総合的な学習という時間割りが取り入れられて数年が経った。
それぞれどんな取り組みをして、どんな成果が出ているのだろうか。
うちは娘②が中学の時に「総合的な学習」が始まって、学年で古代米作りなどをやっていた。
それはそれで得るものがあったと思うのだが、総合的な学習ほど抽象的で難しい授業はないのではないだろうか。
学年ごと、クラスごとで取り組むもの、個人個人でやらせるもの、学校によっても違うだろうし、ほんとうに個々の個性を伸ばす目的で真面目に取り組んだら、準備やサポートやらで先生方の負担は計り知れない。
それほど総合的な学習は奥が深いし、ちゃんとやろうと思ったらこの授業には「総合学習」専門の先生が必要だと思う。
それと義務教育の間は総合的学習はあまり必要ないんじゃないかとも思っている。
個性を認めて伸ばす手助けはおおいに賛成だけど、基礎なくしての応用はありえないでしょ。
ある程度大きくならないとほんとうに自分の興味のあるものがわからないし、ましてそれを突き詰めて研究したりまとめたりするのは小学生くらいでは無理なのでは…。
もちろん小学生でもそういうことができる子もたくさんいるだろうけど、何か1つのことを決めるより、この時期はより多くの可能性を広げる機会を与える方が先だと思う。
娘①の高校では総合的な学習の時間が文科省のカリキュラムに制定される前から「テーマ学習」「テーマ研究」という授業としてあった。
時間割を自由に組める学校だけど、この授業は必修だ。
1年次でテーマを模索し、2年次でそれを深め、3年次で完成させる3年計画の授業だ。
もちろん途中でテーマの変更も認められる。
それぞれの分野に担当の先生がついて協力・サポートしてくださる。
テーマの内容は自由で、ある生徒は「日本建築と西洋建築の違い」でレポートと建築模型を完成させた。
ある人は「武士について」研究。
「スポーツのためのアミノ酸」というテーマに取り組む子、「企業の社会的責任」についてとか、「アメリカ文化」とか「ブラックホール」とか多種多様だ。
ウエディングドレスを実際に制作した子は、メイクアップの研究をした子と舞台美術や照明を研究している子とコラボして、ファッションショー形式で発表する。
絵本を自分で作ったり、アニメーションを上映したり、クラシックを作曲して演奏する子やパントマイムや演劇を披露するのもアリなのだ。
ボランティアに行ったり、プロ顔負けのケーキを作る子もいたっけ。
大人が押し付けるよりも、そんな風にほんとうに自分の興味のあることを研究するのは楽しいし、理解もより深まるのではないか。
これからも総合学習を続けるなら、文科省にはそのへんのことを是非考えていただきたい。
特に義務教育課程での総合学習専門の教師or講師は不可欠だと思うし(子供の数が減って先生が余ってるんだからさー)、予算がないというなら軍事費を削れ!と言いたい!!
軍隊がなくても教育や文化で世界中から尊敬される国になってほしいのよ、私は。
って、この話はまた長くなって、テーマがそれるのでまた次回に。