老いのひまつぶし

東海地方に在住の80才の男性です。
日常の喜怒哀楽を綴って行きます。

四十九日までに

2015-09-23 16:10:08 | 日記
先月に母が亡くなってから今日で1ヶ月を経ました。七日毎の読経も慣れて来ました。

葬式後から何かとやる事が多くて、日常の生活では寂しいと思う日が少ない位です。

翌日から2週間程は母の死を知らなかったと弔問に来て下さる人もあり、家を留守にする事も控えて居ました。

そんな中、高齢者医療保険と介護保険の取り消し手続き。年金支給の取り消し手続き等に市役所へ。

通夜・本葬での弔問客カードの整理や位牌の注文・墓石へ母の戒名の彫刻依頼等はそれぞれ業者さんに。

墓石の精ぬきを和尚さんにして頂きました。19日に彫刻も終了、位牌も出来上がりました。

葬儀業者と四十九日法要の会場の件・引き出物の注文も一通り済ませました。

並行して27日に予定している同窓会の準備もなんとかやり終えて、後は当日の成功を祈るばかりです。

そんな訳で何かと忙しい毎日を過ごしております。

喪主の挨拶で

2015-09-03 09:18:10 | 日記
先月下旬に満102才余の母を黄泉の国に送りました。

入院後介護施設にお世話になって少し元気になって来てましたが、お盆過ぎから食事の摂取が少なくなり点滴の量が増えて居りました。

前日の午後に見舞った際には「来たよ」と声を掛けると、少し薄眼で私を見て首を縦にうなづいて居ました。

翌朝、施設の職員から「少し意識が薄らいだから来て下さい」の連絡を受け掛け付けましたが目を開けようとはしませんでした。

発病後からの検査や点滴にも苦情や痛みを訴える事無く、本当に穏やかに死を迎えました。

それからの私達は葬儀社の打ち合わせや親族への連絡等に脳が狂うほどの忙しさです。

通夜で母の枕元で翌日の葬儀の喪主の挨拶をいろいろ考えて書き上げました。

大正生まれの母の生い立ちは貧しい戦前から戦中・戦後のそれは厳しいものでした。

母子家庭で子供二人の成長を頑張り、私達が独立するとやっと自分の時間が持てたと毎年旅行に出掛けて居ました。

近所の同年代のお宅に皆さんが集まって談笑する時期もありましたが、90才が過ぎるとそんな仲間も徐々に減り家で一人テレビの番をすることが多くなりました。

でも、毎朝毎夕の散歩も欠かさず近所の方からお言葉を掛けて頂き、それを励みに元気で居られたようです。

97才で大腿骨骨折による手術を受けてからは車椅子生活になりましたが、ディサービス・ショートスティに嫌がらずに行って呉れました。

100才を越えて誤嚥性肺炎に度々罹り、その辺りから食事の飲み込みが悪くなり家の食事も妻が食材を細かくしご飯もお粥前の物を作って呉れました。

そんなお話を内容にし、最後の方で「私事で恐縮ですが、母がここまで長命で居られたのも私の妻の献身的な介護があってこそと感謝しています」と結びました。

式後、葬儀担当者から「いままでも介護家族の葬儀をしていたが、奥様への感謝を述べられた喪主は初めてですごく良かった」と言われました。

その後も葬儀に参列された妻の友人からも賛辞の言葉を掛けて頂けて良かったと思って居ます。