猟奇的な夫婦殺害事件の容疑者として逮捕されたのは若い舞台俳優(堤真一)であった。多重人格と見られる精神障害の発作を見せる彼は刑法39条により“心神喪失者”として無罪になる公算が強くなるが、その症状に疑問を持った精神カウンセラー(鈴木京香)は再鑑定を提案する。98年の森田芳光監督作。
まず、「銀残し」と呼ばれるモノクロに近い色調とか極端に不安定な画面の構図などの映像ギミックに目を奪われる。そしてキャスト陣の過剰な頑張り。根暗を絵に描いたような鈴木の役作りや、鑑定官に扮する杉浦直樹の神経症的な演技、岸部一徳の変質的な刑事、樹木希林の食えない弁護人や過食症のヒロインの母を演じる吉田日出子など、まさに笑いさえ起こりそうな演技バトルロワイアルだ。そして何よりこのシビアな題材。その意味では観る価値はあろう。
しかし、それだけ観客の側に真に迫ってくるかというと、必ずしもそうじゃないのだから映画作りは難しい。一番感心しないのが、これが“法廷ミステリー”でも“サイコ・サスペンス”でもなく、“プロパガンダ映画”だってことだ。作者は「刑法第39条なんて道理に合わない。いくらキ○ガイだろうと、重大な犯罪を犯した者は極刑に決まっている」と思っているらしい。実は私もそう思う。しかし、今回ひとつの法解釈に過ぎないこの主張だけをメインにして映画の娯楽性と両立し得たのか。残念ながら無理だったようだ。
事件の真相は映画の中盤にして岸部刑事によって早々に明かされてしまうが、それはやっぱりヤバイ。ここは伏線を巧妙に張りまくって“実はこうなんだ!”とラストにぶちあげる方がインパクトが強いし、娯楽映画としての図式にのっとっていると思う。
作者の見解ばかりが前面に出る終盤を見ると、ひょっとして一時よく作られた松本清張原作の社会派ミステリの復活を狙ったのかとも思われる。当然、あのスタンスが現在でそのまま通用するはずもなく、もっと練りに練った作劇が必要なのは言うまでもないが。ここは刑法よりも少年法をメインにした方がアピール度は高かったかもしれない。
まず、「銀残し」と呼ばれるモノクロに近い色調とか極端に不安定な画面の構図などの映像ギミックに目を奪われる。そしてキャスト陣の過剰な頑張り。根暗を絵に描いたような鈴木の役作りや、鑑定官に扮する杉浦直樹の神経症的な演技、岸部一徳の変質的な刑事、樹木希林の食えない弁護人や過食症のヒロインの母を演じる吉田日出子など、まさに笑いさえ起こりそうな演技バトルロワイアルだ。そして何よりこのシビアな題材。その意味では観る価値はあろう。
しかし、それだけ観客の側に真に迫ってくるかというと、必ずしもそうじゃないのだから映画作りは難しい。一番感心しないのが、これが“法廷ミステリー”でも“サイコ・サスペンス”でもなく、“プロパガンダ映画”だってことだ。作者は「刑法第39条なんて道理に合わない。いくらキ○ガイだろうと、重大な犯罪を犯した者は極刑に決まっている」と思っているらしい。実は私もそう思う。しかし、今回ひとつの法解釈に過ぎないこの主張だけをメインにして映画の娯楽性と両立し得たのか。残念ながら無理だったようだ。
事件の真相は映画の中盤にして岸部刑事によって早々に明かされてしまうが、それはやっぱりヤバイ。ここは伏線を巧妙に張りまくって“実はこうなんだ!”とラストにぶちあげる方がインパクトが強いし、娯楽映画としての図式にのっとっていると思う。
作者の見解ばかりが前面に出る終盤を見ると、ひょっとして一時よく作られた松本清張原作の社会派ミステリの復活を狙ったのかとも思われる。当然、あのスタンスが現在でそのまま通用するはずもなく、もっと練りに練った作劇が必要なのは言うまでもないが。ここは刑法よりも少年法をメインにした方がアピール度は高かったかもしれない。