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時悠人chosan流処世術

★年忘れ謳舞の会

2009-12-14 13:19:50 | 日記・エッセイ・コラム

 13_080 昨日13日、金沢能楽美術館で篁宝会(藪俊彦主宰)の「年忘れ謳舞の会」が開催された。甥(姉の長男)が、今年の舞い納めの大役を務め、「猩々」を舞った。13_094

 私の父は、金春流の太鼓方だったが、昭和25年、私が小学校1年のとき、世を去った。姉は仕舞、長男は太鼓と地謡、次兄は太鼓と笛の修業に励んだ。が、姉と長兄は健康を害し断念し、次兄は早逝した。 13_021 私だけは稽古事をさせて貰えなかった。「この子は悪声だから謡いには向いていない」と、父が決めたことを、後年、聞かされた時はショックだった。それを機に、私は能楽の世界から距離を置くようになった。

 加賀宝生流は、北島三郎の「加賀の人」で詠まれたように、庶民に親しまれ続けてきた伝統文化だ。20年程前に、甥が加賀宝生流継承人に認定された頃から、再び、発表会に足を運ぶようになった。そのたびに、父と能楽堂へ行き、楽屋でひとり待っていた数少ない思い出と、「悪声だから、、」の言葉がトラウマとなって甦るほろ苦さをかみしめている。