チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

ヒロシにもらった時間

2021年07月15日 | ヒロシ
今日はヒロシの命日です。
まだ2年なのに、私はもう何年も経ってしまったような気がしています。
それはある意味私がホッとしたからではないかと思っています。

今になって思い起こしてみると、亡くなる半年程前からは本当に辛そうだった。
毎日、背中が痛いと言っていた。あれは、心臓が悲鳴をあげていたからだと思う。医師からも、ヒロシさんの血管はもうボロボロですと告げられていた。
足もあちこちが紫色に変色していて、指の先は炎症を起こし、腐りかけていた。もう少ししたらおそらく足を切断することになるだろうと、口には出さなかったけれど二人共そう考えていた。
あの日、ヒロシは透析中にいつものように眠ってしまった。
それが、途中から尋常ではない大いびきを掻き出した。
透析患者は(何度も見ているから)知っています。どういう状態になったら危険なのかを。
それで周りのベッドの人たちが大変だと騒ぎ出した。
医師や看護師が駆けつけて、ヒロシはICUに運ばれた。
そこで電気ショックなどの措置が取られたけれど、ヒロシの身体はもう耐えられなかったのだと思う。
だからヒロシは眠ったまま逝ったのです。今も自分が死んでしまったことを知らないままでしょう。(もっとも、誰も自分が死んだとは自覚できないけど)
12年間も人工透析をがんばったのだもの。
もう辛い思いをする必要が無くなったのだもの。
あれで良かったのだと、私は思ってる。

そして、現在の私のシングルライフ(現実的には息子がいますが)は、ヒロシが私のために用意してくれた時間だと思っています。
好きなことやれよ。お前は独りが好きだよな。って。

今日は仏壇に、ヒロシが好きだったメロンと葡萄、「かんのや」のゆべしをお供えしました。


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6 コメント

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重なる想い… (桃子)
2021-07-16 14:08:58
拝見して、自分の事のように想いが重なってきて、胸がいっぱいになりました。
私も主人を見送って、3年が過ぎました。つい先日のような、もうずっとずっと昔のような・・・息子(私は2人です)がいることも同じ。
私はもう泣くことはなくなりましたが、時々ああ、居てくれたら…と胸がいっぱいになる時あります。コロナのこんな時期だし。
でも、こんな時期に主人はいなくて良かったと、その前に逝ってよかったと思っています。
独り身もいいもんだと思う時もあるようになりました。
生きてる者は楽しく生きてこそ、先に逝った人も喜んでくれるかと!お互い 頑張りましょう! ٩( ᐛ )و
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お疲れ様でした (pickupmoriai)
2021-07-18 06:45:52
12年間の透析生活、頑張ったんですね

仕事柄、透析患者さんと関わりを続けています
本人しか判らない透析後のあの辛さや、日々の無念さは言葉に表せません

ご主人共々奥様にもお疲れ様の気持ちです
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>桃子さん (チエ)
2021-07-18 20:42:52
コメントありがとうございます。
私はまだ2年なのに、ずっと独りで暮らしているような感覚になっています。
女って、立ち直りが早いっていうか、うまく状況を処理できるっていうか・・・良いことなんでしょうけど。
男性は、奥さんに先立たれるとダメになる人が多いみたい。
桃子さんの息子さん、優しいですよね。サプリメント買ってくれるなんて。お母さんのこと心配しているのですね。
桃子さんもお身体には十分気を付けてください。
主人は糖尿病からの腎不全でした。
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>pickupmoriaiさん (チエ)
2021-07-18 20:48:39
コメントありがとうございます。
>仕事柄、透析患者さんと関わり・・・
そうでしたか。私も、傍で主人を見てきましたが、やはり当事者になってみないと辛さは分からないと思います。
我慢していることの方が多かったのではないでしょうか。
でも、透析のおかげで12年も長く生きられたのですから、感謝しています。
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ゆべし (玉井人ひろた)
2021-07-22 19:46:19
やっぱり、ゆべしはかんのやです
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>玉井人ひろたさん (チエ)
2021-07-27 21:28:00
はい、はい。ゆべしはかんのやですね。(*´∀`*)
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