チエちゃんの昭和めもりーず

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コロナ後の葬儀事情

2024年09月22日 | チエの玉手箱
前の記事では母の葬儀を終えて、私の心情的なことを書きました。
今回はお葬式のリアルについての下世話なお話。

母の葬儀を終えて思ったことは、お葬式って、こんなに簡単(ラク)だっけ?
父の時はもっと大変で、やることがたくさんあったような・・・

もちろん、父の葬儀の経験があったからこそ、次はどうなると分かっていたので心のゆとりがあったこともあり、家族葬としたことでお葬式自体が小規模化、弔問客が少なかったことが挙げられる。

7年前の父の葬儀の時は一般葬だった。
父の場合、病院で亡くなって夜の遅い時刻に自宅へ戻ったので、翌日朝から隣近所の方々がお線香を上げに来てくれた。
その対応をしていると、お寺さんが枕経に来てくださる。
そちらの対応もしていると、隣組の男衆が集まってくる。
枕経が終わると、お寺さん、喪主、隣組の人々でお葬式の日程と受付・会計・墓掘りなど係を決めるのである。
弟と私は葬儀委員長を立てないで行いたかったが、母がこれまで通りを望んだので葬儀委員長をお願いすることになった。
で、委員長が決まるまでにすったもんだがある。(その間、遺族は黙って見ているしかない)
やっとのことで委員長が決まると、係を決めるのは彼の手に委ねられることになる。
そのうち、お昼になるからと私と父の従妹たちで昼餉の準備をするのだが、生臭(肉・魚)は使えないからと献立に悩む。
一事が万事、この調子だったから、やっぱり、大変だったのだ。

今回の母の場合は、家族葬なので、形式だけの葬儀委員長は立てない。
(葬儀委員長をたてると、葬儀後お礼に行く手間がある)
お寺さんと葬儀社の担当者、弟と私で、日程・係がスイスイと決まった。
もちろん昼餉は出さない。
遺体も自宅に帰らなかったので、お線香を上げに来てくださる方もほぼいなかった。


7年前も家族葬が流行り始めていたけれど、田舎のことだからまだ「家族葬って、お葬式に行っていいの?」「親族以外はダメなんじゃないの?」状態。
お葬式をやる側も弔問する側も???だったと思う。
それが新型コロナの流行で、お葬式はなるべく少人数で行い、通夜振舞いや精進落としの食事会ができなかった。
しかし、これがやってみたら、煩わしい諸々が簡略化されて良かったのだ。
新型コロナが5類になって緩和されたとはいえ、おそらく今後このスタイルが主流となっていくのではないだろうか。


そして、今回最も驚いたのは、お寺さんから戒名料を提示されたことだ。
以前は「お布施は如何程?」と聞いても、「それはお気持ちでよいですよ」と金額を示すことはなかったのに・・・
いやはや、この物価高でお寺さんでも「この金額をいただかなければ、やってられませんよ」ということなのだろうと思った。
弟は工面できたが、支払えない場合は交渉となるのだろうか?
『地獄の沙汰も金次第』という言葉が浮かんできた。