ニューヨーク州北部の小さな教会(ファースト・リフォームド)で牧師をしているトラー。信者の数は少なく、礼拝に参加する人の数もまばらである。入隊を勧めたためにイラク戦争で息子を亡くし、トラーは重い自責の念と深い失望の中にいた。ある日、信者であるメアリーが夫マイケルのことで相談にやってきた。マイケルは極端な環境保護論者で、環境汚染の進むこの世界で子供を育てたくないと妻に中絶を勧めてくる。トラーはマイケルに「この世界に子供を産み落とす絶望より、子供を奪われる絶望の方が大きい」と自らの苦しみを語るが、苦悩する心には届かなかった。マイケルはショットガンで自ら命を絶ってしまう。信者を救うことができなかったトラーは失意のどん底に落ちていく。
上部の教会が環境汚染の元凶である企業から多額の寄付を受けていることを知り、トラーは愕然とする。さらに医師から癌であることを告知され、身体的にも精神的にも追い詰められていく。マイケルが自爆テロの準備をしていたことを知ったトラーは、マイケルの代わりに自分が爆破テロを起こそうと計画する。自爆用のジャケットで身を固め、イエスの受難劇のように体に有刺鉄線を巻きつけ、破滅へと疾走していくのだが・・・
監督は『タクシードライバー』の脚本や『Mishima』の監督で著名なポ―ル・シュレイダー。『魂のゆくえ』にはロベール・ブレッソンの『田舎司祭の日記』とイングマール・ベルイマンの『冬の光』の影響が色濃く見える。主人公の職業や背景、エピソードに類似した箇所がいくつもあるが、主人公の選択する行動はそれぞれ大きく異なる。『田舎司祭の日記』の若い司祭は神学校を卒業したばかりで経験も人望もなく、信者から疎まれさえしているのに、息子を亡くして悲嘆に暮れている女性の魂を救うという奇跡を起こす。それに対してトラーや『冬の光』の主人公は従軍牧師の経験があり、聖職者としての経歴も長いのに信者の自殺を止めることができない。何故か?
『田舎司祭の日記』の若い司祭は未熟だが、揺るぎない信仰を持っている。どれほど困難があろうとも神への信頼は変わらない。トラーは一見敬虔な聖職者に見えるが、どこか信仰に疑念を抱いているように見える。マイケルに語る言葉はおよそキリスト教の牧師らしくないし、神に救いを求めようとする姿勢も見られない。環境汚染企業の問題がトラーをテロリストへと変質させたわけでなく、あくまでもきっかけに過ぎないのではないか。トラーの信仰にはそもそも揺らぎがあり、揺らぎがあれば病める魂を救うことはできない。
『冬の光』では絶望した牧師が神の存在に疑問を投げかけるが、『魂のゆくえ』では狂気へと迷走する。トラーの理性は崩壊していき、観客はスリラーかサスペンスを見ているような緊張感で満たされていく。いつのまにか宗教映画がパニック映画へと変容しているのだ・・・ところが物語は意外な結末を迎える。愛が絶望を救うという帰結は信仰の映画ならけして的外れではないが、黙示録的なラストを観客に予想させてしまったサスペンス映画では、いささか期待外れと言わざるを得ない。(KOICHI)
原題:First Reformed
監督:ポール・シュレイダー
脚本:ポール・シュレイダー
撮影:アレクサンダー・ダイナン
出演:イーサン・ホーク アマンダ・セイフライド セドリック・ジ・エンターティナー