老いのひまつぶし

東海地方に在住の80才の男性です。
日常の喜怒哀楽を綴って行きます。

99才の頑張り

2011-11-30 10:31:12 | 日記
先日この12月に満99才になる母がショートステイで早朝に大腿骨骨折をしました。
施設の方からの報告では「午前3時に部屋のトイレには自分で歩いて行かれたが6時の時点で足が痛いので起き上がれなかった」との事。

車椅子に乗せて朝食後、関係の整形外科で診察を受けたらレントゲンの結果、大腿骨と骨盤の関節部に骨折が在るとの診断。即入院。
施設の関係者と看護師さんが来院され説明では「その間転ばれた様子も無いし転倒した音も聞いて無い、6時にはベッドで普通に寝た姿でした」と言われ「本当に申し訳ない」と。

何が原因か判らぬまま外科医からは「このままにして寝たきりの介護とするか、手術をするか」と聞かれ「高齢だし骨ももろくなってるから手術して金具を入れて保つか?」「現在の状態では骨もしっかりしてるから大丈夫、前向きに考えて下さい」
妻や姉と相談して手術する事に決めました。手術が出来る病院へ転院です。朝から手術が可能か否かの診察を受け貧血気味だけど少量の輸血をして行う事になりました。

手術は午後5時から、待合室で待つ事1時間半。部分麻酔で太腿の外側を10㎝切っただけなので母と言葉を交わし笑顔も見えました。
翌朝、母のもとへ麻酔が切れて痛がるかと思いやそんな風も無く元気でした。その後も手術の弊害も無く順調でした。
ベッドでもおしっこがしたい、排便がしたいベッドの柵に手を掛け起き上がろうとします。何度注意してももう5分後には同じ繰り返しです。

こんな高齢者でももう翌日からはリハビリ開始です、まずベッドから降りて立つ事。そばに居る私達には可哀想の気持ちが一杯。
翌々日、1階のリハビリ室で二本の平行棒に肘を掛け、まず足を一歩踏み出す事から。母は足が痛いから体重移動がなかなか出来ません、でも終わり頃やっと一歩が出ました。顔をしかめて頑張った母に拍手です。
昨日、リハビリ室で平行棒に手を掛け3mを3回歩きました。痛さに顔をしかめて歩く母の姿に目頭が熱くなります、丁度見学してた娘も「お祖母さん、すごいねぇ」と。

理学療士さんも予想以上の進展だと誉めて下さいました。体重が30kgと言う事もありますが母の「歩くんだ」の前向きな気持ちが一番です。
病室に戻り小一時間すると「足が痛い」と言いますので心配しましたが、骨折部でなく向う脛辺りでしたので擦って上げました。
夕食後も痛いと言うので擦りながら「よく頑張ったから痛いね」と。骨に申し訳程度の肉が付いた細い足に明日も頑張ってね祈る気持ちでした。
昼からは妻に代わって介添えに病院です。辛いリハビリを頑張る母を応援します。

 

認知症サポーター養成講座

2011-11-14 21:25:52 | 日記
日曜日に母がディサービスを受けて居る「ニッケかかみ野苑」で認知症サポーター養成講座」を受けて来ました。

この認知症サポーターとは厚労省が推し進めるキャンペーンの一環で認知症を理解し、認知症の人や家族を見守る、認知症サポーターを一人でも増やし、安心して暮らせる町づくりを市民の手で行うと言うものです。
いまわが国では高齢化が進み85才以上の人の4人に一人が痴呆症と言われてその数は全国で200万人と推定され30年後の2040年には倍の約400万人にはなると予想されいます。
こうした事を考えると認知症患者を抱える家族の人だけでなく、隣近所や地域で認知症の方をサポートする人が必要となって来るのですね。

私もやがて99才になる母を見守る中、年々認知症の度合いが進み「なぜ?、どうして?」とその対処にこちらまで頭がおかしくなる毎日でした。
講師の話を聞きビデオで、また事業所職員による愉快な寸劇から認知症の方への対応を判り易く教えて頂きました。
認知症介護をしている家族の気持ちには、第1ステップは、とまどい・否定→第2ステップ、混乱・怒り・拒絶→第3ステップ、割り切り→第4ステップ、受容と進むそうです。

現在の私は第3ステップの割り切りの領域にやっと来て居る様に思います。この講座を受けた事で少しでも第4ステップの受容に近づけれたらと思います。

そして、今度は自身が認知症にならない為に講座の最後に教えて頂いた、認知症予防の為の7つの法則を実行して行きたいものです。
1.散歩をする 2.新聞を読む 3.料理を作る 4.社会と交わる 5.電車やバスで出掛ける 6.日記を付ける 7.いつまでも恋をする。
でも、№3の料理すると、№7の恋をするは少し難関ですね。

震災被害地の復興を

2011-11-06 10:55:30 | 日記
あの東日本大地震からもう8ケ月、岩手・宮城・福島の皆さんは仮設住宅入居や事業所・商店の立ち上げと元気に復興の意欲を燃やして居られます。
でも、問題があるのが震災による瓦礫の処分です。従来の10年余分の瓦礫がこの自治体に残ったまま山積みになって居ります。引受先がまだ決まらないからです。

先日やっと東京都が宮古市から31トンを引き取りました。5月の時点では引き取ると名乗り出た自治体が相当数在ったはずです。
ところがいざ処分が具体化して来たら申し出て居た自治体数が激減、現在は11都道府県と54市町村となり最初の申し出数の10分の1になったそうです。
あれだけ「がんばろう日本」「災害復興に援助」と言って居たのに本当の心はどうなんでしょうね。

今回の東京都の引き取りにしても2,900件の苦情があったそうです、都はこれに対処すべく18回にわたる放射能検査をし安全性を強調して居ります。
以前にも福島で製造された打上げ花火やコンクリート橋脚を放射能疑いで拒否した事例も有りましたね。

この大震災は東北だけのもので被害を受け止めよと言う事でしょうか、これは日本全土・日本人全員が分かち合うべきものと思います。
どうか各自治体もその地方の皆さんもこの瓦礫処分に協力して、被災地の皆さんが早く元の生活に戻れるよう日が訪れる様に願うものです。

厳立峡へ

2011-11-02 16:31:07 | 日記
11月と言えども日中は気温も高く日差しも強いですね。
そんな中もう飛騨の方からは紅葉の声も聞かれるようになり暇を見つけて出掛けて見ました。
行く先は下呂市小坂町に在る厳立こうえんです。我が家からは約2時間半の距離になります。
この小坂は最近滝巡りを盛んに宣伝をして居り、夏に行く予定が実施出来無かったのでこの日になりました。

県内北部には沢山のモミジの名所が在り割と出掛けて居るので新しい所にと選びました。
途中の名勝「中山七里」はまだ紅葉して居りません。飛騨小坂駅より川沿いに車を進めると少し空気がひんやり。
目的地の公園に着くとボランテァの方が駐車の整理を、ちなみに駐車料金はタダですよ。
案内所ではやはりボランテァの方が案内板の前に立ち岩の成り立ちやら散策コースを丁寧に教えて下さいました。

公園の正面には厳立の由来である巨大な柱状の大岸壁が立ちはだかって居ます。その大きさ高さ72m横120m。
肝心のモミジはその岩の左側に在りました。ただモミジの木その物が少なく他の落葉樹もまだ色付いて居ません。
教えて頂いた散策コースのうち滞在時間に限度があるので一番短いコース、三つ滝~行者橋~こうえんを選び歩いてみました。

一の滝・二の滝と清流で水量も多くマイナスイオン満杯です、三の滝がここでは一番大きいです。
行者橋からは三の滝を上から見る事も出来ました。肝心のモミジですがここまでの道の両側には木が殆どありません。
私のイメージでは三重県の赤目四十八滝を思って居たので少しがっかりでした。やはりここは滝がメインでしたね。

近くの「ひめじゃがの湯」で昼食を、メニューに「鉱泉がゆ」とあったので戴きました。ほんと美味しかったです。
食後に入浴、ここの湯は炭酸泉で色は赤茶色(源泉は無色)で消化器系の病に効くそうです。
母のディサービスの時間内(9:30~16:00)の行動ですのでゆっくりも出来ず、帰途の道の駅に寄ってと言う妻の要望も叶わず忙しい紅葉狩りとなりました。