老いのひまつぶし

東海地方に在住の80才の男性です。
日常の喜怒哀楽を綴って行きます。

親が婚活

2010-11-29 14:21:40 | 日記

先週の土曜日、私は将来ある男女のお見合いをセッティングしました。
男性は同級生の次男(37才)、女性は従姉妹の長女(31才)と言う事になります。

以前から従姉妹に 「長女がもう30過ぎちゃうけど結婚相手の目途が無い、誰かいい人紹介して」
と頼まれて居ました。
初秋に同窓会の旅行で寝る前に雑談してたら 「次男がまだ結婚相手が無くて夫婦でヤキモキしてる」と
「僕も従姉妹から頼まれて居るだけど・・・」と友達の次男さん、従姉妹の長女の情報を交わして終わる。
旅行の翌日、友人が奥様から急かされて「そんないい話なら是非に進めたい」と電話があり、次の日に写真・略歴書に手土産持って来訪。

その旨を従姉妹に伝えて娘さんに了解を得て写真(スナップ)と簡単な略歴書を出して良いとの返事を貰う。
こう言う事は少しでも佳い日にと日を選んで双方の写真の交換を我が家で行いました。
その後二人の親からお見合いのセッティングを依頼され、それぞれの都合が着いたこの土曜日に近所の喫茶店で顔合わせをしました。

本人達にそれぞれの親と私で30分程そこで雑談をし、後は二人だけにして喫茶店を出ました。この二人が寄り添える事を願って。
当人の親たちは何とか良い縁に巡り合えるよう一生懸命周りに網を張り巡らせているのですが、当人達にはどう映るのでしょうか。
私も初めての事なので少し不安な気持ちですが、お節介が良い結果になる様に願って居ります。



新鮮果物をネットで

2010-11-23 15:42:58 | 日記

我が家では毎朝食に果物を摂る習慣が何十年も続いて居ります。それで嫁いだ娘達も果物好きなのです。
だから当然果物の味には口うるさくなり食べる度に 「これ美味しいわ」「これはずれや」と批評が出ます。
この時期はりんごやみかんがスーパーに沢山出て居ますが価格が手頃で美味しい物にはなかなか行き当たりません。

そこで先月ネットで愛媛・宇和島の 「訳有りミカン」なるものを予約注文し、今月半ばに届きました。
やはり同じ頃に注文予約した青森・五所川原の 「訳有りりんご・サンふじ」も昨日届きました。
届いたりんごを見て妻は 「これで訳あり?少し格好が悪いから? でもこの大きさの12個で2000円はスーパーの方が安いわ」と言って居りました。

今朝戴いて 「わあ~美味しい、このしゃきっとした噛み応えがいい。前に行ったリンゴ園で食べたのと同じやわ」と納得。
みかんはもう無くなりましたが、矢張り甘くてしかもミカン独特の酸味もあり大変美味しかったです。
Sサイズの物が43個入って999円(運賃込み)でしたがスーパーで買うよりお値打ちだったようです。
これは娘宅にも各一箱分けて上げましたが好評でした。

通販も当たり外れがある様ですが今回は2件とも好評でした。
「訳有り」と言えども市場に出せないだけで新鮮さ・美味しさは少しも変わりません。好評でしたよ、出荷された生産者の皆さん。

東京の娘達に逢って来ました

2010-11-16 14:43:58 | 日記

この14日~15日に今春、夫の転勤で東京の社宅に転居した娘や孫に逢いに行って来ました。
転居先が渋谷でしたので新幹線品川駅で山手線に乗り換え渋谷へそこから東急バスで社宅近くのバス停へと行く訳です。

何せ田舎者でして迷う事だからと、前もって娘にメールで各駅の構内やバス乗り場・路線バス番号等を教えて貰って居ましたが、
矢張りスムースには移動は出来なかったが何とか目的のバス停に降りる事が出来ました。出迎えに来て呉れた娘や孫娘の笑顔にほっとしました。

当夜は孫娘の誕生パーティを兼ねて娘夫婦と二人の孫に私達夫婦を交え家ご飯でした。6ケ月振りに合うので話題がいっぱいです。
名古屋の近郊の小都市での生活に慣れて居たので東京の生活にはまだ馴染めず苦労しているようです。
特に住環境が持ち家と違って狭く、日当たりも悪いとぼやいて居りました。
また、娘は以前の様にママ友達も無く滅入って居る様子です。幸い二人の孫は学校生活では支障も無い様で胸を撫で下ろしました。

話しは尽き無かったが予約したホテルのチェックインの時間が有るので9時に退去し、翌朝の朝食後にまた訪問となりました。
娘は 「前の自宅だったら客間が在るので泊まれたけどねぇ」と残念がって居ましたが狭い社宅の事だから致し方が無いです。

翌日は近在を散歩し孫たちの小学校も見て来ました。昼に出立する私を伴って「松蔭神社」へ参拝しました。
松蔭神社は明治維新の礎となった吉田松蔭氏を祀った神社です。松蔭亡き後松下村塾生の高杉晋作らが長州毛利藩所領のこの地に松蔭氏の志を伝えるべく建立した様でした。
私はこの神社で「今の政治家に松蔭先生の様な百年先を見据えた政治が出来るように」とお願いして参拝しました。

昼食は近くのお蕎麦屋さんで東京の「蕎麦」なるものを味わい渋谷の地を離れ岐路に付きました。
妻は娘と色んな話を語り合う為、もう一泊しました。

ふかし芋

2010-11-07 16:24:12 | 日記

先日、近在の叔母からさつま芋を沢山頂いたので、友達にもお裾分けしてもまだ余るようなので妻が蒸かして呉れました。
お昼時に丁度蒸かし上がったお芋をふぅふぅしながら食べて居て、ふと思い出し妻に 「小学生の頃、これが給食だったよ」と話すと 
「へぇーこんなのが給食で?」と聞き返されました。そうなんです、終戦直後はこの辺りに名古屋から疎開されていた家族が沢山有りました。

当時はまだ農家が大部分で農家の子供はご飯のお弁当を持って来れますが、疎開されて来てる家庭ではお米はなかなか手に入りません。
そこで児童には皆が平等に昼食が摂れるように「さつま芋の給食」となったのでしょうね。
小学校には学校農園もあり4年生~6年生まで毎年さつま芋の苗を植えその後月に一回位と夏休みには草引きをし、秋には全校児童で収穫でした。

また当時この地ではさつま芋を大量に作付けし、収穫時には近くの国鉄(JR)の駅に消費地に供出するため生産農家から大八車で集められたものです。
その後、供出は無くなったのでさつま芋から澱粉を取りブドウ糖や水飴を作る工場が出来、個人企業として「芋かりん糖」を作る工場も多々在りました。
3~4社あった澱粉工場も今は無くなり一社のみ製菓会社として残って居ります。またかりん糖工場も無くなり残った僅かな企業は大手アイスクリームのコーンを作って居ます。

妻との給食の話では矢張りあの「脱脂粉乳」が話題になりました。お互いに 「不味かったなあ、今ならとても飲めんぞー」って。
でも、あれで戦後の日本の子供が栄養失調から救われたのですね。今となっては笑い話ですが供与して呉れた連合国には感謝すべきです。