昨日、甲子園球場では、全国戦没者追悼式の正午から1分間の黙とうに合わせて、プレーを中断し、選手と観客が一体となって、黙とうを捧げるシーンを見て、軽いショックと深い感動を覚えた。
何のためかを知らない子供たちも含めて、「終戦の日」に、球場を埋めた数万人の人たちが、一堂に黙とうしたのは、紛れもない事実だ。
それぞれの思いが異なろうと、試合を観戦しながら、親が子に、或いは、友人同士で、話題になったことは疑いようが無い。
歴史は、事実を残すが、進歩や展望は生まれない。いま動いていることに目を向け、批判する能力を磨けば、同じ過ちを繰り返さない。
詠み人知らずとされる俳句「はちがつや むいか ここのか じゅうごにち」に、「心合わせて 平和を祈る日」と続け、短歌にした。盗句?合作?いずれにせよ、詠み人知らずの願いだ。
何のためかを知らない子供たちも含めて、「終戦の日」に、球場を埋めた数万人の人たちが、一堂に黙とうしたのは、紛れもない事実だ。
それぞれの思いが異なろうと、試合を観戦しながら、親が子に、或いは、友人同士で、話題になったことは疑いようが無い。
歴史は、事実を残すが、進歩や展望は生まれない。いま動いていることに目を向け、批判する能力を磨けば、同じ過ちを繰り返さない。
詠み人知らずとされる俳句「はちがつや むいか ここのか じゅうごにち」に、「心合わせて 平和を祈る日」と続け、短歌にした。盗句?合作?いずれにせよ、詠み人知らずの願いだ。