先日群馬県の富岡製糸場が世界遺産に登録されて、我々国民は勿論群馬県や地元の方々は大喜びですね。
そしてその工場や施設全般を永年にわたって管理・保存されて居たのが片倉工業さんでした。
私が小学生の頃、同居させて頂いてた祖父・祖母の家では蚕を年に4~5回育てて(養蚕)繭を取って居りました。
そしてその繭を出荷(買い取り)する先が少し離れた中濃地区にある片倉製糸さんでした。
近在の農家も現金収入なると言う事で飼って居て、養蚕組合なるものもあったようです。
小学生の私が何故その社名を憶えて居るかと言いますと、ある年に祖父が地区の養蚕組合長となり、用事でそこへ出掛けた時に連れて言って貰ったからです。
確か昭和27年だったと思いますが、当時はまだ各家庭の移動手段は自転車のみだったので、私は大人の自転車で脚もまだペタルに充分届かないのに山越えで行った記憶です。
テレビの画面で施設内の設備を見て、当時の養蚕をいろいろ思い出しました。
桑畑で桑の葉を採って来て棚にある蚕に上げた事、蚕が大きくなると桑の枝ごと切り取ってその葉をもいだ事。
家の座敷や居間が蚕棚に占領された事、蚕さんが桑の葉を食べる音がザワザワと雨が降る様に感じた事、
蚕さんが四っ眠ると蚕が上がると言って、頭部が少し透明になって首を持ち上げる蚕を選んで繭を作る用具の棚に移した事等。
出荷しない繭を祖母が鍋に入れた湯に浸し、繭から細い糸を取り出して居た事。
その繭から取り出したさなぎを鍋で煎り乾燥させたものを粉にして、魚取りの餌にした事も。
今からもう60余年も前の事が断片的に思い出しました。ただその用具の名前や作業の名称が思い出せません
そしてその工場や施設全般を永年にわたって管理・保存されて居たのが片倉工業さんでした。
私が小学生の頃、同居させて頂いてた祖父・祖母の家では蚕を年に4~5回育てて(養蚕)繭を取って居りました。
そしてその繭を出荷(買い取り)する先が少し離れた中濃地区にある片倉製糸さんでした。
近在の農家も現金収入なると言う事で飼って居て、養蚕組合なるものもあったようです。
小学生の私が何故その社名を憶えて居るかと言いますと、ある年に祖父が地区の養蚕組合長となり、用事でそこへ出掛けた時に連れて言って貰ったからです。
確か昭和27年だったと思いますが、当時はまだ各家庭の移動手段は自転車のみだったので、私は大人の自転車で脚もまだペタルに充分届かないのに山越えで行った記憶です。
テレビの画面で施設内の設備を見て、当時の養蚕をいろいろ思い出しました。
桑畑で桑の葉を採って来て棚にある蚕に上げた事、蚕が大きくなると桑の枝ごと切り取ってその葉をもいだ事。
家の座敷や居間が蚕棚に占領された事、蚕さんが桑の葉を食べる音がザワザワと雨が降る様に感じた事、
蚕さんが四っ眠ると蚕が上がると言って、頭部が少し透明になって首を持ち上げる蚕を選んで繭を作る用具の棚に移した事等。
出荷しない繭を祖母が鍋に入れた湯に浸し、繭から細い糸を取り出して居た事。
その繭から取り出したさなぎを鍋で煎り乾燥させたものを粉にして、魚取りの餌にした事も。
今からもう60余年も前の事が断片的に思い出しました。ただその用具の名前や作業の名称が思い出せません