今日は哲学対話的な会にお邪魔していたsachiakiです。
内容の持ち出しはできないので
どういった話をしたかはご想像にお任せするとして
テーマは「密な絆ってまだ大事?」でした。
私がもとからゆるくフワッと繋がっているっていう
浅く広くの交友関係なこともあって
ポストコロナと言われても
そんなに影響を受けなかったのとは違い
人によっては大ダメージを受けた人間関係について
今日はゆるゆるとお話ししてきました。
で、次回のテーマを決める際に
「なにか議題はありますか?」と問われて
私が「観光」というものの悪い面についてを提案し、
その話の流れから別の方は
「便利さは誰かの犠牲のもので成り立っている」という
話を持ち出して、次回のテーマはどうやら
「便利さのための犠牲」
みたいなものになるんじゃないかって思います。
で、この話をしていた時に
私は「犠牲」って言葉を使う際に
物事に対してちょっと神経質に
受け取り過ぎなんじゃないかと考えていると
いうような発言をしたんですけれど、
どうもそういう話は反りが合わないみたいで
スルーっと流されてしまったので
ちょっとだけウ〜ンとなってしまいました。
まぁその辺のウ〜ンと思ったことを
次回話したら良いので
それまで温めるつもりなんですけれど、
とりあえず思ったことは、
「犠牲」とはいうけれど、
対価が支払われるものについて
どこからが「利益」でどこからが「犠牲」なのかが
そもそもけっこう曖昧だよな〜って思っているのと
明らかな権力勾配が起こっていて
「搾取」されているような場合の「犠牲」と
「対価が見合わない」という場合の「犠牲」では
なんかニュアンスやその解決方法への
プロセスが違うんじゃないかなって思ってるのですね。
まぁどちらも大貧民でいうところの「革命」が起こる
っていうことがあるので
実は最弱のカードが最強だっていうのはあって、
いくら権力があろうと、罰則をきつくしようと
使役したい人全員が死んだり
脱走しちゃったら意味をなさないし、
それゆえに権力が上にある人間は
細心を砕かないとならないと思ってるんですよ。
そして現代では使役する側とされる側っていうのが
昔ほど単純ではないとも思っているんです。
ストライキとかはなくなっているけれど、
明らかに労基が入れば苦境に立たされるのは企業の側だし、
実は働かされる側というのは
ものすごく手厚い保護の環境にあるんだけど、
どうもそういったことに気づいていないというか、
そもそも今その使役される労働者というものが
苦しむ原因となっているのが上司とかではなく、
エンドユーザー(顧客)であるという点において
話がまったく違うものになるんだよなぁ
なんてことをぼんやりと思ったのでした。
だから「犠牲になっていると思うのはなぜか?」と
その「加害者は誰か?」という点と、
それはどうして「犠牲となってしまっているのか?」
というけっこうごちゃまぜな論点があって
「利便性が犠牲のもので成り立っている」というのは
本当にそうか?と思ってしまったりするんですね。
たぶん契約書がしっかりしていて
その契約以外のサービスは提供しません
っていうことが徹底される欧米のようなやり方になれば
おそらく上の言い分は通らなくなると思うんです。
だって履行されなくてはならないものに対して
「犠牲」って言葉はおかしいじゃないですか。
そして「契約」って言葉は双方の合意を持って行われるので
やっぱり「犠牲」という言葉を使うのにふさわしくないと思うんです。
ただ、その”契約をせざるを得ない状況”に
追いやられている人がいるのなら
それは「犠牲」であると思うんですわね。
そんなことをつらつらと考えていました。
さて休日ももう終わり。
ダラダラした日曜日のおかげで
体もだいぶ休まったので
明日の3本収録を頑張ろうと思います。
それではまた。モイモイ。