(原題:Somewhere in Time )80年アメリカ映画。公開当時はほとんど話題にならず、その時も私は観ていなかったのだが、ビデオ化されてからクチコミで評判になり、カルト映画として位置付けられるようになったジュノー・シュヴォーク監督作。今回のリバイバル公開でやっと目にすることが出来た。
しかし、個人的感想としてはあまり芳しくない。どうも私はこのファンタジー映画というシロモノには合っていないみたいだ。断っておくが、別にファンタジーらしい御膳立て自体が嫌いなわけではない。ただ、ファンタジーという題材に乗っかるあまり、脚本もファンタジーっぽくなっている(つまり、宙に浮いたようになっている)シャシンが目立つことが愉快になれないのだ。本作もその典型である。
1972年5月、大学で脚本家を志すリチャード・コリアの処女作の出版を祝ってパーティが開かれていた最中、突然見知らぬ老婦人が現れる。彼女は“帰って来てね”という謎の言葉と共に、年代物の金時計をリチャードに渡して去ってゆく。
8年後、彼は脚本家として名を上げるもスランプに陥り、気分転換を兼ねて旅に出る。その途中で“グランドホテル”に宿泊するが、ホテル内の資料展示室に飾られてあった一枚の古い写真に映った美しい女性に魅せられてしまう。調べてみると、彼女こそ例の老婦人であった。ならばどうして彼女はリチャードを知っていたのか。やがて彼は彼女がそのホテルに泊まった68年前に“タイムスリップ”して事の真相を調べようとする。
まず、タイムマシンも超常現象も抜きにして“個人の思い込みにより”過去に行くという設定からしてアウトだ。どうやれば時を遡れて、またどういう事態になればそれが無効になるのか、そういう大事な説明は一切ない。ここで“ファンタジーなんだから、そんな野暮は言うな”という突っ込みが入るとしたら、それこそがファンタジー映画の欺瞞性なのである。話が絵空事であるからこそ、ディテールは完璧に筋を通さないといけない。
若い頃の彼女に会って恋仲になり、でもひょんなことから現代に引き戻され、何とも言いようがない結末へと雪崩れ込む。ならばいったい、この女は主人公にとって何だったのか。単なる疫病神だったと結論付けられても仕方がない。こんな“底の抜けた話”で登場人物の純愛に涙しろと言われても、そうはいかないのだ。
原作はリチャード・マシスンの有名小説だが(私は未読)、もともと主人公は脳腫瘍のため半年の命だという設定らしい。そういう前振りがあれば違和感は薄れたと思うのだが、映画では完全に無視されている。脚本もマシスンが担当しているというのに、この体たらくだ。
主演のクリストファー・リーヴとジェーン・シーモアは実に絵になるカップルであり、脇に回ったクリストファー・プラマーもイイ味を出している。アカデミー賞にもノミネートされた見事な衣装デザインと、ジョン・バリーとラフマニノフの流麗な音楽も印象的だ。しかし、こういう語るに落ちるようなハナシでは評価は出来ない。ビデオ(テレビ画面)が相応しいようなシャシンでしかないようだ。
しかし、個人的感想としてはあまり芳しくない。どうも私はこのファンタジー映画というシロモノには合っていないみたいだ。断っておくが、別にファンタジーらしい御膳立て自体が嫌いなわけではない。ただ、ファンタジーという題材に乗っかるあまり、脚本もファンタジーっぽくなっている(つまり、宙に浮いたようになっている)シャシンが目立つことが愉快になれないのだ。本作もその典型である。
1972年5月、大学で脚本家を志すリチャード・コリアの処女作の出版を祝ってパーティが開かれていた最中、突然見知らぬ老婦人が現れる。彼女は“帰って来てね”という謎の言葉と共に、年代物の金時計をリチャードに渡して去ってゆく。
8年後、彼は脚本家として名を上げるもスランプに陥り、気分転換を兼ねて旅に出る。その途中で“グランドホテル”に宿泊するが、ホテル内の資料展示室に飾られてあった一枚の古い写真に映った美しい女性に魅せられてしまう。調べてみると、彼女こそ例の老婦人であった。ならばどうして彼女はリチャードを知っていたのか。やがて彼は彼女がそのホテルに泊まった68年前に“タイムスリップ”して事の真相を調べようとする。
まず、タイムマシンも超常現象も抜きにして“個人の思い込みにより”過去に行くという設定からしてアウトだ。どうやれば時を遡れて、またどういう事態になればそれが無効になるのか、そういう大事な説明は一切ない。ここで“ファンタジーなんだから、そんな野暮は言うな”という突っ込みが入るとしたら、それこそがファンタジー映画の欺瞞性なのである。話が絵空事であるからこそ、ディテールは完璧に筋を通さないといけない。
若い頃の彼女に会って恋仲になり、でもひょんなことから現代に引き戻され、何とも言いようがない結末へと雪崩れ込む。ならばいったい、この女は主人公にとって何だったのか。単なる疫病神だったと結論付けられても仕方がない。こんな“底の抜けた話”で登場人物の純愛に涙しろと言われても、そうはいかないのだ。
原作はリチャード・マシスンの有名小説だが(私は未読)、もともと主人公は脳腫瘍のため半年の命だという設定らしい。そういう前振りがあれば違和感は薄れたと思うのだが、映画では完全に無視されている。脚本もマシスンが担当しているというのに、この体たらくだ。
主演のクリストファー・リーヴとジェーン・シーモアは実に絵になるカップルであり、脇に回ったクリストファー・プラマーもイイ味を出している。アカデミー賞にもノミネートされた見事な衣装デザインと、ジョン・バリーとラフマニノフの流麗な音楽も印象的だ。しかし、こういう語るに落ちるようなハナシでは評価は出来ない。ビデオ(テレビ画面)が相応しいようなシャシンでしかないようだ。