プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★扉の向こう:孫とのコミ

2015-10-14 13:29:39 | 日記・エッセイ・コラム
 ジョグを終え、着替えていたら、孫が、「オハヨウ」と、目をこすりながら起きて来て、「ジィジ、散歩」。

 時刻は、まだ6時半過ぎ。寝起きが悪いと聞いていたのにと驚いたが、せがまれるまま家を出た。

 娘から、「日本語で」とくぎを刺されていたので、不足は無い。手をつなぎ、道路標識や道端に咲く花、畑の野菜などの名前を教えながら、近所を歩いた。

 3日坊主だろうとたかをくくっていたが、毎朝の日課になった。3週間で、野菜・花・鳥等の名詞のほか、道路標識や車の種類、更には、1から10までの数字を、正確に発音出来るようになった。

 孫が英語で話しかけても、日本語で答える滑稽な会話が成立した。帰宅後、母親に英語で報告しても、日本語で押し返される3歳児。その甲斐あって、帰国時には、会話が文章の体をなすまでに上達した。

 夜、寝る前に、「明日の朝、天気が良いといいね」と話しかけると、「どうだろう」と応じる孫のいじらしさ。
帰国後も早起きの習慣が続くように願っている。

 

 

★扉の向こう:日豪のお国柄

2015-10-13 08:36:14 | 日記・エッセイ・コラム
 娘が、コンビニで、「1本80円で安かったから」と、バナナを買って来た。「マーケットならもっと安い」と言うと、おどろく娘に驚いた。以後、孫の大好きなバナナが連日、食卓に並んだ。

 検疫が厳しいオーストラリアでは、輸入に頼る日本と違い、バナナの輸入を禁じている。自然環境の保持と、自国産の果物や農産物の消費を促進する国策が徹底している。

 また、電気料金が高いのも、原発リスクを避ける明確な国の方針であり、リスクを承知で、低廉な電力を供給するため原発を推進する日本政府と大違いだ。

 政府の方針に従うしかない国民にとっては、明確なポリシーを示し、選挙で、その是非を問うて貰いたい。

★扉の向こう:外国語≠英語

2015-10-12 10:02:31 | 日記・エッセイ・コラム
 娘は、1年前から個人情報を漏えいしたB社の教材で、孫に日本語を教えていた。「今は母国語だけにしないと、混乱する」と、中止するように忠告した。

 オーストラリアでは、小学校1年生から外国語教育を導入している。しかも、選択制なので、入学後、日本語を選択すれば十分と、私は理解していた。

 ところが、孫が通う予定の小学校では、外国人比率が一番高い言語に限定しており、強制的にインドネシア語を学ぶことになるのだと知らされた。

 日本の場合、「外国語≒英語」だが、正確には、「外国語=母国語以外の言語」であり、円滑な意思疎通を図るための多民族国家ならではの措置だった。

 ついては、幅広い国際的人材の育成を国家戦略に掲げる日本政府が、近隣の中国語や韓国語を選択肢に加えず、なぜ、英語一辺倒なのか解せない。

 扉の向こうの娘の気持ちが分かり、継続中のB社の教材を転送する作業を了解した。



★孫は「ちょうつがい」

2015-10-11 10:03:23 | 日記・エッセイ・コラム
 孫が誕生すると、「子はかすがい」の役目を終え、「孫はちょうつがい」として活躍する。

 「かすがい」は、柱と柱をつなぎとめるだけだが、「ちょうつがい」は、扉を柱に固定し、開閉させる。

 活動の自由度があり、無邪気な所作が周囲の笑いを誘い、親子三代を繋ぎとめる重宝な存在。

 娘と孫は、今日、成田を発って帰国する。わずか3週間の滞在だったが、「ちょうつがい」のおかげで、扉の向こうの生活を垣間見、濃密な時間を過ごす事ができたことに感謝している。