京アニ放火殺人事件の判決が出ましたね。
36人の尊い命が散り、怪我も含めると70人の
被害を出した京アニ放火殺人事件は
被告が心神耗弱かどうかが争点だったようですが、
本人も深いやけどを負ったところを
一所懸命に回復させ、その後に精神的にも寄り添った
お医者さんの尽力でこの判定が出たと思うので
妥当だなと思ったsachiakiです。
私は死刑反対派なんだけどさ。
それでも復讐心とは違った刑量だと思うので
これには妥当だとしか言えないなぁと。
私は誰かが酷い目に遭った時に
その復讐心で刑の量を決めるのは違うと思っていて
その犯罪に対して「これが適量である」と
たくさんの判決の中で決めてきたルール
つまり経験知だと思っていて、
人間が人間を測ることなんて不可能だから
その積み上げてきた経験をもとに
「これを適当とする」と決めたものは
大事にした方が良いと思ってるわけです。
でないと個人や世間の感情で
ルールなんてものは意味をなさなくなっていくと思うので。
ここでも何度も書いたけれど、
罰は罪を作ったものが赦されるためにあると思っているし、
赦されてたまるか!って考えて良いのは
被害を受けた側だけであって、
復讐をして良いとしても、
それは当人同士以外が決めることじゃないと思ってるわけです。
人間が他人の罪の量分に突っ込んだ時
その正当性ってどこにあるのか不明だし、
だいたいエスカレートしていくのが常なので
公開処刑を娯楽としたり、
自分のフラストレーションの吐口として利用したい
そういった下種な人たちが喜ぶシステムにしかならないと
そう思うんですよね。
初めは本当に罪の重い人たちに適用されていたことが
娯楽が少なく刺激の頻度が低くなればなるほど
だんだんと罪の程度が軽くなっていき
気づいた時にはジェノサイドにまで行き着くのは
歴史上避けられなかったことですからね。
そんなことを思いました。
で、今回の犯人の刑量について
できることなら死刑ではなく
失った人たちの分も徳を積み上げて
生きて欲しいというのはあるけれど、
現状の日本でそれができるか?と聞かれたら
難しそうだねって思うので
妥当なのかなって思った次第です。
基本的に死刑囚だろうとなんだろうと
誰かの首に縄をかけたりするのは
執行する人たちだって嫌でしょうからね。
ほんと、なくていい刑だと思うけれど、
そういっても……という頭の中がグルグルとする判決でした。
そすいえばもう一件、
もと未成年だった人が死刑宣告受けましたね。
あちらなんかは反省するまで
死刑ではなく、ギチッと罪と向かい合うように
心理カウンセリングからなにから
バチバチに施して「悪かった」と悔い改めて欲しいです。
内省できない人間もいる。
なんて話も耳にするけれど、
人間でそれができないっていうと
人間とはなんだ?って思ってしまうんですけれど
どうなんでしょうね。
そんなことを考えていましたが、
本日は夜にライブ配信のゲストに呼ばれているので
そろそろ顔を作ったりしようと思います。
それではまた。モイモイ!