚になりスイスのジュネーブを拠点として活動していたけれど
遠野物語の元と出会い、官僚をやめてしまうまで、
5、日本の民俗学を発足し終生する迄日本各地の様々な情報を採集されていたこと。
柳田國男さんという人がどれだけ魅力的だったかというのは
交友関係からも伺えて、文壇から遠ざかっても仲が良かった田山花袋さんや
日本が戦争へと向かい、また敗戦するという混迷期に道標となった森鴎外さんや
自分の道が間違ってはいないものの、大衆が分からないと弱音を吐ける相手に島崎藤村さんなど
もう、歴史的人物がワッサーと出てくるから驚きます。
あ、農業系のところでは新渡戸稲造さんとも仲が良かったみたいですよ。
研究系なら南方熊楠さんも出てくるし、極めようとする人には極めようとする人が集まり
結果的に究極の集団みたいなものが形作られるのかもしれませんな。
とまぁ、それはさておき1時間程度観覧し、ワークシートも埋めきれなかったところで退館し
あとはあもさんファミリーと中華街でお茶してきましたよ!
点心点心!って同發飯店に入ったら、クマ太郎ウェイトレスさんから大人気なのなw
やっぱ子供ってすごいわ。
いるだけでだいたいの人が子供を中心にホッコリしますものな。
クマ太郎も私が知ってる赤ちゃんのままではなく
歯も生えそろった子供になっていて、
その成長っぷりにちょっと驚いたりしましたよ。
もう少ししたらキチンとした単語で喋り出したりするんですかねー。
今はまだ喃語を少し出たって感じなのかな?
ちょっと子供の成長に関する用語は分からないので(;´ω`)
クマ太郎を見ていたら、発達心理学を学ぶのも楽しそうだなぁって思ったりw
あもさん、寒い中わざわざ出てきてくれて、お茶に付き合ってくれてありがとねー。
また遊びに行くわよ。
さて、そろそろうちの善哉が部屋の片隅に隠れてしまったようなので
引きずり出しに行ってきます。そんじゃーね。モイモイ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます