岐阜の画廊 文錦堂

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名品との再会・・・。

2014-05-27 10:10:06 | 工芸
皆様、おはようございます。

今日の岐阜は、昨日から降り続いたも止み、朝から爽やかな青空が広がっています。

さて、昨日は休廊日だったのですが千葉県我孫子市へと出張してきました!! 自営業に休みはありません・・・。(
先週のこともあり、車での移動は体力的にさすがにきつく、今回は新幹線での出張となりました。 やっぱり疲れ方が全然違いますネ。
初めて行く我孫子市でしたが、東京駅から日暮里駅で常磐線へと乗り換えて、割とすんなりと行くことが出来ました。(ホッ)



ところで、なぜ我孫子まで行ったかと申しますと、我孫子市在住のお客様からご所蔵されている絵を買い取って欲しいとのご依頼を受けたからなんです。
文錦堂も、最近は現代陶芸を扱う店として皆様方に認知されるようになってきましたが、実は「画廊 文錦堂」の名が付くとおり、本業は絵画の方なんですよ。
買い取らせて頂いた作品は、現代日本画壇における最高峰の一人だった奥村 土牛先生による「薔 薇」です。

 奥村 土牛 (おくむら とぎゅう / 1889年2月18日 - 1990年9月25日 / 日本美術院理事長・文化勲章受章)

代表作の一つで、京都・醍醐寺のしだれ桜を描いた名作 《 醍 醐 》 (山種美術館蔵)を描いたことでも知られる奥村 土牛先生。
美術業界では「土牛百遍」という有名な言葉があって、 百回お願いに上がっても作品が出来上らなかったというほど、寡筆な先生だったそうです。
細部まで丁寧に描かれ、凛とした趣を漂わせる作風からは、例え小品であっても決して気を抜かなかった土牛先生の面影が見て取れます・・・。

 奥村 土牛 作 「薔薇」 4号(33.0×23.0cm)

実は、今回の作品は文錦堂製の額に入っていた関係で、お客様からお声を掛けて頂けました。 額のおかげで良いご縁を頂き、本当に有難い限りです。
父もこの作品を見て土牛先生との思い出が蘇ってきたらしく、大層懐かしがっていました・・・。

 

 今は懐かしの文錦堂製ステンレス額。

当時、杉並区永福にお住まいだった土牛先生は、作品の裏打の為に同じ井の頭線沿線の神泉で額屋を営んでいた文錦堂まで、いつも通って来て下さいました。
祖父や父が作品を裏打ちしている間、土牛先生は作業を静かにじっと見詰められていたそうです。

年月が経っても色褪せることなく光り輝く名品を前にして、お客様とのごを大切に、美術商としてこれからも日々精進していく決意を新たにした1日でした・・・。
コメント
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