老いのひまつぶし

東海地方に在住の80才の男性です。
日常の喜怒哀楽を綴って行きます。

ウヰスキーとの出会い

2015-02-15 13:54:58 | 日記
今NHKの朝ドラでニッカウヰスキーの創始者、竹鶴政孝氏をモデルにしたドラマが放映されて居ますね。毎朝観て居ます。
そこで、私がウヰスキーを飲む様になった頃のお話を少し書いてみます。

昭和33年に社会人になってから未成年なのに、会社の帰りに飲酒をする事がままありました。

でも、その頃は給料も少なくお小遣いもあまり無いので屋台で日本酒のコップ飲みが主体でした。

そして、先輩に連れられて行ったのがキャバレーでした。その頃のキャバレーは今のキャバクラと違って紳士の社交場で優雅な雰囲気でした。

ここではビールが主体で、時々年配のおっさんが日本酒を若いホステスさんに徳利から盃についで飲んで居ました。

私は先輩・同輩と一緒ですので飲むものは当然ビールとなります。

ただ、このビールが苦いのですよ。まだ飲み始めであの苦みと喉越しの爽快感が判らず、ただ苦いだけ。
それと炭酸の関係で酔いも早くお腹が直ぐに満腹になります。

そして1~2年後に会社の研修で東京へ10日間滞在する事になりました。
その時一緒だった先輩にたしか新宿だったと思うが、BARなる所へ連れて行かれ初めてウヰスキーを飲みました。

ママが造る洒落たつまみと愉しい会話で、ウヰスキーのアルコール度や旨さも知らず何杯か飲んでしまい、挙句は便所に立つ時には脚を取られてよたよたでした。

それだけ酔って居たのに、翌朝は二日酔いも無く「あれっ?」と言う感じでした。先輩からは当夜の帰りの大変だった事を愚痴られました。その後も2回ほど行きましたが無事でした。

それからは会社の帰りに飲むのは財布に余裕がある時は、Barへ行きウヰスキーです。当時はサントリーバーやニッカバーと言って店名の別にウヰスキーメーカーの名を冠にしてありました。

当時のウヰスキーは基本ロックで飲みます、その後にハイボール等も出て来ました。
ロックと言っても氷の入ったグラスにウヰスキーを入れるのでなく、ウヰスキーをシングル・ダブルと言って計った量を器に入れ別に氷水のグラスが在りこれとウヰスキーを交互に飲むのです。
いまでは水割りや他の飲料で薄めて飲むのが普通になりましたね。

私は初めて飲んだウヰスキーがニッカだったので、ニッカバーばかりに行って居りました。
でも、宣伝・販売が強いサントリーさんが増え、ニッカバーはこの地域では2割位だったように思う。

ニッカウヰスキーの味?香?が好きで、その後スナックでボトルをキープする時もあえてニッカを頼んでましたが、店に置いて無いので取り寄せになる為徐々にどうでもよくなりました。

そう言えば北海道へ行った時にはウヰスキーをと頼めば必ずニッカが出て来て嬉しかったですね。
北海道ではウヰスキーと言えば”ニッカ”ビールと言えば”サッポロ”なんですね。